シンポ「京都からの提言」
- 3/8横浜新都市ホールで京都大学附置研究所・センターシンポジウム「京都からの提言〜21世紀の日本を考える(第3回)「人間と自然:新たな脅威と命を守るしくみ」〜」を聴講した。700名のホール一杯の盛況で、だいぶ入場を断られた人が出たようだった。10:00~17:10の、休憩時間を抜いても延べ5時間に近い講演で、さすがに疲れたが、居眠りすることもなく、最後のパネルディスカッションまで聞き終えた。私の知的好奇心を煽る内容であったのも事実だが、演者がその道の最先端を行く専門家で、かつ専門外にも理解できる言葉を選んで話してくれたおかげである。科学を「知っている」大家とか評論家がやる講演もいいのだが、先端の理解にはしばしば誤解とか齟齬があって、疑問に思うことがある。私はだから現場(専門家)重視派だ。裁判員制度の実施に伴い分かりやすい司法用語への置き換えが新聞話題になっている。同じ事が科学にも必要なことは疑いないが、それを実行した好例を見た気がする。
- 私の友人に将来失明のおそれのある進行性の網膜疾患を抱えた女性がいる。彼女の網膜再生医療に万能細胞が役立つ日はいつ頃なのだろうか。私の知的好奇心には具体的な期待も入っていた。このシンポジウムの最初の2つ、「ES細胞の驚異的能力と可能性−なぜ万能細胞と呼ばれるのか」と「人工多能性幹(iPS)細胞がつくる新しい医学」はその焦点に位置し、今我が国の科学界で最もホットな研究で、演者の中辻憲夫先生(物質−細胞統合システム拠点長・再生医科学研究所教授)と山中伸弥先生(物質−細胞統合システム拠点教授・再生医科学研究所教授)はその中心的研究者である。私の万能細胞に対する関心は古く、このHPでは「かずさDNA研究所」('98)あたりから断片的に顔を出している。幹細胞、万能細胞に触れた記事はかれこれ10編ほどある。iPS細胞は「八月のレビュー」('06)からで、そのときはマウスの皮膚からのものであった。昨年11月の山中教授の発表は衝撃的で、「十一月のレジメ」にかなり詳しく記述している。以下にその部分を再掲する。
- 11/21の毎日、読売両紙に、京大チーム(山中伸弥教授)がヒト皮膚から万能細胞「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」を作り出すことに成功したという記事がトップに出た。ES細胞と働きは似ているが、患者と遺伝情報が同じ細胞を作成でき、拒絶反応のない移植手術を実現できるかも知れないという。研究の競争は激烈で、京大が電子版で20日に発表、米国ウィスコンシン大が22日発表予定という。京都大のグループは、昨年8月に同様の細胞をマウスで作ることに成功している。NHKも民放もニュース番組で大々的に取り上げていた。海外でもTV局の話題になった。米政府は研究支援を早速発表した。日本政府も次の日に支援声明をだした。独がん研究センターより約800万円のマイエンブルク賞が贈られた。30日の電子版で、(山中教授は)ガン遺伝子を使わない万能細胞を作り出したと発表。臨床実験に近づいた。
- 視神経関連の今後の見通しとして、網膜色素変性および加齢黄斑変性症治療に関し眼色素細胞再生が動物実験で成功し、数年の内に人間への臨床研究が始まると聞いた。理化学研究所での取り組みのようだ。近未来の臨床応用には数件の具体例が説明されたが、その中のパーキンソン病、脊椎損傷は神経細胞、脳細胞の再生に関わるものである。視神経も含めこれらは一番再生困難な器官のように思うのに意外であった。分化細胞写真にはドーパミン(神経情報伝達物質)産生細胞がはっきり写っていた。脊髄損傷マウスの実験前後の動画比較では、明らかに神経系の回復が実証されていた。心不全、心筋再生、糖尿病、肝硬変、パーキンソン病、造血組織などが講演とパネルディスカッションで出てきた差し当たりの治療対象である。肝臓とか膵臓は困難な対象という認識らしい。3/9の読売に、難病解明目的のiPS細胞作成計画に関する京大の発表が載った。京大病院で患者の協力を求めるという。難病の中には若年性糖尿病、筋ジストロフィー、神経変性疾患、先天性貧血が含まれるとあった。
