北海道・カムチャッカ・クルーズ

- 飛鳥Uによる7/20〜8/1の船旅を楽しんだ。寄港先は釧路、ペトロパブロフスク・カムチャッキー、網走、利尻、函館である。
- このクルーズは簡単に予約できた。しかし飛鳥Uが発表になってからはどのクルーズもひどく予約が困難になった。最初は一時的な現象かと思ったが、就航一周年を迎える来春の航海も、私たちの乗るステートルームクラスはやっぱり困難である。割安のステートルームは前の飛鳥より数が減ったのも一因だ。晩餐で船室確保の秘訣?を得々と喋っていた30代らしい船客がいた。予約受付が始まると、乗る乗らないは別として兎も角申し込む。インターネットを活用すれば早い。その状態でキャンセル料が掛からないぎりぎりまで持ち続けるのだという。でもこのキャンセルで入手できた乗船券はもはや早期割引期限は過ぎている。一種プレミアムつきの乗船券を買うこととなる。3週間前にさあ切符が出ましたとなったら、突然の生活予定変更にあたふたせねばならぬ。他人への迷惑を考えぬ利己的なやり方だ。郵船側はキャンセルで出てくる可能性は大きいような話をしていた。結構こんな船客がいるのだろう。なんだか不愉快になって席を立った。その他にも客質の低下を物語る出来事に時々出会すようになった。
- 出発の頃の関東は30度の夏日であった。戻ったときは少し涼しくて最高気温25度だった。千島列島あたりでは5~6度というアナウンスを聞いた。洋上の気温はだいたい海水温度と似た値だ。カムチャッカは大層寒いことだろうと覚悟していたが、その日になって気温が上がり小春日和といった穏やかな気候になった。北海道は春たけなわ。私の住んでいる千葉が基準である。
- 船の主催する行事で皆勤したのが社交ダンス教室で、航海日には午前と午後の2回開かれた。合計6日の航海日であったから12回も出席したこととなる。中身は豊富で、マンボ、スケアルンバ、キューバンルンバ、ジルバ、ブルース、ワルツ、タンゴあたりまで復習を繰り返しながら前に進む。参加者が多すぎてぶつかることしばしばだった。午前は初級、午後は中級とでもすべきだった。先生はお馴染みの方、アシスタントは違っていた。飛鳥Uになってダンス専門のホールが出来たので、ダンスタイムは以前の倍以上になった。楽団出演の時間も増えた。夜遅い時間は苦手な人にはよかったと思う。カジノ実習は2回目であった。ルーレット、ブラックジャック、スロットマシーンの3種を順に教えてくれた。難しいルールは何もないのですぐ夢中になれる。サイカワのマジック教室では、穴あき硬貨をゴムひもの上を念力で移動させる術を教わった。紙飛行機教室では童心に帰って2機を作る。ビンゴ大会ではまたも景品無しに終わった。一つ残念だったのは、船内の見学会がなかったことである。操舵室、機関室、厨房ぐらいは初めて乗る船だから見せてほしかった。今までは2週間近いクルーズの時は見学会をやっていたように思う。
- 講釈師・旭堂南左衛門の「音楽絵巻「ある日の大黒屋光大夫」」(原作:井上靖、作:中野順哉)では高木一郎のリュートが間奏あるいは話の伴奏に入る。ロシアに漂流した光大夫と水夫の磯吉が幸運にも10年後に帰国し将軍出座の白砂で質問に答える物語である。乗組員全14人で3名が戻れたが1名は江戸で病死し、結局2名になった。光大夫の妻は再婚し、墓標も建っていた。講談など直に聞いた記憶はないので何か新鮮であった。柳亭小燕枝師匠の古典落語もよかった。通ぶって嫌みな男を腐った豆腐に唐辛子を混ぜた「通」の肴でやっつける話である。同じ演目を志ん五師匠の噺で聞いたことがあるが、違った味の絶品である。もう一つは、江戸っ子のやせ我慢比べで腕に卵ほどの大きな灸を据えてみせる話で、どちらも苦痛を苦痛と言えない自分を追い込んだ男の表情がたまらない。半時間のリュートラウンジコンサートでは高木一郎のリュートと樋口美紀によるソプラノであった。最後に日本の歌として伏見の竹田の子守歌を聴かせた。リュートは優しい音色の弦楽器で、ルネッサンスのイタリアの貴族にはもてるための条件の一つとして、その演奏があったという。ロシアの歌姫エカテリーナのコンサートがあった。知床旅情が耳に残った。彼女は日本式の大浴場がお気に入りのようで、ちょくちょく入りに来たそうだ。
- クリューはもちろんだが出演者もずっと船に滞在する。だからいつか会場以外のどこかで出合い話す機会がある。それが楽しみな方もいるようだ。時には出演しない名士も乗船している。今回は脚本家の橋田さんだった。
- 今回クルーズはほぼ満員状態で735名を乗せていた。乗組員数は466名と云った。函館で200名あまりが下船しほぼ同数の客が乗船してきた。40何名かが台湾をはじめとする外国人だった。昔から感じていることだが、台湾人はグループで辺り構わず大声で談笑することが多く、船のエチケット上顰蹙を買っていた。結構日本語の堪能な人がいて、その人たちは日本船をよく理解しているように思えた。船室は昔よりは少し広くなった。知り合った船客に招かれて、アスカ・スイートを見学できた。我々のステート・ルームの倍以上の広さでよりリッチな雰囲気だった。ご主人はタバコを吸うためにときおりベランダに出るようだった。
- クリスタル・ハーモニー時代から数えればもう相当な船齢である。備品の固定金具が外れていたり、水回りの不具合があちこちで見付かった。衣装庫内部カーペットにカビ。椅子と机の関係が日本人に合わない。電源がアメリカ並みの115Vと表示されていたのも100V圏の我々にははじめちょっと不安だった。船客同士でよく話題になったのはにっぽん丸との比較だった。私は今春にっぽん丸に乗った経験から、にっぽん丸の方が食事は旨いと答えた。家内は飛鳥の方が美味いという。評点は和食で分かれた。にっぽん丸の方が家庭的であるという点では一致した。総合点という意味では乗船回数が飛鳥の方が多いから飛鳥に軍配が上がっている。しかし飛鳥Uになって細部はいろいろ変わったから今後とも飛鳥だとは云えない。船内ショップは充実した。免税期間が長かったせいもあってか家内は結構買ったようだった。戻ってから1-2日の間昼寝が多かった。やっぱり疲れたのであろう。
('06/08/02)