電信棒に花が咲き

田中修:「入門・たのしい植物学−植物たちが魅せるふしぎな世界−」、講談社BLUE BACKS、'07を読む。書店の平積み本を次々とめくっていたら、目次に「電信柱に咲く花の謎」という章があるこの本を見つけた。子供の頃のはやし詞、「電信棒に花が咲き、越中褌踊り出す」を思い出したのである。心は「ありえナーイ」だ。越中褌はないかとさらにめくったが、それには触れてなかった。著者に心当たりはなかったが、帯やカバーから一流の学者らしいと思った。
電信柱に咲いた花はノウゼンカズラだそうだ。初夏に朝顔ぐらいの大きさの柿色の花を大量に付ける蔓性植物だ。繁殖力が強いらしく、庭先に見かけるノウゼンカズラは、例外なく、巻き付いた相手を覆い隠すほどに生育している。電柱は中心部が空洞になっていて、その中に入り込んだ根が隙間から外に顔を出し、電柱を取り巻いてしまったという。種から芽と根が出ることは誰でも知っているが、この場合は根から直接芽が出て茎になり葉がつき花が咲いた。なぜか。そこでクローン羊のドーリー君の話になる。植物細胞にも同じ分化全能性があるため、根から芽を出すなどお茶の子さいさいだという。
逆の操作が挿し木だ。接ぎ木もクローン作りに大活躍してきた。ソメイヨシノはこの技術で全国に桜の名所を作った。ソメイヨシノには種子を作る能力がない。本書には、秀吉の醍醐の花見で有名な土牛の桜が老齢化したため、組織培養による世界で初めての桜のクローンに成功したとある。リンゴの「ふじ」は私の好きな品種だが、品質一定のためには、どの樹もクローンでなくてはならぬ。「自家不和合性」は植物の近親相姦禁止則である。すると、クローンばっかりの「ふじ」園で実をつけさせるためには、他品種の花粉が必要で、虫頼みでは不確実だから、人間様が例えば「国光」の花粉を集めてきて「人工授粉」させている。美味しいリンゴを作るのも大変だ。
第5話の中に、アサガオを台木としてサツマイモを接ぎ木した話がある。これで普段は見られないサツマイモの花を咲かせることが出来た。滝本敦:「花を咲かせるものは何か」に、なかなか尻尾が掴めないが、開花ホルモンでもあるのかなと書いてあった。アサガオの葉側からサツマイモの茎に開花信号が送られたことは確実だ。同じ場所に植えたソメイヨシノでも、台木次第でちょっとは開花時期がづれるのだろうか。台木が早咲きのカワヅザクラだったら、ヤマザクラの場合よりは半月は早いとか。だとしたら、気象庁の東京の開花宣言の基礎になっている靖国神社のソメイヨシノも、台木を指定せねばならぬ。
「ふじ」を殆ど毎日朝食時に喰っている。皮付きで喰うのが好きだ。あの真っ赤な皮はアントシアニンの色だ。アントシアニンには抗酸化作用がある。活性酸素を不活性化するのだ。私が癌にもかからず、年の割に顔のしわが少ないのは、苦労を女房殿に押しつけているせいばかりではない。(癌とかしわに対する効果が実証されているとは書いてない、念のため。)アントシアニンはポリフェノールの一つだ。赤ワインが心臓病を予防するのはそのポリフェノールのおかげだ。図抜けてコレストロール・リッチのフランス料理を、赤ワインをぐいぐいあおりながら喰うフランス人には、予想に反して心臓病が少ないという。ブルーベリーのアントシアニンが目に効くのは英国空軍将校の経験がヒントになったとは知らなかった。効果が確実視されるまで半世紀は掛かっている。人体に対する自然食の効果の検証なんてそんなものだ。
納豆ダイエットの関西テレビは7回もチェックして捏造を見抜けなかったと云うが、私には文系優先社会の落とし穴をまざまざと見せつけた事件のように思える。理系の有識者が権限のある監査におれば、常識的に排除しただろう。現役の頃、学生に「仲間内だけの相談はやらないのと大して変わらない」と言った覚えがある。云っておくが、アントシアニンとはアントシアニジンの配糖体で、アントシアニジンも自然には20余種類からある。糖にもいろいろあるから結局単離されたアントシアニンは60種以上あると化学辞典に載っていた。だがらリンゴの皮を喰ってもきっと目には効かない。心臓病については書いてない。
