美術コース

思い出の歌の風景画展とか言う題の展覧会を見た。昔なら誰でも口ずさめた歌、例えば「いぬのおまわりさん」とか「おさるのかごや」とかを題に懐かしい風景を一流の日本画家が腕をふるうと言う主旨の画展である。絵として面白かったのはむしろ若手の画家の作品で、童話の世界を見事な筆運びで描いてあった。
平山郁夫とか上村松きんとか一流の作家ばかりが描いている。画家の略歴が紹介してあるので何気なくみていて驚いた。私と高校同卒の画家が何人もいるのである。学歴には最終出身学校しか書いてないから、美大とか芸大に進んだ人たちを入れればもっと多い。改めて我が高の存在価値を見直した。名を日吉ヶ丘高という。京都繪専の付属中学の流れである。当時は美術コースを持った高校など殆ど無かった。絵だけではない。この土地は焼き物の里を抱えているが、そこでも見かけたし、個展を三越で開いていた陶芸作家にも我が高出身が居た。
私が日吉ヶ丘出身であるのはたまたまである。二次大戦に破れて学校制度の改革があり、京都では学区制度が出来、それまで通った学校からその地域に住んでいると言う理由で強制的にその学校に転学させられた結果である。しかしその結果私は思いがけず美術の門前の小僧になれた。画専の建物がグランドを挟んで建っていた。ここでは本格的に裸体モデルを使うから、好きな連中は風が不用意にカーテンをめくるのを楽しみに根気よく待っていた。いつモデルがくるかは意外と早く伝わっていた。いじめ易そうな画学生を選んでカチ挙げていたのがおったのかも知れない。
私の人生を豊かにしてくれる心の糧には、与えられた環境がたまたまそうだったと言う偶然の産物が結構ある。今は何でも本人の意志を尊重し、それが可能の場合が多い。大抵の若者は最短の一本筋を選ぶだろう。幅広い経験の必要性を説いても生活安定組の余裕のように受け取られがちである。せめて学校の教養科目の充実を心掛けたい。

('96/12/11)