蜂かカマキリか。

ファーブルの昆虫記には狩蜂がカマキリを料理する見事な描写がある。つち蜂とかあな蜂の類は蜜蜂のような社会を作らず一匹狼で生涯を送る。そんな蜂がいることさえ都会育ちの私には全く斬新な情報であったのに、そんな蜂が身の丈何倍かのばった、蝗、カマキリ種類によってはこがねむしまでを、頂門の一針で、植物昆虫にしてしまう話には目を見張ったものである。
ファーブルはその一突きが昆虫の運動を司る神経節を破壊する行為であることを実証して見せる。植物カマキリは、あわれ、ふ化した蜂の幼虫に生きながら喰われてゆく。痛くても抵抗したくても植物だから動けないのである。「植物」にする理由は幼虫にはそれしか食料が無いから、蛹になるまで腐って貰っては困るのである。ファーブルはカマキリがどんな悪夢にうなされながら喰い尽くされてゆくのだろうと同情している。私は想像を絶する自然の摂理にまったく感動した。昆虫記は私のバイブルである(一回きりしか読んでないからこの表現はバイブルに悪い?)。だから入ったときは医学部だった。なぜ今化学をやっているのか不思議である。この間京大学生新聞でノーベル賞の福井先生が文系にも心を惹かれながら理系を選ばれた理由の一冊の書物としてこの本をあげておられることを知った。
昆虫記の記事を実地に目にする機会は此の年まで一度も訪れなかった。だからずっとカマキリは蜂の敵ではないと思っていた。たまたまNHKの会館でアマのビデオ「勝利者は」(美馬正 作)を偶然、途中からだったが、見る機会があった。カマキリと蜂が死闘をやっている。蜂はすずめ蜂。すずめ蜂は強力な顎で密蜂の巣を荒らすハンターである。ところが結末はカマキリの勝利であった。カマキリは鎌で相手の胴を押さえ付けて針の自由を奪い最後は首ねっこを喰いちぎってとどめを刺した。
カマキリも深手を負ったらしくしばらくして死に、最後の勝者は蟻となるのが此のビデオの落ちなのであるが、私のバイブルとは正反対の結末でしばし唖然としていた。すずめ蜂はカマキリをたくさんの食料候補の中の一つにしているが、ファーブルの狩蜂では幼虫の食料になる昆虫が種ごとに一種に決まっていて、カマキリを喰う種にはばったも蝗も食料にならない。だから子孫を残すためにカマキリ狩りの超高性能遺伝子を用意しているのであろう。だからファーブルとビデオは違うんだなんて勝手に理屈を付ける。まさかヤラセじゃなかろう。あるいは狩蜂かて、いつも勝てるとは限らず、たまたまファーブルは勝った現場にいたのかな。
「百読は一見にしかず」の例が増えた気がしました。それしか食料に出来ない蜂のために蝗もちょっとは残しておかなイカン(蝗狩り専門の蜂はおったのかな)。

('96/07/24)