ヒンドゥー教
- クシティ・モーハン・セーン:「ヒンドゥー教〜インド3000年の生き方・考え方〜」、中川訳、講談社現代新書、'99を読む。原書は'61年出版である。私は祖先代々からの仏教徒の筈ではあるが、信仰心という意味では、至って冷淡に過ごしてきた。無関心であったわけではない。私のHPから「仏教」を検索してみると50件を超える雑論が出てくる。仏教の出自がバラモン教で、インドでは今もバラモン教を受け継いだヒンドゥー教の一分派として扱われていることは知っている。宗教書は、私のようなものにとって一般に、最も理解困難なカテゴリーに属するのだが、著者はまえがきの中で、ヒンドゥー教徒でない外国人に対する解説を心掛けたと云っている。あるいは私にも多少は理解できる本になっているのかも知れない。
- ヒンドゥー教はキリスト教あるいはその他の一神教とはいろんな点で好対照である。偉大な超人にして開祖であり、絶対神と化したキリストに比すことの出来る神は、どこにも見当たらない。すべての規範の拠り所になる聖書に相当する経典も見当たらない。ヒンドゥー教を作り上げてきた聖者、聖者が残した諸文献が万巻の経典になり、教えを説く専門の僧職グルは、己の信ずる教条を選んで日々の信仰の拠り所とする。教えを遡ると六派哲学に至るが、厳密には1人1派をなし、おおよそ宗教派閥間戦争など遠い存在である。私の今までの理解も入れて記述してみた。それでいて厳として一つの宗教である摩訶不思議な実態と言えるのだ。
- アーリア人の侵攻により非アーリア人の古代インダス文明国家は滅んだ。ただし考古学的証拠からは侵攻による滅亡は証明されないようだ。'00年の夏にインダス文明展があった。その感想文をこのHPに載せている。ヒンドゥー教には前者の供犠、後者の禁欲や出家の思想の共存が見られる。知的階層は神に近づく方法に知識を重んじるが、貧しい衆生の選ぶ道は信仰である。私も含めての大きな誤解はヒンドゥー教が多神教とする点だ。真実は唯一神が衆生の願に応じて化身の姿を変えて現れていると云うことだ。働く時期−家住期−が人生の最も重視せねばならぬ時期としているのは健全である。学んで働いて私は今は引退している。この教えでは、この時期には物質世界から解脱し、出家遊行の上無私の奉仕精神を持つまでに、わが心をaufhebenせねばならぬ。どの宗教も理想とするところは高尚である。
- インド最大の難問がカースト制であることは、誰もが認識するところであろう。征服者の狩猟民族アーリア人が、上層支配階級となって、文明の民・ドラヴィダ人を統治するための巧妙な機構として編み出されたとするのは、外国人の邪推ではなく本当のことだろう。我々は古代インドの宗教をバラモン教と教わった。本書ではバラモン教は特別の区別をされておらず、強いて云えば古代ヒンドゥー教と言う位置なのであろう。バラモンがカーストの最上位を示す言葉であるから、宗教とのカーストの関連は根深い本質のものである。古代以来実質に社会を支配し続けたのは第二階級のクシャトリヤだろう。バラモンが世襲のものでなく、たまに最下層から聖者が出ても、それは絶好の支配への言い訳であったろう。時代と共に、我々の江戸時代のように、身分固定による文明の継承と社会の安定のためにも、活用され続けたであろう。カースト間の結婚が文学の種になる事件であったことも、我々の封建時代との類似性を彷彿とさせる。
- 多様性の説明に慣習と祭りが上げられている。朝夕の家庭で行う勤行を入れなくても、365日ひっきりなしに種類の異なる祭りと慣習があって、各個人、各寺院は自在な選択が許されている。数々の神像も、偶像が象徴する背景の神−全能の絶対者−への祈りに集中するために望ましいからだと云う答弁が紹介されている。「(絶対)神にいたる(選択自由な)「多くの道」の観念がヒンドゥー教に無限の多様性を与えている。ヒンドゥー教には、一元論、二元論、一神教、多神教さらには汎神論にいたるまである。ヒンドゥー教は思想に関しては絶対的な自由を与えるが、行為については厳格な規律を課する。重要なのは行為であり信仰ではない。この教えに従うものは、たとえ有神論者、無神論者又は不可知論者であっても、すべて同じくヒンドゥー教徒であり得る。」折角一神教だと断ったのに、こんな注釈をつけられると、たちまち当方は混乱してしまう。土俵際に来てうっちゃりを食ったような気持ちだ。ここで「第一部 ヒンドゥー教の本質と教え」が終わる。本書は2部構成で以下は「第二部 ヒンドゥー教の歴史」である。
- ブッダ(前5世紀?)の前にある聖典はヴェーダ、ウパニシャッド、ヴァガヴァッド・ギーターである。ヴェーダは前2500年から遅くとも前2000年には原型を整えていた。ウパニシャッドは大部分が前800年頃かそれ以降の成立と考えられている。三つ目については記載がないが、ウパニシャッドと同じ頃らしい。ヴェーダは口伝の天啓文学で、侵攻アーリア人の持ち込んだ供犠の儀式を中心にした祭祀の書である。自然崇拝の多神教的教義が「実在は一にして、賢き人々はそれを種々に呼びなす」と一神教思想へと進化発展する。仏教、ジャイナ教など非正統(!)宗教に見られる非暴力、不殺生の教えは後世に勢力を持つに至った。今のヒンドゥー教に有力な苦行、出家遊行、禁欲と言った観念も非ヴェーダ的思考だ。にもかかわらず彼等はヴェーダの教えに従っているという考えを固守している。ヴェーダの時代には、非アーリア人は祭祀からも教育の場からも閉め出されていた。
