学生がくれた勲章

 学生に講義を最後まで聴かせるのは大変難しい。私は合間に脱線を入れて学生に一息つかせる手を使っていた。教官の研修会でその脱線小話を纏めて紹介した。評判は悪くなかった。結構今でも通用する内容もあるし、時代遅れを感じるものもある。10年も昔の話である。忘れかけていたが、そのときのメモがたまたま出てきたので再録する。多少注釈を付け加えたものもある。
1. 逆評定本邦初演と後日談
欧米では当たり前に行われていると云いますが、「三歩下がって師の影を踏まず」なんて思想がまだ気息奄々ながら生き残っていた当時の日本では、学生が先生の勤務評定をするなんてな発想はそれ自体不遜と受け止められたし、ましてや実行はとても勇気が要ったそうです。やったのは早稲田大学法学部自治会の学生で、本邦初演だったものですから、マスコミの話題(朝日新聞、アエラ)になりました。逆評定の結果は先生方にも配られたのですが、学生の心配とは裏腹に、先生の中には結果を尊重して講義内容を手直しする人も現れて、まずはめでたしめでたしで終わったのであります。これには後日談があります。彼は卒業してから大学院に行き修士論文を提出した。彼の論文はしかし通らなかったのであります。めったにないケースだそうで、私は一瞬そのとき仇を取られたのだろうと思った。その学生に私は言いました。「論文の出来が悪かったのだろう」と。しかし一般論も付け加えました。「教養の高い相手ほど出方は陰湿になるよ。」
2. 学生がくれた勲章
早稲田で行われたのを聞いて私も学生の声を聞いてみたくなった。自主的にやってくれたらいいのですが、そんな雰囲気は学生にないので、こちらからけしかけて授業時間中に書かせてみた。あんまり参考になるのはなかったが、一つだけ気に入ったのがあった。それには「この先生(私)は脱線ばっかりだ」と書いてあった。そんなことはありません。私は真面目な方で、95%までは専門の話で埋めております。教壇から見ていると、その学生は私が専門を語っているときはいつも居眠りしていて、息抜きの話をするときだけ目を開けていると言うタイプでした。私は企業の経験で、自分の先端技術の話は、三年の命であると承知していますので、むしろ人生哲学をと、講義の合間に、自分の人生で経験した事件の中から、これからの若人に役立ちそうな小話を挟んでおりました。専門の講義は耳に残らなくても小話が残っていたと知って「勲章を貰った」と感じたのであります。上記逆評定の話もその一つです。以下なるべく新しい話題で時間の許す範囲で紹介します。
3. 女(の子)にもてた話
残念ながら私は妙齢のご婦人にもてた記憶は皆目ございませんで、題の女の子は全くの女の子で、幼稚園程度の子供のことであります。私が九州大分におりました頃、ある休日町中をぶらぶらしておりましたら、小さい女の子が二人肩を寄せ合うようにして、しくしくやっているのに気が付いた。当時私は会社で冠婚葬祭を担当する立場でしたので、ついついそちらを向いて職業的笑みを送りました。すると女の子は藁をも掴みたい気持ちだったのでしょう、駆け寄ってきてわんこらわんこら大声で泣き始めた。私は当惑しましたが、乗りかかった舟で、ともかくどうしたのと声を掛けたが一向に答えない、泣くばかりである。私はそのときハッと気が付いた。急いでしゃがみ込んで相手の目線より下から問いかけてみた。話は簡単で要するに迷子であった。きっと家を探してあげるから、捜せなかったらおじちゃんの家に泊まったらよいと言って落ち着かせて手を引いて少し歩いたら、すぐ二人は自分のいる場所が判って一目散に我が家に帰って行った。曲がり角を一つ間違えていたのである。「聞くときは相手と同じ目線で、話すとき特に上司と話すときは相手の立場で」というのが私が学生にこの小話を材料に云った内容であります。
