コラーゲン

大崎茂芳:「コラーゲンの話〜健康と美をまもる高分子〜」、中公新書、'07を読む。筆者は根っからの高分子屋で、会社経験のある大学教授である。表題のコラ−ゲンは現在の医科大学に就職した後のテーマだという。私は根っからではないが、最後は高分子屋を自称していたから、生体高分子を研究対象としたことはないにせよ、まあ取り付きやすいテーマだと思って購入しておいた。
読んでみると、筆者の理学部高分子学科の学生時代から今日に至るまでの研究のあらましが分かるように著述されていて、引き込まれる。成果のエッセンスを要領よくくみ上げて幅広い総説に仕上げるのも一つの書き方で、世に言う大家の著作にはこの手が多いが、失敗談の多い、研究の試行錯誤の過程を公開する本書のような著作も、元来が研究屋であった私にはとても魅力的で、現役の人に読んで欲しい本と思う。研究の成否は、よく言われるように、まずテーマの選択時点でかなりの運命が決まる。次ぎに言わずとも知れたこと、創造力のあるなし。それから研究手段にどれほどのオリジナリティがあるかという問題。優れた研究を生み出す研究室には必ず余所にない研究設備と方法論があるものだ。筆者の業績が世界でどのように評価されているのか私は知らないが、改めて、研究成功の条件を思い起こさせた本であった。
大崎先生オリジナルのお道具は、マイクロ波偏波による高分子偏向測定法である。赤外線二色性を偏向測定に用いる方法は確立していて、私がいた実験室でも活用していた。赤外線を波長がもっと長いマイクロ波に取り替えたのが先生だ。測定資料に対する透過能がよくなって、厚くても色が付いていてもOKだ。局所点ではなく幅広面全体の傾向をみる測定に向いている。測定の対象は赤外では分子の官能基だったが、マイクロ波では双極子能になる。製紙会社ではこの研究が均質化に役立ったそうだ。伝統的には製品の物理的破壊試験で方向性を知るのだが、マイクロ波だったらオンラインで検知可能だろうから、自動化には役立ったことであろう。プラスチック・フィルムは先生と私との接点でもある。一軸あるいは二軸に延伸して、高分子を配向させ、軸方向の強度を引き上げる。でも融点以下の高分子を、機械操作で、思い通りに配向させ時には配向度を制御することは至難の業だ。私は現在のフィルム工業を知らないが、きっと先生開発の測定システムは有効に使われているに違いない。
膠は牛骨を水でグタ炊きすると得られる。法隆寺の建築に膠が用いられているのかどうかは知らないが、木材とのつき合いが長い我が国だから膠も長い歴史を持っているに違いない。骨はリン酸カルシウムとコラーゲンが主要構成物質だ。建物で言えば、前者がコンクリートで後者が鉄筋の役割を果たすのだろう。脊椎動物の骨はことごとくこの構成であるはずだから、コラーゲンの生命体との関わりの歴史は何億年にもなるのだろう。魚の煮汁の煮こごりは、魚の骨と言わず、皮膚と言わず、血管と言わず、内臓膜と言わずあちこちに存在するコラーゲンが、沸騰水に溶け出すときにバラバラに解け、それが冷えて固化したものだ。ゼラチンという。
コラーゲンは典型的な直鎖高分子である。一次構造は後述のごとくタンパク質としてはまれに見るほど簡単である。だがその高次構造は驚くほどに幾何学的に精緻に出来ている。まず三重螺旋構造であること。生命の基本であるDNAが二重螺旋なのに三重なのだ。3本はお互いに水素結合で緩く結ばれて三重構造を保つ。螺旋体の末端は非螺旋で自由に開いているが、ここでは3本の間にジスルフィド結合があって、3本が決して離ればなれにならぬようにスクラムを組んでいる。末端は他の螺旋体とアルドール結合で結ばれ、超巨大直鎖高分子として働くことが出来る。だから分子軸方向に強い繊維だ。
水素結合が破れるとコラーゲンの繊維特質が弱まる。血管や心臓のコラーゲン膜が繊維特質を弱めたら、生命体は直危篤状態になることは容易に想像できる。純水であれば、水素結合が完全に破れて気化が起こる温度が、常圧では100℃だ。だがコラーゲンのそれは結合力が弱くて39℃だという。今度の中国製農薬入り餃子事件で中毒にかかった子供は、一時体温が40℃に上昇し意識不明の危篤状態に陥った。よく助かったものだ。あらためて無差別テロといえる今回事件の犯人に怒りを覚える。製造現場の映像を見る限り、設備も衛生管理システムも完璧に近いが、手作業段階が数多くあるから、そのいずれかで行われた犯行だ。中国人の民度の問題、反日教育という思想の問題が背景にあると思うのは私だけだろうか。