- iPS細胞は機能的に≒ESである上に拒絶反応フリ−、倫理問題フリーという絶大なメリットを持つが、分化細胞の皮膚細胞から時計を巻き戻して元の胚幹細胞を復元するという、自然には起こらないプロセスを実行することが、いかなる危険性をはらんでいるかという安全障壁がある。その具体的な指摘の一つが、シンポ前日の3/7の毎日新聞の、勝本元也氏(自然科学研究機構理事、元東大教授)の再生医療へ残る課題というコメントに載っていた。自然では、遺伝子の読まれ方の履歴は、精子や卵を作る過程で消去されるが、iPS細胞には(元の体細胞起源の)発生過程の履歴が残っていると疑われる実験データがあるというのである。個体の自然発生のプログラムでは、遺伝子の読み出しが時と場所によって適切に調節され、元に戻らないように遺伝子が化学的に装飾されるという。
- 私は分子発生学に対しては全くの素人である。その前提で、講演で分かったことを誤解を恐れずに記録すると以下の通り。ヒトの遺伝子は約2万個だが、読みとられる遺伝子の数は細胞の役割によって様々で、全部読みとられる必要はなく、たとえば数千であったりする。読みとりの開始位置を決める重要な化学物質(転写因子)が24種ほど分かっている。胚幹細胞のための読みとりはかなり端の方からだ。Oct314、Sox2、c-Myc、Klf4の4因子が必要なことが分かった。2年前にマウスを使いレトロウィルスを利用して分かった。ヒトでも同じ転写因子で行ける。この研究によりiPS細胞の増殖が可能になった。福岡伸一:「生物と無生物のあいだ」、講談社現代新書、'07の第14章「数・タイミング・ノックアウト」に、生命本来のプログラムである、時間軸に対して待ったなしの一方向性の分化から免れたES細胞の最初の誕生とその有用性について解説してある。ES細胞は器官の始源細胞だが、受精卵と違って、マウスならマウスという個体を作ることは出来ない。受精後すでに時間軸は動いてしまっているからだ。分化の途上この転写因子は次々に入れ替わって、器官形成のために読みとり位置を変えるが、元に戻ることはない。ここらはなんだかファーブルの昆虫記に出てくるドロバチの巣作りの本能行動と似ている。このハチは途中でファーブルが巣の一部を壊してもそれを修復することなく、残りの部分を作り終わって去ってしまうそうだ。つまり彼らの本能には逆戻り再構築のプロセスが入ってない。
- 山中教授らのiPS細胞分離は、今まで世界の分子生物学をリードしてきたアメリカが初めて遅れを取った瞬間であった。追いつけ追い越せの彼らの意欲はすごい。カリフォルニア州は3000億円/10年、マサチューセッツ州は1200億円/10年の支援を発表している。我が国は年10億円を決めたばかりだ。研究陣も中辻先生の研究室に14名、山中研究室に8名で、いつかのインタビューで山中先生がアイディアがあっても手が付けられない、その間にアメリカが実験を進めていると答えておられたのは本当のようだ。昨今の新銀行東京の1000億円食い潰しによる400億円追加投資要請は、東京都が中小企業への深情けを見事に逆手に取られたあげくの案件であった。東京都が一極集中で豊かな財政であることは分かっている。尻ぬぐい行政にばかり税金を使わずに、カリフォルニアの半分でよいから、前向きの案件にも潤沢な資金を投資して貰いたいものだ。3/11の毎日新聞に日本が有人宇宙施設「きぼう」に5500億円/20年を投資中だが、時代の進歩で、きぼうのコンピュータシステムは最新のパソコン1台に及ばないと冷やかしてあった。乱暴な比較だが、国家の知的財産となり国民が将来利益を享受できる種としては、(後追いから脱却できていない)宇宙よりも万能細胞である。5500億円の投資先を10億円の投資先と入れ替えた方がよいと思うがどうだろう。
- ウィルス研究所の松岡先生、放射線生物研究センターの小松先生、生態学研究センターの高林先生の講演もたいそう面白かった。もうかなりの字数になった。それぞれについては別途に私なりの感想を記述しようと思う。この3/8のシンポジウムの講演要旨は読売新聞に4月に発表されるそうだ。
('08/03/11)