名瀬と黒糖焼酎

奄美大島への寄港は今回で3度目である。朝8時半頃飛鳥Uは名瀬に入港した。我々は奄美市立博物館へ。初寄港の'00年にも立ち寄っている。南西諸島にはそれぞれの島に気の利いた博物館があるが、ここのそれも特色ある博物館だ。
1F、2Fに昔の奄美の生活が分かる資料が展示されている。1Fは昔の海洋活動関連で大型舟艇が釣り下げてある。12丁櫓だったか。長さが11.4mある八尋舟である。生活用具は2Fに展示されていた。サトウキビ絞りの木製ローラ型破砕機がある。香川県に江戸時代から伝わる和三盆という白砂糖があって、その製造法をどこかの博物館で見たが、やっぱり木製のロール絞り機で、サトウキビを絞っていた。動力源は牛だった。牛をゆっくりを円運動させそのエネルギーを木製歯車でロールに伝える。そてつ焼酎の蒸留装置の模型が展示してあった。スコッチウイスキーとよく似た作りである。原酒(16-7%とあとで知る)を沸騰させ、その蒸気を金属底の水張り桶で凝縮させる仕組みである。桶と釜の間の気密を編んだ縄で保っていた。100-200年昔の生活を物語る昔のスケッチの写真が展示されていた。ノロ信仰を示す模型があった。巫女が車座に並び、周囲に彼女たちに奉仕する普通の女性が働いている。薩摩領時代の黒糖は藩の専売品になっていた。小学生らしい一団が、先生に引率されてやってきた。アマミノクロウサギがマングースや野生化した犬猫に食われて、20年ほどで半分の2000頭に減ったような説明をしていた。このウサギはウサギ科の最も原始的な種で、特別天然記念物である。奄美大島以外では徳之島に住むだけと聞く。
博物館前の移築旧民家を見る。便所と玄関は開明後に継ぎ足してある。このHPには最初の寄港の時の記念に、「便所文化」という題の一文を載せている。便所が文化のバロメータになるかというテーマは私の小学生時代からの拘りである。座り台所と食堂(4.5+3ぐらいの広さ)が居住区(3+4.5+6)と別棟。家畜小屋と倉庫が付いてさらに井戸もあった。別途高倉が2戸移築されている。家はいずれも茅(?)葺きだ。
港の臨時販売店の片隅に観光案内コーナーがあり、そこで黒糖焼酎の醸造所見学を申し込んだら、有限会社富田酒造場を見つけてくれた。コーナーのガイドは市の商工課の人らしかった。黒糖焼酎は奄美の特産だから、一度は見たかったのである。シャトルバスで名瀬の中央郵便局前まで行き、そこから歩いて富田さんを訪れた。大きくはない醸造所だ。まず黒砂糖原料の袋を開いて見せてくれる。2種あって国産と南方よりの輸入品であった。国産は分かるが輸入品は奄美の苗を栽培しているのかと訪ねたら、その土地の品種だと言った。米麹をつくりそれに酵母を混ぜて酒母とする。
黒糖はサッカロースという二糖類で、容易に単糖のグルコース、フルクトースに加水分解するし、そのままで酵母発酵するはずと思っていた。だから麹菌を混ぜるとは意外だった。これに黒砂糖と水を加えて醗酵させる。麹には白と黒があり、白は黒の突然変異種。白はクエン酸を作る。酒母が雑菌に強いのはクエン酸のおかげという。大きな陶製の瓶が20基ほど正方形を作るような配置で並んでいた。発酵温度は最盛期に熱々になるがやがて気温ほどに落ち着くものらしい。どの醸造所も芳しいが、黒糖焼酎のそれは甘さをたたえた香りで、下戸の私でも一杯頂きたくなるいい匂いである。発酵日数は麹作りから合わせて1ヶ月ぐらいのようだ。
ポンプアップして水蒸気蒸留釜に送る。釜の主材料はステンレスらしかった。味と微妙に関係があるらしく、銅系の材料が幾分は使われている。パイプの垢掃除の話をしていた。設備は近代化したが、博物館で見たとおりの単蒸留を守っていた。狭い醸造所にぎっしりと瓶や道具が詰め込まれているという印象だった。竜宮という商品名だそうで、醸造所では小売りはしていないと言うから、売っている店・まえかわ酒店に出かける。少量品種だからあちこちで買えない品だ。全国で3-4軒にしか卸していないらしい。ラベルには黒こうじ造りと印刷されていた。
絣の製品を物色して船に戻った。場所は覚えていなくても小さな町だから、ちょっと無駄歩きをすると覚えのある店にぶつかる。大都市のような模様替えをやらないから、過去と繋がりやすい。ショーウィンドーの飾りから店の中の配置まで同じであった。

('06/12/07)