花火大会

夏のある夜。
五千発と言われる近所の大会を今年も見に行った。遠くからみる花火も良いが、近くの花火はもっと良い。真近の花火はさらに良い。今回は発射筒が見える位置まで行った。
真近では花火が立体的なのである。立体映画を偏光眼鏡を掛けてはじめて見たときの迫力と似ていた。さく裂した火の玉が我が身に迫ってくるのである。真近でのもう一つの効果は音である。遠くからではさく裂の音だけだが、ここでは発射筒から飛び出すときの鈍い音、親花火が破裂する音、子花火の音、孫花火のジャリジャリという音、ロケット花火のしゅっと言う音、ネズミ花火の親玉が気ぜわしげに這い回る音、それからこれはこの時に気がついたのだが、どうも音を楽しませる花火が中にあるらしく、火玉は小さいのに轟音を聞かせる奴もあった。
たまたま学校が旧陸軍の火薬庫跡にあった。残っていた建物は半地下で側壁が厚く爆発があると天井に吹き抜ける構造だったように記憶する。爆発前提の構造である。事実爆発が陸軍時代にあったはずである。今でも火薬庫爆発は結構有るようだ。花火庫の爆発もゼロでない。人為的なもの以外では、原因は自然酸化熱の蓄積がほとんどではないか。
江戸時代は一尺玉だったのに、今はここぞと言うときは三尺玉だそうである。親玉の中に子玉が入りその子玉の中に孫玉が入る。その周りに模様をつける異形の花火玉が配置されている。と勝手に想像するのだが、大きくなるほど複雑になり手間と時間が掛かる。一方で放熱は困難になる。だから自然酸化は進み易いとなると花火師も大変だなぁと同情する。今時師とか士は命がけでないと銭にならぬのである。
そういえば五輪の打ち上げ花火は簡単だった。昔は外国の花火大会には日本の花火師が出張サービスしたものだったが今はどうなのかしら。

('96/11/20)