- ウパニシャッドの時代になると二つの文化と哲学の大融合が行われる。人は絶対者の顕現であり、輪廻を繰り返すことにより自己の真実(梵我一如)の認識にいたると説くがさて何のことだか。人は万物創造の神のある一瞬きまぐれの産物だから、たゆまず神にいたる道を転生を通じて繰り返し探求すれば、生みの親の真理(神)に近づけるというのであろうか。我々のすべての苦しみや束縛は、自己の無知のためである。ゆえに人は、増悪、傷害、貪欲にうち勝つような正しい知識を追求しなければならない。梵我一如説を行為と道徳規範に重点を置いて説くのがバガヴィッド・ギーターだ。今や人間中心の教典になっている。
- キリスト教のニケア会議で、アリウス派が異端として追放されたのは有名な史実である。アフガニスタンとタジキスタンの国境に沿って川が流れている。川を遡ればやがてパミール高原にはいる。NHKの旅番組でそこらの生活事情を見せてくれたことがあった。教会はアリウス派だと云うことであった。(本HPキリストの勝利V)。アリウス派は辺境の地に生き延びていた。ヒンドゥー教には異端を処罰し追放するという姿勢がない。各宗派各学派が互いに多分ヨーロッパ人には信じられぬほどに寛容である。世の中にこれほどに和平を実践した宗教はない。中央にデンと巨大電子計算機が座っていて、末端の要望に応えまた統御するのではなくて、無数のパソコンがそれぞれの能力でネットワークを機能させて行くのに似ている。非正統教義も活動も次第に互いに影響しあって大きな流れとなってヒンドゥー教を変革する。その筆頭が仏教で、ジャイナ教からヨーガ行者他諸々の例が示されている。中には現世快楽主義とも受け取れる順世派というのがあって、それまでのヒンドゥー教哲学とは根底から対立する唯物論を唱えている。
- ラーマーヤナ、マハバーラタは叙事詩である。紀元後数世紀に文字になったが、その起源は前1千年紀に渉る展開だという。親しみやすい宗教物語で、民間への流布に、神が人間の姿をとる化身思想を武器としている。化身は神の反面人間の弱点を持つ魅力的な存在で、刷り込まれた道徳規範が則行動規範として民衆を感化した。他にもいくつかのプラーナがある。本来は民間の古譚とか古伝説である。唯一神の気まぐれな化身として世界が表現される場合が多い。
- 篠田謙一:「日本人になった祖先たち」は、インド亜大陸人のミトコンドリアDNAは、ドラヴィダ人系もアーリア人系も、他地域とは独立したグループを作っていると書いている。最初の東南アジア人はおそらく亜大陸を通って到着したのだろうが、その後の人的交流はなかったのであろう。東南アジアの宗教事情からはヒンドゥー教に仏教が重なり、さらに後世にイスラム教が進出するという複雑な歴史が読みとれる。13世紀以後のイスラム教化はインドの通商商人がイスラム教徒であった事実から来たとある。インドネシアのバリ島人が、周辺のイスラム教徒の中にあって、ヒンドゥー教徒であり続けているのは示唆的だ。わが国の佛教同様にヒンドゥー教も、それが強みでもあり弱みでもあるのだが、土地の事情を反映しつつ独自の発展を遂げた。
- 近年に我々を驚愕させた寡婦焚死の習慣は、聖典では一切認められていない。牛の神聖視も名高い風習だが、その起源も明らかでない。本書の特徴は民衆ヒンドゥー教に多くのページを割いている点だと解説者は云う。教義に関する知識とか、祭祀儀式とかからの信仰ではなく、ときには土着自然宗教から出てきたような、具象的で分かり易い信心:「バクティ」の系譜が有力だ。奈良平安の仏教は貴族仏教であったが、やがて踊り念仏から南無阿弥陀仏の庶民仏教へと広がる、わが国の仏教事情と通じる展開があったのであろう。神像の踊る姿でわが国にも有名なシヴァ神のほか、ヴィシュヌ神が化身として著名な対象である。バクティ信仰は非アーリア系譜らしくカースト制に批判的である。
- わが国にはまだよく知られていないバウル運動というものがある。ベンガル地方に根付いた。社会的には最下層に属するヒンドゥー教徒、イスラム教徒に多い。寺院すら否定する極端な単純な生き方を理想とする口伝えの信仰だそうだ。カーストも特定の神も祭礼の儀式もすべて否定しているという。はなはだ把握しにくい存在らしい。
- 12世紀終わり頃からイスラム教中世神秘主義がインドに浸透し、ヒンドゥー教の特にバクティ運動に大きな影響を及ぼす。共通点が多かったのである。この神秘主義は、イスラム教の中では異端として迫害を受けた一派である点には注意しておく必要がある。シーク教は15-16世紀に成立した。カースト制は明確に否定された。偶像崇拝、出家、ヨガ、苦行、儀式も否定された。インド、パキスタン分離の際にインド所属を選んだが、黄金寺院襲撃事件、インディラ・ガンジー首相射殺事件など一時は周辺のヒンドゥー教徒と刺々しい関係にあった。西欧文明、イギリス植民地化で多くの改宗者を出すと共に、ヒンドゥー教改革運動も盛んになった。復古運動と共にキリスト教の思想を取り入れる運動もあった。民族独立運動の精神的支柱であったことは疑いない。インドが多民族でカースト制という火種を持ちながら、なおかつ一つに纏まった民族のアイデンテティは、彼等の包容力豊かな宗教の中に存在した。
('07/11/14)