- 大阪城に向かい合ったホテルで結婚式があった。余興に花嫁が花婿の伴奏で Er, der herrlichste von allen と唄った。花嫁は後で、(恥ずかしくて)日本語ではとても人前で歌える歌ではないと言ったそうである。主役の人柄がそうさせるからであろうが、アッケラカンとした陽気な、時間の経つのを忘れるいい結婚式であった。公園の桜はまだ3ー5分咲きだったが、宴会の席取りが行われていた。私はきっと来客の挨拶には桜が修辞に出るだろうと思っていたが、時候をことほぐ言葉を入れた祝辞はなかった。昔は旬にしかお目に掛かれなかった食物を今はいつでも求められる。輸入食品、温室栽培。冷暖房の無い場所にいる時間の方が今は少なくなった。四季の移り変わりに次第に日本人は鈍感になってきているのであろう。
- 桜花爛漫に触れたのは入学式での市長であった。この田舎の学校には立派な桜並木があって町の隠れた名所になっている。私など外からこの時節に客があると大抵はここへ見物に連れて行く。桜はしかしここだけではない。日頃は気が付かないが、規模の大小はあるがあちこちにある。田舎の長所で、家の敷地も窮屈でないから庭に桜のある家が点在する。植木運動があって、私も一本二本と公園に寄付している。その丘の公園に根付いたか確かめに行く。まだひょろひょろの小木だが、いくつかの花を咲かせていたのは天晴であった。
- 西法寺に薄墨桜を見に行く。時の天子が后の快癒を祈ったら、願いがかなったので賜った桜だそうである。初代のそれは枯れてしまって、今は二代目の若木が植わっていた。桜には、微かだが、高雅な香りがある事をその時知った。以来桜の側を通る度に鼻をヒクヒクさせるが、桜が盛りを過ぎたためか、あるいは薄墨桜ほどの香りがないためか、あるいは私の鼻の感度が悪いのか匂ってこない。
- 古来からことに散りぎわの美しさを讃えられた。それがたたって、軍国主義の象徴として切り倒された公園や並木の桜は数多かったそうである。ただし大戦直後の話。だが半世紀を経た今韓国では日本植民時代の象徴として切り倒す計画があると聞く。今の現役はほとんどが戦後の人たちである。だからかの国人も我々も経験した訳ではない。民族の恥部を「歴史」から学んで奥深く観念として心に築く恨みは、逆に我々に抜き難い警戒心を引き起こす。イスラエルしかり、旧ユーゴしかり。殺戮残虐行為を「歴史」から正当化しては人類の将来はない。「歴史」は人の業としての認識に昇華されて初めて意義があると思う。改めて韓国の遠さを思う。
('96/06/08)