江戸奉公人の心得帖
- 油井宏子:「江戸奉公人の心得帖〜呉服商白木屋の日常〜」、新潮新書、'07を読む。時代劇と言えばたいていお江戸が舞台だ。私は中身がどうであれ、登場人物の生活空間が感じ取れる劇が好きだ。例えば本書の終わりの方に出てくる浄瑠璃。若い者が仕事をそっちのけにして、たまり場で浄瑠璃を唸っている。奉公人のさぼり風景である。でも近頃の時代劇には浄瑠璃も三味線も滅多に出てこない。劇の展開をテンポよく見せるのはいいが、必要最小限の会話だけが優先し、職人が技を見せる余裕はないし、例えばそば屋の親父が流行の都々逸とか小唄をちょっと挟んで間を入れるような、粋な作り方をやらなくなった。独特の売り声で天秤棒を担いで通る行商人の寸景など、もうお目にかからなくなった。今の時代劇はちょんまげを付けた現代劇であるのが多い。そう言う目から云うと、「鬼平犯科帳」、「剣客商売」、「茂七の事件簿」、「御宿かわせみ」、「物書同心いねむり紋蔵」、「腕におぼえあり」あたりまではよかった。
- 1999年に閉店した東急百貨店日本橋店が、1662年に開店した白木屋日本橋店の最後の姿であった。白木屋当主が近江長浜の出身で、本店が京都にあったことは知らなかった。私は京都の出身だし、長浜には何度か出掛けている。でも知らなかった。昨年松阪に観光旅行した。そこには商人の屋敷が何軒か保存されていて、越後屋三井家屋敷跡の石碑もあった。三井家も京都に本店を構えて呉服商として大を成した。継続は力なりと云うが、両雄の現在の知名度が、継続に左右されたのは明らかだ。博物館で見る日本橋風景も三井中心で、店舗間取り図面もたいていは三井のものだ。
- 歌川広重の浮世絵「名所江戸百景」に白木屋が描かれている。堂々たる大店だ。描かれた時期から考えると、その頃の白木屋は塗屋作りになっている。2階部分や側壁部分には漆喰が分厚く塗られているようで、防火対策には腐心していたことが伺える。白木屋は10年に1度の割で、類焼に会い、長年の、防火構造としては最強の土蔵作りを止めた。火事と喧嘩は江戸の花故、類焼の確率が上がっても、手っ取り早く本建築が完成し、しかも土蔵作りよりは安上がりの塗屋作りを選んだ。私の記憶では、江戸の大火は年に3度はあったはずだ。消失後に必要な仮店舗や本建築用の資材はあらかじめ蔵に貯蔵してある。これは時代劇で知っていた。炊き出し用食材まで蔵に用意してあったという。もちろん火事と同時に奉公人は手分けして商品や帳簿類を蔵に運び密閉する。
- 最盛期には奉公人の数は190人ほどだった。それが18世紀後期で幕末混乱期の19世紀中期になると幾分減少するが、明治以降はまた繁栄を取り戻す。私は永年旧財閥系の会社に勤務したから、本書に書かれている江戸期の奉公の実態が何となく肌で感じ取れる。いつぞやNHKで、合理化合理化で仕事を中国に移す業務に精を出し、最後は自身の働き場を失って、自分を合理化するつまり会社を辞める人の姿を追っていた。新進の労働集約型の会社であった。あのような仕事ぶりの会社に勤めるサラリーマンでは、この本に籠められたメッセージは判らないし、興味も出ないのではないか。日本橋店は支店とは云え、他の江戸の白木屋店舗を監督する立場であった。江戸には日本橋店の他に富沢町店などの3店あった。経営不振の得意先を買い取ったりして増加したようだ。さて、190人は営業部と台所衆(男衆)に分かれ、前者がキャリアで、階級が子ども、若衆、手代、小頭(10人)、年寄役(組頭役)(5人)、支配役(3-4人)となっている。小頭以上が重役(管理職)だ。後者は文字通り食事を担当するほか、店内外の一切の肉体労働を受け持つ。そのトップは台所頭だが、キャリアの手代なりたて相当の身分だ。台所衆は下男と表現されることもあった。
- 支配役の代表は、京都に上って、当主に事業報告をせねばならない。最重要支店だから、今で言えば常務取締役ぐらいの支店長だ。彼はお眼鏡にかなうと、本店の最高幹部である勤番役・詰番役に選ばれる。彼等は副社長・専務取締役と言ったところか。あとの支配役はまあ平取だろう。年寄役の内2名が頭役で、その先任が全年寄役を率いる。旧軍の先任将校と云う思想と同じである。だから年寄役になると部長で、頭がつくと平取待遇である。小頭役が課長とその前後の管理職だ。小頭役に就任してからは毎年暮れに退職願を出す。1年契約というおそろしいほどの実力主義である。私の会社はそこまでは要求しなかった。係長就任あたりから選別は始まっていたが。年寄役以上は、退職すると暖簾分けが許され、別家、出見世衆になって、のちのちまでも白木屋との繋がりを保持できる。年寄役を44-5歳で辞めた例が載っている。この年齢の江戸期の平均余命は、21-24歳ぐらいと言う推計がある(鬼頭宏:「人口から読む日本の歴史」)。別家を建てて事業を興すに十分な時間があったのだ。家守という天下り先も用意されていた。白木屋は家屋敷を財産に持っていた。その管理人だろう。落語に出てくる長屋の大家、家主などとは格が違っていただろう。
