新書ヨーロッパ史 中世編

堀越孝一、河原温、甚野尚志、関哲行、近藤寿良:「新書ヨーロッパ史 中世編」、講談社現代新書、'03を読む。主文である概説の著者は堀越氏で、あとの4名は特論という形で本書に参加している。長い間ご無沙汰だったヨーロッパ史のうち、古代部門は、主に塩野七生:「ローマ人の物語」を読み通すことでなんとか判るようになった。この物語は西ローマ帝国滅亡までである。だからそのあとの歴史を、何らかの形で纏めて勉強したいとは思っていた。
地上波がデジタル化し、プロの目を通した映像が、よりリアルに、我々のお茶の間に届くようになった。中世史については東ローマ帝国に関する真面目な企画が民放TVに流れたし、ジャンヌダルクの活躍と処刑、十字軍に象徴される東方のイスラム教徒との抗争、スペインにおけるキリスト教徒のレコンキスタ(再征服運動)など部分的な華々しい事件についての映像的紹介もあった。
NHK「世界ふれあい街歩き」でルーマニアのシギショアラが紹介されたことがある。吸血鬼ドラキュラの生家があるので有名な街だ。その番組の中にドイツ人の教会が出ていた。シギショアラは12世紀にドイツ人入植者によって建てられた城塞都市という。2次大戦敗戦でドイツ人の追放があり、もう500人ほどしかドイツ語民は残っていないと云う。同じNHK「探検ロマン世界遺産「黄金の秘宝 天を突く大聖堂〜ドイツ・ケルン〜」」では、13世紀に着工されながら宗教改革に遭遇し、寄付金激減のため、200年間中断された経緯が述べられた。余談だが、寄付金集めを主に聖遺物開帳に頼っている。わが国でも秘仏開帳で寄付金を集めたからその類似性が面白かった。これらの他にも観光地紹介番組で、ヨーロッパ各地の中世遺跡を身近に感じることが出きるようになった。
概説を読みながら、本書は堀越氏の筆すさびと言った類の書だと思った。少なくとも一般相手の教養書ではない。片仮名が多い。多分文字数にしたら全体の1-2割を占める。大半が地名と人名である。まず地名。時々の地図は挿入してあるものの、古名でトレースするのは大変だ。初期は支配民族部族が流動的である。だからローマ植民時代そのままなのは希少で、絶えず揺れ動く。現在のヨーロッパの都市名だって中小都市になると地図が要るのだから、なかなか歴史に遊ぶなんて云う気分にはなれない。地名の由来や言語発音の変遷の説明を受けてもまず現在名に結びつかない。教養のあるヨーロッパ人なら、これらを結びつけることにより、ハッキリ簡単に記憶できるのであろうか。人名は地名に輪を掛けて記憶困難である。記憶術では取っ掛かりの連想対象を持つといいという。だからか、語学として学んだ言葉の人名はまだましだ。
例えばフランク王国史、神聖ローマ帝国史と言った具合に、ちょっと小さい単位にして書を選んだ方が良かったような気もする。高坂正堯:「文明が衰亡するとき」を頭に置いての発言だが、視点のある書を求めるべきであったかも知れない。あの本は名著だった。王権、伯権、候権とか言った言葉がしょっちゅう出てくる。ほかに首長とか領主というのがあって、関係がよく解らない。家格がこの順序になっていて、上位の家格に臣従の形を取っていたようだが、伯と候の間も臣従関係で結ばれるのか判らなかった。臣従と言ってもどれほどの指揮権が上位にあるのか極めて微妙だ。王権の授封者はイタリア半島では法王で、その他の地方ではどうも皇帝のようだ。その一方で頂点に立つ人を入れ札で選んでいる場合がある。
規模が大中小、期間が300年を最長とする長中短のさまざまな戦いが全ヨーロッパで絶えず起こっていて、中には熱くない戦争もあったようだが、ヨーロッパ中世とは戦国時代であったのかと思うほどで、本当はどんなのか判らなかった。ジャンヌ・ダルクもちらと顔を出す。冒頭のパリのカタコンブが石切場のあとで、その石は防壁や建造物に使われた話は、TVに紹介されたことがある。ローマの末裔たちが異教徒フランク族からパリを護るために役立った。こんな断片的な逸話は頭に結構入るが、概説そのものはなかなか入らない。まあ泣き言を言えばきりがない。本書の中世は西ローマ末期からルネッサンス期あたりまでで、5~15世紀の1000年を中心に扱う。だから普通は中世末期に入れる宗教改革は入口止まりで、ケルン大聖堂は出てこない。
