
- 四国88ヶ所の札所の真ん中あたりにこのお寺がある。久万美術館に立ち寄ったら江戸時代のこの地方の絵巻物を展示していた。岩間寺は特に丹念に描かれている。何もないこの土地での扱いは別格だったのであろう。今と比べると多少数は減っているが、主要な堂宇は昔通りである。寺には巡礼の揺るぎ無い支援と言う万全の地盤があるからであろう。
- さてこの札所の宿坊、今まで開いているのを見た事がない。あちこちに遍路道保存会の建て札と共に、時には朽ち果てそうな橋や、雑草に覆い隠されて元の山野に戻りそうな道が札所には必ずと云ってよいほど見つかる。同じように巡礼相手の宿坊はもはやご用済みなのだろう。今は夫婦親子連れだってマイカーあるいはバスの団体旅行である。古老に云わせると今の巡礼達は幸せそうじゃそうだ。ガラス窓越しに覗いてみると、ずいぶん質素な造りである。今の巡礼は一日10ヶ所ぐらいは納経を済ませ都会のホテルに泊まるのだろう。昔ならこの寺付近はとなりの札所が10KMから20KMは離れていようから、一日2ー3寺回ったらもう日が暮れるのではないか。そんな頃の宿坊は有り難かっただろう。
- 巡礼宿は閉じているが、大寺の宿坊の雰囲気はいいものだ。生きた信仰心が造る雰囲気には心ひかれる。宿坊は何かの行事とかち合わぬ限り、たいていは空いていて、ホテル旅館なんかでは考えられぬ広大で豪華な部屋に実費だけで泊まれる。高野山はことにお奬めである。頼めばはんにゃ湯も用意してくれるらしいが、よう言い出せなかった。朝のお勤めには誘われるが、義務ではないから私は出ない事にしている。
- ただ若い衆は日蓮宗の宿坊だけは止したがいい。ここは早朝から法華の太鼓が鳴り響く。私は身延山でやられた。阪神大震災のボランティア活動で見直されたというが、私の知る若者像は家族への愛情忠誠心仲間への友情奉仕など反対給付への義務感が我々の代よりはるかに薄いように感じる。むき出しの本能のままに生きるのが人間らしさにつながっているように誤解していると思うこともある。学生どもにこんな抽象論をやっても無駄なんで、私は「尼寺に行きやれ」とは云わずに「宿坊はお奬め」ということにしている。学園紛争時代専門バカと嘲られた教官とゲバ棒を見舞われた教官とがあった。人の生き方に拘泥しているとゲバ棒側に分類されることは必定であると思いつつも性分は墓場まで持ち続けることとなろう。
- 行き交う巡礼達が挨拶して通る。お山で登山者にたまたま出会ったら人懐かしさで思わずコンニチワなんて云ったりするのは自然だが、こうのべつくまなく挨拶が続くと大変である。団体さんご一行をやり過ごすには少し覚悟がいる。ことに年かさの方は念が入っている。往きはお参りご苦労さんです、戻りはお参りご苦労さんでした。私もその瞬間だけは確かにお大師様に信心深い遍路の一人になっているから不思議なものである。こんな所へはしかし連中を団体では連れて来れんなぁ。宗教心希薄な若者たちにどんな機会を与えたら好いのだろう。
('95/10/29)