ドキュメント災害史1703-2003


佐倉の歴博で掲題の企画展を見た。解説のある展示は大好きである。その日は岩崎伸一先生(防災科学技術研究所)が「津波メカニズム」を40分ほど現地説明なさった。残りを、お名前は失念したが、歴博の研究員が案内して下さった。それとは別に展示の各コーナーにはボランティアの解説員がいて詳細の質問に答えて下さった。企画展のブースの内、飛越地震と雲仙普賢岳噴火は個人的にはなじみの薄い、つまり住んだり旅行したり仕事や交友に繋がりがあったりしなかった地方の話であるが、その他は何かの関係で一度は覗いた憶えがある場所だ。ついこの間の宮城地震が内陸であったからか、近年の旅行先にその地方が多かったせいか、あるいは全然今まで知らなかったせいか、私には善光寺地震関連の資料がとても面白かった。
周辺の大災害にもかかわらず、善光寺は寺域に山崩れはなく建造物の被害は軽微であったそうな。それが霊験あらたかな善光寺さまと評判を呼び、以降の隆盛を導いたと聞いた。善光寺は白鳳の瓦を出土するほどの古刹である。善光寺聖の活動など聞くと、土着信仰に仏が結びついたような信仰から出発したのだろうと思えてくる。念仏系は皆そんな土の匂いを漂わせているのかもしれないが。仏像の台座下あたりをくぐる狭いトンネルがあって、いくらかを支払ってくぐり抜けると仏のお加護を戴けるという。私も入ってみたことがある。何しろ真っ暗だから手探りで進む。それでも足が速かったのだろう、前を行く人に触ってしまった。出て見るとばあさんで、闇に紛れてセクハラするなと云った意味の言葉を貰ってしまった憶えがある。
この地震は複合災害をもたらしたのが特徴である。先ず土石流に山崩れが長野市の北に当たる牟礼から戸隠、鬼無里に掛けての山中に無数に発生した。もう4年も前に戸隠に旅行したが、百数十年昔にそんな災害に見舞われた地方だとは全く気が付かないほどに、自然は緑の大地であった。私がナナカマドにホオノキまであると平和な佇まいに満足した土地である。この山崩れが犀川を堰き止め自然ダムを拵えたが、やがて崩壊して下流の長野盆地は勿論飯山あたりまでも水浸しの大洪水を引き起こした。善光寺やお殿様のお城に家臣の屋敷は高台だったから水害は免れたようだ。松代城はかなり千曲川の川辺に近いが水浸しにはならなかった。しっかり測量して縄張りしたのだと感心した。飯山では小寺がずらっと申し合わせたように丘の中腹に立ち並んでいたが、これだけではない水害の経験がそうさせたのであろう。飯山あたりは盆地が急に狭まり、盆地全部の雨を集めた水流が千曲川を駆け下る位置だ。地震は新暦5月だったそうである。
地震の主な被害域は真田氏の領地だった。この真田は大阪落城のとき徳川に付いた幸村の兄・信幸の子孫で、譜代の扱いだったそうだ。幕府から10000両の救済資金を10年間無利子で借り入れることに成功している。「伊予小松藩会所日記」によると1万石の小松藩が豊作時で総支出7700石の米会計である。江戸時代は米と貨幣の二重会計だった。貨幣会計では総支出が銀731貫(金11646両)であった。真田松代藩はその10倍の規模だから、年間藩運営費(給与を除く)のまあ1/11-12の借金を背負ったことになる。この借財申請添付資料の御蔭で我々は当事の災害状況を詳細に知ることが出来る。真田の殿様は名君であったらしい。領内のみか近隣の災害にも言及した総合的な被災地誌になっている。また半世紀以前に起きた雲仙普賢岳噴火の災害記録も取り寄せていた。当主の夫人が島原藩松平候の姫であった縁によると言う。島原藩が丁度同じ10万石で幕府からの借金も1万両だった。対幕府交渉にこの資料を役立たせたのであろう。島原藩は幕府の最初の案2000両を1万両まで増額せしめた実績がある。
北国街道は真田領内を真っ直ぐ北に向かう。災害の御蔭でその稲荷宿と牟礼宿の地図が残った。前者は、正確には、北国街道の丹波宿から中山道洗馬宿に向かって別れる北国西街道(善光寺街道)の最初の宿場である。昨年同じ北国街道の海野宿を見た。それと、道の両脇に細長い宿が軒を並べる点で全くよく似た配置になっている。稲荷宿では町の中心部で道路が一旦直角に折れ、再び直角に折れて元の進行方向に戻る。同じような道路配置は愛媛の北条市でも見た。見通しを妨げると言う意味の防衛上の理由らしい。海野宿や妻篭宿では枡形だった。地図に描かれたお寺は今も現存している。
牟礼宿の証念寺の復興富くじの実演を見た。なかなか公正を期した富くじのようだった。残っていた籤箱実物が展示されていた。木札の入った籤箱をゴロゴロ回してよく混ぜ合わせ、突き役が針の付いた棒で木札を取り出すと、読み上げ役が当たりくじを読む。後には監査役検査役がずらりと並んでいる。1枚2朱で15000円。結構高価な籤である。当たりくじは最高額が250両でいまなら3000万円見当の金額と聞いた。、寺は当選者に2割50両の寄付を願ったという。寺は立派に再建された。
善光寺地震コーナー以外でしっかり見たのは江戸・東京の地震のコーナーである。関東に住む私には他人事ではない。この300年に3回やられている。周期から云えばそろそろ4回目が来てもおかしくはない、なぜなら関東大震災から数えてもう80年だからである。地震はその位置の地盤で結構震度を変えるものだそうだ。過去の地震についても位置と震度がかなり正確に掴めるようになった。それによると川筋、沼周辺あるいは埋め立て地、海岸低湿地帯などが目立って危ない位置である。江東区とか浅草あたり江戸城東側の旧神田川流系とか赤坂あたりは東京の中でも危ない位置である。私の住む場所は海岸埋め立て地だが、河口から運ばれた泥に埋もれた土地ではない。安全性から云ったら中程度だなと独り合点していた。
付属のくらしの植物苑ではムクゲ、花ウコン、ゴマ、アマの花を見た。ムクゲ以外は畑作の草本である。多年生草本のウドはもう花を枯らせていた。ハマナスの赤い実が目に付いた。

('03/08/05)