- 小頭役まではほぼ年功序列であったという。新規採用は御当主出身地の近江が殆ど。11-2歳の子どもだ。支配役の3/4は近江人だったというから、子どもの近江出身の割合も推してしるべしだ。地縁、血縁のしがらみで奉公人の忠誠心を強制する。お店大切の忠誠心はあらゆる機会を捉えて奉公人に吹き込まれる。本書のネタとなった白木屋古文書に就業規則となって書き残されている。奉公を始めると、旧日本海軍の月月火水木金金つまり年中休暇なしの仕事が待っている。キャリア組は大変だ。昼は実務について先輩に絞られ、店が閉じたら勉強会が待っている。算盤に読み書きは当然だが、帳簿、手紙、符牒、隠語、役儀祭儀慣習の習得、商業のK/Hと励まねばならぬ。符牒というのは数字をイロハで置き換えた暗号だ。値段は従業員だけしか判らないようにしてある。むかしNHKドラマに「花へんろ」と云うのがあった。四国の田舎町の戦前風景だった。品物の原価を符牒で示していた。正札店頭表示はそう昔の話ではない。
- 店は完全な男所帯で店で全員が寝起きする。妻帯は許されない。軍隊と同じだ。服装・所持品を見れば地位から勤続年数まで判る。プライベートな時間空間などほとんど無い。「鬼平」で主人が手代の所持品改めをやるシーンがあった。あれは本当のことらしい。お店は店の信用が傷つくのを極端に嫌う。だが、育った環境から見れば目もくらむほどのお金が周囲に満ちている。不心得者が絶えない。だから店では、その度毎に臨時の警察組織を作る。4百何十両を盗まれながら、所持金没収で内々に治めた例が店の犯科帳に残っている。奉行所の手に掛かれば、10両で首が飛んだ時代である。「物書同心」にも、12両盗んだ仲居の処置に似たような話が出ている。奉公人が給金を頂けるのは、店が執り行う15歳ごろの元服以降である。「二十四の瞳」で、子どもが(兵隊では貰えないが)下士官になったら月給が貰えるという。ここらも旧軍のシステムに似ている。まず年4両。大坂の大きな旅籠の住み込み女中が2両という記載を見たことがある。支配役では10両。意外と格差がない。退職金は23年以上勤務で50両、支配人退役では100両。殆どは20歳代後半から30代ぐらいでお店を辞めて結婚した。50両以上手にした人は少ないはずだ。
- 小学校6年生ぐらいの子が、親元を遠く離れて、年長者に囲まれた共同生活をせねばならない。奉公をギブアップする人数は2年目がピークだそうだ。私は戦中に集団疎開した。同じ年頃だった。身につまされる。ものの3-4ヶ月で集団脱走事件が起こっている。これは我々だけでなくあちこちの小学校で起こった。2年と3-4ヶ月の差は我慢力と距離輸送手段の差である。でも辛抱を重ねて20歳になると、京都本店出張、旦那様への挨拶という行事がある。手代登用予約で、まあ社長が辞令を交付するような行事らしい。それがすむと待ちに待った錦を飾る里帰り。最初は全50日の旅程。公用だからか、旅装から行きと戻りの土産物まで、全部規定されたとおりにやらねばならなかった。旅中の指揮系統にも決まりがあった。こんな京都登りが3度ある。その他に円満退職時の隠居登りがあったと書かれている。月月火水木金金だと書いたが、息抜き日はほかにも町やお店の祭礼、仏事とか儀式とかの形でやって来る。1月の祭礼だけでも5件あった。山王祭は町ぐるみで、宵宮の正午には店仕舞いをして、準備をやり、当日はお客とその接待で、奉公人はてんやわんやになる。普段は飲酒禁止でも、最後はお相伴や打ち上げ会で悪酔いするやつも出たようだ。
- 住み込みで女気なしでは身が持たぬ。なかには悪所通いに精を出すものもでる。江戸の男女比率は極端にいびつで、記憶では男が6-7割だったと思う。理由は江戸が政治府で、単身赴任の勤番侍が溢れていたからだと聞いた。しかし白木屋のような大店も結婚を許されぬ野郎を大勢蓄えていたのだから、その一因になっていたわけだ。そんなわけで遊廓、茶屋、湯女風呂、岡場所ほか諸々のいかがわしい男精力の処理場が繁盛した。既出の盗人奉公人も新吉原にはまったのが運の付きであった。大火で女郎も仮住まい、お店の仮普請開業と大繁盛でさすがの小頭も目が行き届かない。そこで魔がさした。吉原通いとなると大金が要る。馴染み金だけでも3両2分払ったとある、相方は上玉だ、贈り物に豪華な衣装、手引き人から世話人にまでお金をばらまき、おまけに自身も若旦那風に拵えねばならぬ。
- 本書のかなりの部分は呉服屋商売のK/Hに関する詳細である。掛け売りは忌み嫌われているがどうしようもなく発生する。「剣客商売」に金貸しの借り手の侍に対する述懐が出ていた。借りるときには卑屈なほどにへりくだるが、返済の段になると居丈高にはねつけようとすると。回収には手練手管が必要だ。そのコツがあんちょこ(虎の巻)の中に残っている。掛け取りの手代の中には、神仏に願掛けに出たものもおったという。高級呉服の仕入れは京都本店が行うが、関東の地場製品は日本橋店で行う。その記事は当時の関東地方の織物産業の、物通を含めた様子を知る上で参考になる。
('08/01/25)