コラーゲンを構成する主要アミノ酸は5種類という。プロリン、リシン、グリシン、ヒドロキシプロリン、ヒドロキシリシンだ。前3者は必須アミノ酸20種の中にある。DNAはそれらからなるプレコラーゲン風ポリペプチドの合成を指示し、そのポリペプチドの一部を酸化酵素の働きでヒドロキシ化する。ビタミンCがその際に必要という。グリシンは最多量で全体の1/3だが、ヒドロキシ化するのは前2者だ。ヒドロキシプロリンが三重螺旋化を担当し、ヒドロキシリシンが末端のアルドール縮合による長繊維化を受け持つ。コラーゲンは美肌に有効だとして、サプリメントとしてコラーゲンを摂取する美容食があるそうだ。でもヒドロキシ化アミノ酸残基のコラーゲン中の量はけっこう大きな割合なのに、合成原料のプロリンやリシンに転換されないから、それは単なるエネルギー源でしかないらしい。糖タンパクのようにタンパク質に糖鎖をぶら下げるようなケースはともかくとして、アミノ酸だけからなるタンパク質でも、DNAから造られた姿から変性されて存在する場合があるとは知らなかった。
も一つ重要な問題はアミノ酸バランスである。わかりやすい例としてリシンが取り上げられている。リシンは必須なのに、人体内では合成できないから、全くの外部依存で食事に影響されやすい。小麦はリシン含有量が低いという決定的?な欠陥がある。中国からパキスタンに至る麦作地帯では他のタンパク質をあまりとらないから、リシン不足が生活上の問題だそうだ。私は昔ドイツで工場実習を1ヶ月ほどやったことがある。彼らは昼飯にご馳走を食う。工場食は豪勢だった。でもパン(朝晩にはあった)が出ず、ジャガイモがその代わりであった。ジャガイモはリシン・リッチだ。また欧米人は肉類をごっそり食う。これもリシン不足から免れるために、自然とそうなったのではないかという。
出産は女の戦場であった。あの相対的には大きな胎児が、常は細い産道をよくも通り抜けられるものだと不思議に思っていた。鵜飼いで鵜が鮎を飲み込む。鮎が鵜の食道を通ってゆくさまが外から見える。蛇や鰐が自分よりも大きな動物を丸飲みする。出産とは反対に彼らの腹は丸々と膨れている。産道も食道も胃腸も破れたら生命一巻の終わりだから、コラーゲンが体内繊維としてがっしり守っている。でもゴム(エラスチンが対応している)とは根本的に構造が違う。コラーゲンの多分子が造る三次元構造体には配向性がある。延びなければならぬ方向には、分子は弱いファンデルワールスの力で結びついている。分子はその直角方向に分子軸を向けて、組織の原形を保つ働きをする。強度は分子軸方向が最大である。蛇のような円筒状の胴体だと、背骨側では骨に沿った長さ方向に分子軸を向けて、背骨を補強し外敵に対する防御を有利にしているが、凸凹地面と接触し、飲み込んだ獲物で膨らむ腹部では異方性が薄れている。
さて美容とコラーゲン。美容とは顔の美しさを指す場合がほとんどである。コラーゲンは真皮にあってその強度を保ち、エラスチンと共に皮膚をピンと張る役割を持つ。若さの秘訣は皮膚に皺を造らないこと。その人に多い表情は、やがてコラーゲンがその形に緩和することによりその人の顔になる(?私見であってそう本書に書いてあるわけではない。)。男は自分の顔を自分で作るとはこういうことを指すのではないかと思う。人間の顔の皮膚のコラーゲンを分析するわけには行かないから、本書の関連記事はどうしても曖昧である。でも一つだけ非常に参考になるデータがある。人の動脈血管を造るコラーゲンの年齢に対する配向度のプロットだ。加齢により配向度が落ちてゆく。これはもしも顔のコラーゲンも配向していて血管と同じ傾向を示すのであれば、年と共に張るべき方向の強度が落ちてゆくことを意味する。弛むのである。毛穴は配向の目安になると言う。実験データは牛革のものらしいので、いきなり人の顔には当てはまらないのかも知れないが、もしそうなら、老人と若者の髭面を比較すれば分かるはずだ。
皮膚の大敵は紫外線。南極上空のオゾン層に穴が空いたと大騒ぎをした時代があった。フロンガスは安定化合物だから、一旦放出されると永年オゾン破壊を繰り返す。オゾンホールは当面塞がらないそうだ。だが紫外線の影響は極端な人種格差を見せる。皮膚ガン罹患率でいうとオーストラリアの白人は日本人の80倍、米国の黒人は1/3倍だ。オゾン追放キャンペーンをプロモートしたのは白人種であった。日本もそれに協力して、フロン代替え物の開発と普及置き換えに大枚の金を使った。だのに温暖化問題についての最大炭酸ガス排出国アメリカの協力は得られない(これは本書と関係のない話)。紫外線を遮断するには波長と似たサイズの微粒子で乱反射させるか、紫外線吸収剤のクリームで皮膚を覆うかだ。吸収剤の開発は理論が分かっているから、種類は豊富にあると思う。近年注目のヒアルロン酸は化粧品として用いれると保湿剤としての効能を持つ。保湿剤になりうるものには他に各種のアミノ酸がある。ヒアルロン酸を美容食とする意味があるかどうかは、立証されていないと記述されている。コラーゲンを経口投与しても、体内で再構成されるかという問題に似ている。

('08/02/12)