引退してからも似たようなケースを経験している。その一つは老婦人が相手であった。公園前の大通りを散歩していると、猛烈な勢いで真っ直ぐに歩いてくるおばあさんに出会った。思わず声を掛けてしまった。育ちを思わせる礼儀正しい言葉遣いをする人だった。でもすぐ痴呆症(認知症なんて言う言葉はその頃は使っていなかった)がかなり進行している人と判った。運良く通りかかった中年婦人が応援してくれ、連絡先が分かり、パトカーが来てホームに戻してくれた。多分彼女はそのとき、理由は判らないが、常日頃の環境でない場所に孤独で立っていることに気付き、パニック状態に陥ったのだと思う。誰でも他人に親切でありたいと信義上は思っている。でも場数を踏んでいないと、きっかけを作るのが難しい。
4. 私は日本語である。
阪大大型計算機センターにはPIVOと言う翻訳ソフトが入っております。私は英語は大の苦手で、この夏同僚の某先生がスイスの国際学会で講演なさったなんて聞きますと、もうそれだけで尊敬してしまうタチなんです。でも私もときには英語で話さねばならないし、工業英語なんて授業も持っている。おまけにボランティアで受験英語も見ている。矛盾した話だけれどこれが現実だからちょっとでも上手くなりたい。それも楽しく上手くなりたい。そこでこの翻訳ソフトを利用にかかった。「私は日本人である」と入れると"I am Japanese."ときた。これをもう一度翻訳させると「私は日本語である」と帰ってきた。この話はソフトが安物だと言っているのではなくて、人間の使う言葉はいかに不正確かを言っている。日本語側では数詞を省いたのが基本的欠陥だし、英語側では同じJapaneseを二通りに使っているのがそもそもの間違いの原因である。昔陸軍幼年学校では伝令訓練をやった。最初の伝令から最後の伝令まで同じ筈の内容がどう変わるかの実地訓練である。たいていは仰天するような結果だったそうだ。学生の中にはひどいのがおって、目的語とゼスチャーだけで先生に用を足すのがおるが、国際化するほど正確な上にも正確に言葉を使うように、と言ってみた。
あのころは翻訳ソフトばやりで、どこまで正確になるかマスコミ注目の的であった。実用化にある程度は成功しているようだ。たとえばPCのヘルプやマニュアルには翻訳ソフトのお世話になったらしい文章を時々見かける。さっぱり日本語になっていないからすぐに気が付く。PIVOもあれから10年以上経っているからかなりの進歩は遂げたろうが、文化の相違を融通無下に乗り越えられるソフトなど、それこそスパコン100台ほどを繋がねば無理だろう。
5. 車中のヤッチャン
ヤッチャンとはヤーサンつまりやくざのことである。東京にいた頃電車の中で出会した事件の一つである。大都会ではよくこんな事件に遭遇します。昼日中電車に乗っておったら一見やくざ風の中年が酒気を帯びて入ってきたと思って下さい。電車はラッシュ時ほどではないにせよ混雑していた。解るものですから彼の周りを人々は避けて両側に寄っていた。彼は目の前の座席の婦人に絡み始めた。私は反対側の座席の外れた位置に座っていた。絡みが目に余るようになって、とうとう私は「止めませんか」と声を掛けてしまった。ヤッチャンはよい鴨が飛び込んだとばかり、くるりと私に向き直って足を踏み出した。私は腕力はからきしのやさ男なんで、こりゃ一発二発で収まればよい方だなと全く後悔しました。しかしその時はそうはならなかった。横からいなせな職人風のアンチャンが「何を粋がっているんだ」と声を出し、そちらに彼が向きを変えたとたん後ろからまた声が掛かると言う連鎖反応が出て私は助かりました。残念だったのは折角みんなで協力したのに、そのおばさんは一言も挨拶せずに次の駅で降りてしまったことでした。余裕もなかったのかも知れませんが。私はこの例で言いました。「高等教育を受けた者は危なくても先頭切って発言せねばならないときがありますよ」。あんまりよい例とは思えませんが、学生には受けた方の話です。
今同じ立場に立ったらどうするだろう。人々は確実切れやすくなった。無関心を装う人が多くなった。私も老齢化した。危険度はずっと大きくなっている。でもおずおずしながらでも何とか助けようとするだろう。三つ子に吹き込まれた正義感卑怯感は、未だ死んではいないだろうから。

('07/06/26)