戦後まもなく種無しスイカが話題になった。暗いニュースばかりであった頃なので、いつまでも私の記憶に残った。小麦の起源で有名な京大農学部の木原均先生の研究室から出たことまで覚えている。種無しに改良された植物の先輩にバナナがある。でも幼少の頃から種無しだったから、意識したことがなかった。野生原種にはもちろんタネがある。我々のは突然変異でタネを作れなくなった親株の芽を、株分けして増やした栽培種だそうだ。屋久島の植物園で見たことがある。台風にやられ易いという。多年生草本なのだ。別途調べてみると、紀元前のはるか昔から栽培されていると判る。だから遺伝学的にもたいそう複雑だそうだ。輸入バナナの大半は同質三倍体不稔性という。本書には種無し果物としてカキとビワが載っている。後者は比較的新しい品種改良で、ビワのごっついタネが無くなるのかと思うと実用価値大だ。
鬼平犯科帳の「正月四日の客」に、真田ソバに使う辛いネズミ大根の話が出てくる。大根の辛みは食欲をそそるが、最近の大根は大きいばかりでおろしても辛くない。その辛さは今ではカイワレダイコンが独占している。このカイワレが植物工場で生産されていることは薄々知っていた。本書にはその光源が最近発光ダイオードに代わり、エネルギー効率が俄然上がったとある。一つは電力の光エネルギーへの転換効率にあるのだろうが、植物学者が云いたいのは、生成に特別有効な波長が青色と赤色にあり、それに合わせた単色光の発光ダイオードが選べ、しかもダイオードの単価が大量生産で下がってきたと云うことだ。そのうちの青色発光ダイオードは、中村教授との発明報酬金問題で世間を騒がせた日亜化学工業の独占品であろう。このHPの「大学院を考える」の追記に書いたように、あの基本的研究は中村先生ではなく赤崎先生で、後者が藤原賞を受賞している。あの事件は最も功績の大きい発明者についていろいろ考えさせられた。
NHK:「鶴瓶の家族に乾杯」が、大分県玖珠町のシイタケの原木栽培現場を映していた。栽培農家の高齢化で、もう原木栽培場を維持するのが困難になっている。でもチャンと代替法が開発されている。シイタケはあるいはその他の殆どのキノコが人工培養床で生育させることが出来、それが実用化されているのだ。ただし、マツタケについては触れてない。マツタケは別物なのだ。天然生育物だけが頼りなのだ。それが今は日本では山中深く分け入らないと見つけることが出来ないので、国産ものは非常に高価である。昔ある企業研究者に聞いた話だが、菌糸の培養だけならタンクでやれるのだが、マツタケの傘を作らせることが困難で、人工栽培不能なのだそうだった。
この情況は今も変わらないらしく、一時は北朝鮮もの、今は中国ものが市場で幅を利かせている。私は、キノコは菌糸一族が絶滅の危機に怯えたときに出現するのだと思う。さっぱりシイタケが出来ない原木を、エイヤッと岩にぶっつけてやると、たちまち傘を付けるという。胞子を飛ばして新しい環境を発見し、種の保存を計らねばならぬ。だから胞子を付ける傘がいる。菌糸が延びる範囲だけでは生育適正地の探索も限られている。雷が鳴る。大雨で一族は全滅かも知れないと感じるであろう。だから、太鼓を菌床近くでドンドコと鳴らすとシイタケは傘を作る。マツタケは鈍感なのだ。他のキノコならとっくに傘を作る条件でも、自若泰然としている。では細胞融合技術を使ったらどうか。マツタケとシイタケのプロトプラストをくっつけて育てれば、マツタケの傘を容易に作る菌糸が出来るかも知れない。まだ成功していないそうだ。
困難の一つは双方の融合体だけの分離が容易ではないことだそうだ。著者は分離法を提案している。遺伝子組み替え技術を利用するのだ。シイタケに耐抗生物質遺伝子を組み入れ、マツタケに耐農薬遺伝子を組み込んだ後、融合させる。そのプロトプラストを抗生物質と農薬で処理すれば、生き残るのはマツタケ+シイタケのプロトプラストだ。日本では遺伝子組み替え食糧は不評だ。葉を食べたら虫が死ぬトウモロコシやジャガイモ。遺伝子には環境センサーがあって、多分、葉に存在すると認識して初めて細胞に殺虫性を持たせるのであろうが、同じ遺伝子をもちろん種子も持っている。ハテ大丈夫かなというわけだ。遺伝子組み替え技術は植物学20世紀最大の成果という。人口爆発で地球全体としての飢餓が迫っている。健全な理解が進むことを願う。

('07/02/03)