
- 貴の花は双葉の頃は香ばしい匂いをつけた若者とは云えなかったらしい。親譲りの素質はあったが、体力的には初めは恵まれなかったという。福井先生がノーベル賞に輝いたときの同僚友人の先生に対する批評も、決して才気走った天才肌と言うのではなかった。
- 今日のように就学年数が長い時代になるとあゆまずたゆまず努力した積上げが持ち前の少々の資質のハンディなど乗り越すこともあるようだ。学生の入学以前の成績、入学試験の成績と入学後の成績の相関を取ると何処も同じだろうが、本校ではあんまり高くない。入学以前の成績がまだ入学試験の成績よりましな相関を示すのは、努力の比重が高いことを示す一例である。努力できるかどうかは性格の一部だからである。若年時に上位を競った学生が年と共にただの人になってゆくのを時折見掛けるが、一夜漬けでは追いつかなくなる学問レベルになったとき自覚できるかどうかでその学生の勉学上の将来が決まる。
- 私の学校のように俊才の数が極めて少ない場合の俊才の指導は回りの刺激が無いだけ困難である。入学試験の抜け道になっては困るが、見込みのある場合はこれと思う大学に編入学の手続きを取るべきか。あるいは本校の将来のためを思って本校にあって花開かせることを考えるべきか。結局は前者に落ち着いている。これと思う大学を薦めるとたいていは目を輝かして編入のための試験勉強に打ち込み始める。私は複雑な心境である。皆さん方は似たような経験をお持ちですか。
('95/09/08)
栴檀はビャクダンの間違いで暗紅色の小花を付けるという。世田薬師で樹を見たのを思い出して題にした。花の実物はまだ見る機会がない。