風林火山
- 井上靖:「風林火山」、新潮文庫、'58を読む。もう90刷である。カバーに井上靖の本として15冊がリストアップされている。内4冊をすでに読んでいる。私にしては多い。書きぶりに親しみが持てる作家なのだ。ついに受賞は成らなかったが、ノーベル賞発表の時期になると記者が集まったと云うから、文豪の域に入った人と周囲は認めていたのであろう。三船敏郎が勘助を演じた映画は今ひとつ感心しなかった。彼は黒沢監督でないと駄目な人なのではないかと思ったことを覚えている。この5月に山梨県立博物館で、NHK大河ドラマ風林火山特別展「信玄・謙信、そして伝説の軍師」を見た。勘助が実在の人物であった唯一の証拠文書が展示されていた。大河ドラマになるぐらいだから、長編小説かと思っていたが存外に短い中編小説である。ドラマでは謙信も出てきた、由布姫、於琴姫も出そろった、そろそろ原作を読む時期に来たと感じたのである。
- 大河ドラマは45分X49回。この小説だけではエピソードが足らない。随分と脚本家が挿話を書き加えた。晴信(信玄)の父・信虎駿河追放は既成事実として小説に出てくるが、ドラマではそれにいたる経過が詳しく演じられる。武田随身前の勘助の女模様は小説には一切触れられていない。小説には晴信の正室三条氏は嫉妬深い女としてあるが、ドラマでは公家の出身に相応しい、大らかに人を包むような穏和な性格に変わっている。諏訪頼重は剛胆さが武田側に疑われ甲府訪問の帰途に暗殺されるのが小説だが、ドラマでは凡将で、関東管領上杉家と独断で和議に応じたことを理由に武田に攻め込まれ、謀略に引っ掛かり、降伏の後甲府で切腹させられる。史実はドラマに近いようだ。小説の芯の一つである晴信に対する由布姫の愛憎を描くには、どちらの道具立てでも良かった。
- 信濃は戦国時代のその頃も群雄割拠状態が続いていた。だからこそ、そこそこに強大になり始めた隣国・武田や上杉の絶好の草刈り場と狙われた。勘助の述べる「ここ10年は三国(甲斐、駿河、相模)の同盟を」は、駿河には西への野望、相模には関東北方への食指を見越した戦略として当然なのだ。彼から見れば弱肉の地帯だ。別に軍師でなくても判っている情勢なのだから、ドラマを理解させるために、そのナレーションを武田の伝統的侵略戦法の解説として入れて欲しかった。彼は婚姻関係を強化手段としようとする。さて群小領の一つ志賀城は、晴信が北信濃の雄・村上義清と上田原の合戦に及ぶ前に陥落する。城主・笠原清繁は討ち取られ、妻・美瑠姫は武田の武将の妾とされる。戦国期の敗者は女子供に至るまで戦利品で、奴隷として売買された。史書に残っている挿話である。「ローマ人の物語」に再々出てくる事態とよく似ている。小説には志賀城の名だけしか出ないが、ドラマは美瑠姫の怨念の籠もった行動を追う。
- 上田原の合戦は史実は村上方の勝利とするが、小説では武田に軍配をあげ、ドラマでは村上にやや歩があったような描き方だった。上杉憲政との大戦は史書には小田井原の合戦として残っている。憲政が派遣した志賀城援軍が敗れた一戦だ。小説では笛吹峠に場所が移され、志賀城とは無関係に大軍が対峙する。ドラマでは真田幸隆の砥石城奪取が華やかな話題だが、創作のようだ。話題の前後関係は縦横に都合良く変更されている。
- 笛吹峠とは詩情を感じる地名である。埼玉県の嵐山町と鳩山町の境界あたりにその地名がある。「いざ鎌倉」の旧鎌倉街道が通る。古い地名らしい。源頼朝の御家人畠山重忠の城館跡が嵐山に残っている。戦場として考えるのにまことにロマンチックで好適な位置だ。だが関東に入りすぎているので疑問に思い、前後を読み直す。諏訪駐屯の板垣信方軍が小諸の追分経由で笛吹峠に急行している。だから上記同定に間違いはない。どの道を通っても諏訪からは峠を二つ越えねばならぬ。和田峠、碓氷峠の中山道を経て関東では山よりの道を選んだのであろう。小田井原なら同盟の志賀城近くで、碓氷峠から上杉が侵攻するのにあまり不自然さはないが、笛吹峠(推測通りだったらだが)は武田にとってあまりにも危険な戦場で、井上さんの想定は理屈に合っていない。勘助の越後潜入は小説にない。
- 後半は長尾景虎改め上杉謙信との抗争が中心になる。ドラマの方はあと12回を残す。次回が村上討伐ゆえ、ドラマの4/5の時間を謙信との対決に至る経過説明に費やしたことになる。前回では小説にない関東管領家の没落の次第を見せた。史実に基づいて描かれている。勘助が信玄に仕官してから川中島の決戦で戦死するまで20年を経過していた。父・信虎の時代から信濃侵食をやっていたのだから、武田家の信濃に対する野望は、30年掛けてもまだ北信を未平定に残していたこととなる。決戦の基板を固めるために最後の有力敵対大名・木曽氏には打ち破って後に、正室の生んだ次女をその長男と結婚させ親族化する。歴史に残る名将といいながらこの遅さは何によるものか。山を削って流れる急流がところどころに作った小盆地毎に領主が並び立つ。大軍は動かせないし、騎馬武者も活躍できない、勝敗は白兵戦にかかっている。地帯全体にバランス・オブ・パワー感覚が行き渡っていて、一方に集中すると反対側の隙間を攻撃される。征服しても面従腹背でいつ離反するか安心できない。私は関東に移ってから折に触れ信濃を訪れた。平野部とは訳が違うのだと勝手に納得する。
- テレビ東京12Ch.「何でも鑑定団」に勘助書状が出た。勘助実在の二番目の証拠となるかと興味を持って見た。侍大将クラスに宛てた出陣確認状のようなもので、類似の書状を長浜の郷土資料館で見ている。秀吉の花押のある、土地の土豪に当てた出兵命令書だ。兵の質と出兵の時期を指定している。残念ながら江戸後期の品と云うことだった。本物が何度も書き写されて今日に伝わったのか、そもそも偽物であったのか判らない。
('07/09/17)