帰りたし薄紅梅の咲く頃に

句碑に「つる女」とあった。しかし梅は香りである。ちょっと改作して、
帰りたや薄紅梅の香る頃
お粗末。天神様が鎮座ましますお社を囲む広い松林があって、その外れに梅の一群が満開である。田舎の天神様はおおらかで、入園料など請求しない。それどころか飴湯にコーヒー、カラオケに野点とてんでばらばらに観梅の衆生を歓迎してくれる。絵馬拝見。可愛らしい願い事ばかりである。東大祈念京大祈念なんて一つもない。
そこから峠を二つ越えたところに食用の梅林がある。花は単調だが、樹木の数で圧倒する。ここもおおらかに花見客を迎えてくれる。だが同じ田舎でも県都に入るともうタダでは済ましてくれない。名前だけは大仰な梅林にして入園料をたっぷり取る。天神様のお庭の方がよっぽどましなのに。
水戸の偕楽園には何度も足を運んだ。しかしいつもタイミングがちょっとづつずれていて本当の見頃を知らない。一本一本の梅としては弘道館の庭の方がよい。何時行っても大層な人出だった。それから入場料。旨くもない梅をあしらった銘菓。湯島天神、亀井戸天神。思い出してみると関東でも結構歩いている。
私は少年時代を京都で送った。北野天満宮にも藁天神にもそんな囲いなど無かった(と思う)。記憶がはっきりしないのは、花に目を向ける余裕が出たのは戦後十年経ってからだからだろう。戦後十年の前半は食料難のまさに花より団子の闇市時代。京都はまだ良かった。家も親もあったから。あの頃の大きな社会問題だった戦災孤児達は、はたして梅を観賞する時代を迎える事が出来ただろうか。中国の人口が世界の食料を買いあさるときと云う脅しが、現実の話になる日が近いという。花が生活から去って行く時代など二度も迎えたくない。
国民学校生徒の頃イナゴ捕りに兄と出かけた。食い物の足しにするためである。袋の中に一日ほったらかしにするとフンを出し切ってしまうから、後は焼き魚と同じにして食う。あの頃は身軽で小さかったからイナゴが捕まってくれたが、今度来る危機には、私はもうオジンである。イナゴはきっとアカンベをして逃げてしまうだろう。第一農薬のおかげでイナゴなんか絶滅して居らない。農薬を教えるわが身は天に唾しているのかナ。

('96/03/29)