- 贔屓のうどん屋が駐車場を人手に渡してしまった。旨くて高いうどんで、いつもはんじょうしているのにである。消長変遷のきついうどん屋で、次の一手に金を使うのか、あるいはまたまた博打に負けたのかと野次馬達は興味津々である。
- 二代目の本当の味を引き継いだと云う評判の娘婿の店は、始めはさっぱりだったのに今は大層なはんじょうぶりである。ここは味の芸術家を気取らない。本店はじいさん以来の味はよいが、新作がよくない話は一度した。関東のわが家の近くにもそばを芸術と心得る店があって、始めは珍しさもあって通ったが、すぐ飽きてしまった記憶がある。そのうちに本店の客がごっそり移動してしまうぞとこれも野次馬の声である。私も本店よりもこの新店の方が多い。うどんもそばも芸術ではない、職人芸である。
- 近頃むやみやたらと食の名人やら達人それに先生が出演する番組がでてくる。あるレベルまでは確かに料理の基本技能が必要で、こんな番組も必要なんだろう。その水準を越えた後は、私は、お袋の味になると思っている。食べ馴れ、しつけられた味が最高なのである。違う土地の郷土料理を食べてご覧と思う。名物に旨いもの無しとは云ったものである。だが、私たちのお袋様はいつも一定の味を感覚で作り出す事が出来たが、今はどうなんだろう。手抜きで味加減が定まらぬお母さんでは、子の舌は親無しになって成人しても懐かしむ対象が出来ないのではないか。関西は薄味で素材の味を大切にすると一般には云われている。しかし塩の一人あたりの消費量は年々増えて今は関東に接近していると云う。外食とインスタント食品多用の結果と解説されていた。
- 基本技能に料理の順序がある。中華では概して後ほど味が濃くなって行く。懐石では元々淡泊なものばかりなので、てんぷらの順が後ろの方かなとぐらいにしか考えた事はないが、途中でお口直しを入れてくる事が多いようだ。鎌倉の懐石で箸洗いと称して昆布茶かなにかが出た事があった。でもこのようなアクセントはだんだん省略される傾向にあるのではと思う。意味が無いようであるのが形式である。新形式の懐石の席があると箸洗いの良さを思う。
('96/09/29)