ベネルックス3国は、大国の狭間にありながら、ユニークな活動で西欧に重きをなす。概論の最後の方は、その起源を示唆する内容で興味を引いた。示唆すると書いたのは、本書が中世史で近代史ではなく、著者は近代との繋がりを全く説明しないから、読者は、自前のおぼろげな断片的知識をつなぎ合わせて、憶測する以外ないからである。フランス王国にも神聖ローマ帝国(ドイツ王国)にも臣従礼を取らない第3の勢力として、ブルグーン家が台頭して行く様を述べてある。現在に残る時代の痕跡がルクセンブルグ大公国である。p.145の地図は多分15世紀末頃の勢力図だろう。その中のルクセンブルグは今の2-3倍の領地だ。今が佐賀県ぐらいの広さで、江戸時代の佐賀県の石高は6藩合計で40-50万石というから、昔のルクセンブルグ候は100-150万石の大大名だ。彼は有力領主でもっと小さいのが多い。結局当時の西欧は経済規模では江戸時代の諸大名とさほど変わらぬ領主に治められていたということか。ハプスブルグ家の起源がスイス・ライン寄り山地の小さな城持ち大名で、ドイツ王選挙の時に、有力大名がロボットに使うために推挙したのが運の付き初めだというのが面白かった。
石高は米の生産能力を基礎としている。小麦大麦のヨーロッパではちょっと様子が違う。麦の収穫率(単位面積あたりの収穫量)は米の半分程度だし、収穫倍率(種籾に対する収穫量)は米が中世で10ぐらいなのに対し、麦はヨーロッパでは3程度だったと聞く。農本時代である。経済力は日本の100万石はヨーロッパでは15万石だったと言える。体格差による消費量差を考えると、ヨーロッパは日本の1/10程度の人口密度がやっとではなかったか。特論Tに14世紀の大都会が5万人程度と書いてある。徳川期の江戸、大坂、京都の3大都市の平均人口は多分50万そこそこであった。奇妙に比率が一致する。数量歴史学といものがあるのかどうかは知らないが、当たらずとも遠からずの数値での比較は、現在から過去を見る、ことに外国のそれを見るときには大切だと思う。残念ながら本書にはその視点がない。
特論Tには中世の農村や都市の生活状況が描かれている。修道院が開墾事業を先導し、農業の技術進歩に貢献した。あの頃のヨーロッパはブナ、オーク、ニレ、モミ、ポプラなどを中心とする大森林地帯で、童話にでてくる狼の住むアウトローの世界であった。現代アマゾン川流域の森林伐採が炭酸ガス吸収能の関連で問題となっているが、ブラジル国民から見れば、昔、君らがやったことを今僕らがやってなぜ悪いということだろう。特論Tは中世人のおおよその息吹を感じさせる内容だ。これを本書の冒頭の章とすべきであった。
特論Uに教権と俗権の抗争史が要領よく纏められている。素人の読み物として好適な文章の例である。すくなくとも11世紀中頃までは、王権を初めとする俗権が優性で教権はその庇護下にあった。11世紀後半から教会改革、十字軍遠征の実行などを通じて、教皇権がときには俗権を凌駕するようになる。カノッサの屈辱は象徴的出来事と言えよう。12世紀から13世紀中頃にかけてがその最盛期だ。しかし俗権側もことにイングランド、フランスにおいて行政機構の整備、軍備の増強を通じて強力化し、双方の力関係は逆転する。教皇のバビロニア捕囚時代はその端的な現れである。
特論Vはヨーロッパの少数派ユダヤ人の受難史である。ローマ帝国に反抗して敗れ故郷を追われた彼等は、スペインからポーランドまで広く西欧に散らばった。共通の敵を持つ間は、多数派のキリスト教徒が共存の関係を保つ道を選んだが、緊張が解けるとユダヤ人はキリスト教徒の目の敵になった。キリスト教はもともとユダヤ教の1分派だ。イエスとその言動である新約聖書をどう見るかが分かれ目だが、旧約聖書は共通の聖典である。なぜすざましい迫害が起こるのか。彼等は孤高を選んだ。彼等だけの住居区、自治組織、宗教、ヘブライ語混じりの言語、ほかなにもかもが周囲と異質で、溶け合わなかった。目立って有能で高利貸し、徴税役人など嫌がられる職業に就くものも多かった。いろいろ拾えるが、互いに、神仏混淆などおおよそ発想の外にある、一神教徒の異端徹底排除思想が根底にうごめくための悲劇であると思える。西欧のユダヤ人は、追われ追われて中世末期にはポーランドや東欧諸国に集まるようになる。ヒットラーのアウシュビッツ収容所の背景はかくも根深い。イギリスなど真っ先にユダヤ人追放に立ち上がった国であった。非キリスト教徒のスラブ人は奴隷にしてよいという1行が、中世にはまだスラブ人は教化されていなかったらしいことを示すし、非キリスト教徒に対する非人扱いの根深さを物語る。これはやがて植民地人非人間扱いへと繋がる。スペインのイスラム教徒はユダヤ教徒追放の後すぐに一掃された。今はもうほとんど残っていないのではないか。
特論Wでは中世の秋・ルネッサンスの始まりの頃の日記メモから、人の心の移ろいを見る。それは「年代記」と「覚書」と呼ばれる、候国およびフランス王国の政治の中枢にいた人物の手になる一級歴史資料である。15世紀後半にもなると、観念とか信念とか理想とか言った先入観よりも、事実立脚の実証形思考に変わってゆく。

('07/12/26)