座間味島

飛鳥Uは12/2座間味島に8時頃投錨した。初寄港だそうだ。島々に囲まれて、天然の防波堤の中にいる。江戸時代から風待ちあるいは風よけ停泊地として明の貿易船などが利用していたという。本日の外気温は21℃程度らしい。9時のテンダーボートに乗り約10分で上陸。高月山展望台131mHを目指す。途中に村役場、中小学校あり。鳥居は御嶽の場所か。大戦で米軍が沖縄本島上陸作戦の演習のように艦砲射撃と上陸作戦を行った。村長以下の住民56名の集団自決追悼碑が立っていた。
展望台までの道々の植物に、我々の住む地域とは異なるものもあるのに気づく。土地の人に教わったのはモクマオウ。何かシダ類の雰囲気がある。戦で裸山になったので戦後に植林を行った。そのときの外来種がこれで、すっかりこの島に居着いている。生活力がある植物らしく木の周辺にたくさんの子孫をはやしていた。この時期実った種子をたくさん道路上にばらまいていた。シャリンバイ、モッコク、サクラ、マツ、タチヤナギ、キョウチクトウ。花を付けているのはハイビスカス、ブーゲンビリア、ツワブキ、ノギク。ススキに見える草本は穂先がやや我々のススキより豊満で、本当にススキなのかちょっと分からなかった。学校の近くにガジュマル、デイゴ。
道中に村の水道用貯水池があった。別の場所で目についた節水のための奨励項目には、油で汚れた食器を一旦油をぬぐい取ってから洗えとか、水道栓をこまめに止めよ、たとえば洗面の時など流しっぱなし出するなとか、風呂水の2回目の利用など事細かに書かれていた。今なら水を外から運搬出来ようが、不便な時代の島の生活を彷彿とさせる文章であった。海洋文化館とかいう私設の蒐集品(ほとんどががらくた)展示場があった。館長は特攻隊の生き残りとか。沖縄王朝の平和主義外交を説明していた。本物の赤錆た魚雷とかベニヤ作りの高速特攻艇、これは後年の再現作らしかった、を見せている。我々には無料だったが、看板には大人500円とあった。港の売店で、ローデルという花のジャムを買い占めた。1個350円でしかも島のおばあさんの手製だから、数も少ないここだけの限定品。花のサンプルを添えてくれる。土産に手頃と家内は喜んでいた。私にすればハブの佃煮でも天ぷらでもあっと驚く品なら何でも良いのだが、家内のみやげはそうは行かない。きちんと味見をして納得のゆく買い物をする。
島に唯一のスーパーがある。そこで島の泡盛を聞いてみた。私の父方も母方も昔を辿れば村の造り酒屋である。昔はどの村にも造り酒屋が一軒はあったと思う。「酒無くて何が己の桜かな」だ。どんなに貧しくても酒は人生の必需品。ましてや小舟しかなかった時代に離れ島の住民が、酒を本島から危険を冒して運ぶとは思えない。やっぱりこの島にも泡盛醸造所があった。でも水が悪いとかで醸造を止めたと云った。今回クルーズの始めに各島の焼酎製造所を見学して廻るという目標を立てたのだったが、無いのでは諦めるしか仕方がない。沖縄民謡と舞踊が岸壁で演じられた。

('06/12/10)