
- 私はユニークな人材を輩出しているこの学園がとっても好きである。関東に帰ったときにそこの大学院生に中を案内して貰った。ともかく窮屈なキャンパスである。まず中学、高校だが、校舎は建て替わって立派になったが、昔見たときにはあった(と思う)グランドがなくなって、昔の女学校の校庭程度のテニスコート何面分かが在るだけである。グランドは郊外に放り出されたのだろう。定員を増やしたのか、授業科目が増えたのか。ともかく見慣れた公立学校のグランドからは想像も出来ぬグランドだった。それとも東京では校舎運動場の分離が当たり前なのかな。ここも有名私立校でなかなかの難関と言うが、入る人は教育の心身分離が問題とも思わないのだろうか。ブランドさえあれば満足なら、ちんちくりんがパリファッションの図である。
- 昔寅さんシリーズの一つに、早稲田大学に迷い込んだ寅さんが、大講義室で教授と珍妙なやりとりをして、満員の学生を沸かせる場面があった。あまりに良く出来ていたので、講義の内容が産業革命であったことも覚えているほどである。マドンナは吉永小百合であったか。マドンナを訪ねて来た寅さんが大隅公の銅像の通りで学生をつかまえて人捜しを手伝わせる。学生はへきえきしながら人の良さを発揮して手を貸す。映像からくる先入観があるからかどうも寅的観光をやったようだ。
- 法科の院生の研究室を見せてくれた。廊下の狭さにまずびっくり、研究室の過密状態にも全くびっくりする。つまさきだって歩かぬと椅子の人間に体が触れそうな部屋にその人の机があった。机の数を勘定して一部屋6人ですかと問うと、机一つに10人なんですと答えが返った。理系と文系では違うにせよ、この小部屋なら私のところならまあ2人と思ったのに何と60人である。志し在るものが集まる限りは早稲田も安泰である。しかしいつまでも人材を輩出できる環境か。私はこの学校が、早い時期に、キャンパスを広大な敷地を確保できる地方に何故まるごと大移動しなかったのか惜しい。お師匠の部屋は出入り自由とかで見せて貰う。学生の部屋同様クーラーはない。先生はお休みだった。ここじゃ夏は無理だなと思う。早稲田法学がどれほどの研究レベルかは門外漢故分からない。しかし劣悪な研究環境であった。
- サークルの部屋を見せてくれる。ごみ箱の中に人がいると云う感じ。院生は自分の住家が震災後のようなのを早稲田の平均と云いたかったようだ。ぼくらの頃はもうちと掃除をしたがなぁと思う。中の人にお上りさんご案内中と院生が声を掛けた。あれれ何時から東京に来ることを上ると云うようになったのだろう。上り下りはJRだけと思っていた。正しくは京都に行くことを上ると云っていたのにと思い後で広辞苑を引いたら、都会へ出る田舎者を指すとあった。ついでに上るには京に行くこととあった。土地によって上下を指すのはJR以外はよしたほうがよいかもしれぬ。
('95/09/01)