「わかる」技術
- 畑村洋太郎:「畑村式「わかる」技術」、講談社現代新書、'05を読む。NHKクローズアップ現代で憲法第九条を取り上げていた。「井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法」と言う本が原条文との対比で紹介されていた。分かり易い大和言葉で述べられている。NHKドラマ「国語元年」は面白かった。井上ひさしはその台本作者である。彼は「わからせる」技術に関心の深い人だ。畑村式はどれほど「わかる」「わからせる」を一般化できるのか。
- 著者は失敗学の提唱者だと名乗っている。人類の進歩は失敗に学んだ成果である。大発明の裏に失敗ありは常識だ。事故の教訓はそれだけで分厚い本になる。書棚を見たらS.ケイシー:「事故はこうして始まった!」、赤松訳、化学同人、'95があった。新発見新発明だと発表したが間違っていた、訂正すれば事なきを得たのに、引くに引けずあとは雪だるま的にウソが膨れてゆき科学スキャンダルに発展した事件に、常温核融合(J.R.ホイジンガ:「常温核融合の真実」、青木訳、化学同人、'95)がある。これも失敗学のいい材料だろう。はじめから騙す目的であったものもある。T.ハインズ:「「超科学」をきる」、井山訳、化学同人、'95に噴飯的事件が載っている。これは騙される側の失敗学である。失敗から学ぶことは、理工系材題に限らず社会のあらゆる事象に必要な姿勢だし、古来からそうしてきたから、いまさら失敗学という、あたかも新しいジャンルの学問のような顔をするのはいかがかと思う。マスコミ受けはしたようだったが。
- かって「直観でわかる数学」を出版した理由がいろいろ上がっている。「わかる」技術に相関が深いことはそれこそ直観でわかる。私も理系で数学は好きだった。大学に入ってから代数幾何学で本書の通りの状態になった。4次元を越すと想像が付かない。そもそも数学に限らず教科書が面白くない理由は、具体から抽象した上位概念を述べ立てるばかりで、学ぶ方に理解のためのとっかかりを与えぬからである。そんなことは教師には解りきった事実だから、彼等は「わからせる」技術つまり肉付けを駆使して、なんとか学生の栄養にしようと努力する。だが、独り立ちしたあとは教師がなかなか見付からない。レオロジーではテンソルに痛ぶられた。
- 高分子化学ではコンフォメーション理論に降参した。最高7次元が出てくるのである。これらには具体的な事象に身近であったから助かった。量子力学のシュレーディンガーの方程式は、お遊びであったせいもあって、何十年もアンタッチャブルな存在であった。量子力学は学生時代からの興味の対象であった。選んだ教科書が悪かった。若手研究者の共同執筆だった。今思うと著者自身も解っていなかった。本当に理解している著者なら、難しい事象をいとも易しげに解説するものである。
- 名取裕子演じる「京都地検の女」の女検事は、それこそジェンダー・フリー時代の先端を行くかっこ良い存在で、長身で男勝りのもともとの風貌がマッチして、見応えあるドラマになっている。彼女が毎回得意顔で口にする「これ、主婦の勘」の勘は山勘ともいい、本書では直観からはるかに地位の低い、当てずっぽ的ショートパス判断とされている。だがドラマでは、独断と偏見はあるにせよ、奥深い洞察力による確かな推理で、たいていは的を外さずめでたく事件解決に至る。だから本当は直観と言って良いが謙遜して勘と云っていることとなる。本書では、直観、直感、経験主義、山勘の順で答えに至る思考度が減って行くとする。思考度ゼロとはサイコロで決めるいうのと同じである。
- 本HPの「擬態」に紹介した藤原晴彦氏の著作には「おれおれ詐欺」現象をムシの擬態と対比させている。本書には、論理学のアウトラインを述べた後に、詐欺師のテクニックに触れてある。占い師とか恐山のいたことの違いも述べてある。前者は悪意の行動、後二者は善意の行動と言えばよいだろうか。わかったつもりへの警告としての一文だ。先進国化した日本は従来の課題解決型よりも課題設定型人間が重んじられる。東大生の3割が解法パターン丸暗記流で入学試験に合格を果たした部類という。類型的課題ではない課題に遭遇したときに行動できる人間になって貰うための著者の教育が記されている。設計図も原理も性能も教えずに、まずは触らせて何を勉強すべきかを自分で知る。なんだか昔の徒弟教育を地でいっているようで面白かった。
- この著者は本書を買って初めて知ったお人である。でも本書の内容から察すると社会的にかなりの著名人のようだ。その点を除くと、彼と私は似ていると言えば似ている。共に主に研究畑を歩んだ。ただし著者は機械畑、私は化学屋だ。共に企業体に勤めた経験がある。ただし著者は大半が大学だが、私は現役の殆どを企業で過ごした。年齢も少し若いが私と同世代である。私も学協会の見学会等によく出掛けた。最後の畑中流手帳までは行かないが、日々の行動からしか明日は実現しないことはよく解っているから、主だった出来事をメモ化し、自分をアップグレードする目的も含めて、今はHPにはささやかな印象記を記す。「わかる」技術の具体的記述になる第2章、第3章には、抵抗感も覚えず一気に読んだ。「創造的」体質の社会に変化するために、技術屋はかくあるべしと云う。法政経についても同じことが云えるだろう。固定観念はえてして身の毒である。六法全書を金科玉条に振り回している方々に時折それを感じるのは、私一人ではないだろう。
('07/05/12)