上総国分尼寺

五井に出かけた。お目当ては上総国分尼寺跡である。市原市役所付近は開発が進んでいた。私の記憶では10年前頃はここらは田園地帯だった。東西に真っ直ぐに突き抜ける大道りの脇に市役所が不釣り合いに立派な姿を見せていただけで、国分尼寺あたりはまだ開発中であった。シャベルカーが削った土肌が妙に印象深かった。今はすっかり整備されて割とゆったりとした住宅街になっていた。市役所で場所を確かめて跡地に向かう。展示館があって常駐の館員がいる。発掘写真とか関連歴史資料とかいろいろ展示してあった。中心に地形建造物の模型がありしばらく見ておった。高校生団体の先客があって先生が大きな声で説明していた。当時の日本の人口は600万人というのが耳に残る。広大な敷地の中に回廊と中門が復元されていた。この尼寺には塔はない。塔は僧寺にある。はずれの一角に維持管理用の小屋が並ぶ院政所(と書いてあったと思う)が結構大きな面積を占めていたことに気づく。ハワイであちらの現地人の住居復元小屋を見てきたばかりである。奈良時代の文化のレベル、財の集積度、政治の集中度などに思いを馳せることができた。
国分寺跡はあちこちに立派に史跡として保存されている。しかし尼寺遺跡が本格的に史跡として保存されているのは私が見た範囲ではここだけである。第一尼寺が国分寺の近くに確認できている数が少ない。あちこちの国分寺を訪ねたが、尼寺が近在していたのは讃岐と備中ぐらいで、前者は小寺の中に礎石が1個後者では林中に礎石群が並んだ姿であった。阿波国分寺の近くに尼寺という地名が残っているが、国分尼寺として存在した証拠はないようである。
市役所通りを挟んで向かい合った位置に僧寺がある。ここには過去何回か訪れている。付近がすっかり住宅街に開発されたのにまず驚く。ここの国分寺遺跡も史跡として保存されているのに満足した。現存する国分寺を中心にその数倍の面積が史跡で、説明文では本当は既に宅地になった部分にも寺域であった部分が含まれていると云うことだった。現存の国分寺の門前に林に隠れるように礎石群があったのを思い出したが、それらは西門の基礎であったようで、その上に短いコンクリートの柱が立ててあった。取り囲んでいた林はもう姿がなかった。塔柱の礎石が今の寺の少し南に顔を覗かせている。でっかい石で塔は市役所よりも高かったそうな。この近くには寺の瓦を焼いた窯跡も見つかっている。寺のあったところには窯跡がしばしば付随して見つかるものである。

('97/06/23)