つきあいきれない韓国人


渡部昌平:「つきあいきれない韓国人」、中公新書ラクレ、'06を読む。著者は3年あまりを韓国の日本大使館に書記として勤務した韓国語の達人らしい。私にとって韓国人は近くて遠い存在だ。現時点では知り人は皆無だし、過去にも接点を持った人は、小学校の頃隣のクラスにおったとか、釜山にクルーズ船が立ち寄ったときのガイドが日本留学生であったとかを入れても数えるほどである。だからマスコミを通しての印象しか持たない。ノムヒョン大統領が当選当初は「過去の歴史を問題にしない」といいながら、靖国問題でトップ会談を拒否した姿勢は不可思議な印象だった。慰安婦問題はあまり顔を出さなくなった。竹島問題での突っ張りにはこちらも馴れてきた。最近ではワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での日本優勝を、韓国紙が「恥ずかしい優勝」とこき下ろしたという報道が記憶に残った。東京を荒らし回る韓国武装スリ団には身近の脅威と感じている。
私は韓国、朝鮮半島に無関心ではない。何とか理解を纏めようとした形跡は本棚に残っていた。古田博司:「朝鮮民族を読み解く−北と南に共通するもの」、ちくま新書、'95、黒田勝弘:「韓国人の歴史観」、文春新書、'99、糟谷憲一:「朝鮮の近代」、山川出版、'96。その他ガイドブックなどがあった。古田さんと黒田さんは豊かな在韓経験を土台に書いている一方、糟谷さんは歴史学者としての目で冷静に朝鮮民族を追っていた。たとえ戦前の日本人であっても朝鮮文化を遠い存在と感じたであろうとはその頃から思っていた。ましてやアメリカナイズした今日ではますますその感が深いであろう。社会は変わる。数年に一度は生活臭の漂うような冊子を読んで、感覚をリフレッシュしておく必要がある。
韓国の社会情勢が「はじめに」に書いてある。賃金水準が'04年で24万円/月と既に先進国水準にある。現在はもっと上がっていよう。産業構造が第三次産業が中心になった。少子化は特殊出生率が1.2を切り、日本より深刻である。社会保障制度は脆弱で上下の収入格差は激しい。文官出身のキムヨンサム大統領を戴く民主主義体制になったのは'93年以降である。
我が国は官民を問わず過去とのつながりを重視する。たとえ担当者が代わっても一旦約束した以上はそれを尊重して事を運ぼうとする。この国では時には同じ担当者であっても過去に拘らない。昔とは環境が変わったとか情勢が変化したから仕切直しが当たり前という態度だそうだ。交渉術には接待とか袖の下が結構な意味を持つ。賃金の一部としてもよいと思うような部下接待でポケットマネーという社費が組織結束に力があるという。飲み食いしたら誰が伝票を支払うかがたいそうな意味を持つ。上司だったら絶対部下に割り勘などと云ってはならない。両者が同程度の肩書きだったらどうなるのか、外国人がこの韓国社会のシステムに馴れるには結構疲れるであろう。給与体系も見合うように出来ている。サムソンの副会長が年収9億円、日本なら社長が2400万円ほどというのが相場なのにと書いてある。平均で日本の6割の所得だが、大企業によっては日本以上の給与が貰える。だが現代自動車の車は日本車より数十万円安い。所得格差の激しさを物語る。
私が入社した頃の日本はまだ土井健郎:「甘えの構造」が共感を呼ぶ戦前からの雰囲気を残していた。でもそんな気風は30年ほど前には伝統ある会社でも形だけになって、世界一の共産主義社会と揶揄される構造に変わっていった。韓国社会も大小の摩擦が起こって何れこの「甘えの構造」から脱却するのであろう。日本社会は中流分解により格差社会へと進むと騒いでいるが、韓国から見ればまだまだ(悪)平等社会なのであろう。
今はそれほど感じないが、ご維新から戦後の復興期までの日本のマスコミは、良くも悪くも民衆の教導に使命感をたぎらせているような雰囲気を持っていた。あのころの日本のように韓国のマスコミは現在中立で客観的な報道よりも、「世論をリード」することに力が入っているという。著者はマスコミなどから聞こえてくる一方向の情報のみで韓国全体を一くくりにする危険性に言及している。それを'70年代生まれあたりの世代からの、情と縁の世界に関する儒教思想両班思想から解き放たれた姿から立証している。だが、伝統意識はそう簡単に崩壊するものではない。血縁、地縁、学閥の身内主義は現実にはなかなか強固なようだ。だから個人のつながりは飲み屋ですらも重大だ。まだまだ社会意識公共意識が生育不良である。以前の読書で中世のイギリス都会では、ゴミと排泄物は道路に捨てるものと知った。それよりは進んでいるようだが、韓国では公共設備の清掃には頭を痛めているそうだ。ハングル文字の空き瓶が日本海沿岸に漂着するはずである。
私がとっても気に入った韓国事情がある。年輩者優先思想である。年輩者は絶対的な権威者だとある。口答えはおろか、親の前では酒もタバコも駄目という。ハワイのバスで運転手が席を確保してくれ、えらく感激したことがある。でもあれは規則でそうなっている。韓国は道徳なのである。息子を韓国留学させればよかった。昔の軍隊と同じで、きっと親孝行に仕上がったろうにと後悔している。ここら辺は昔読んだ本にもさらに鮮明に描かれていた。でも老人たちの意識ではどの国よりも将来不安であるらしい。医療保険、年金制度、雇用保険何れも遅れている。介護保険はまだスタートしていない。男尊女卑はひどいもので、第三子は男子の方が3割も多いという。間引きとしたら怖ろしい社会である。女、子ども、障害者、外国人どれをとっても弱者に優しい国ではない。
今はソウルと釜山に人口の6割が集中する。地方は人気がないし地方文化も育たない。韓国は中世から中央集権型だった。士農工商ではないが、技術者、技能者、労働者などは見下ろされる職業であるらしい。二次産業が強くなりきれない理由のようだ。商業蔑視の気風が強い。すみませんとかありがとうを聞くことはまずないという。両班思想では誇り高き一人前の男が口にすべき言葉ではないという。売り手と買い手が信頼関係を作ってこそ商売と日本では思っているが、韓国では商店とは、一見さんが値段交渉で丁々発止と闘う場でしかないらしい。仁義無き商合戦について触れてある。どこかが人気商品を作ったとしよう。するとたちまちその周囲は同類の商品を売る店で溢れる。外国偽ブランド品が大量に流通している。日本で検挙された偽ブランド品の3/4は韓国製だったというデータがあるそうだ。朝鮮戦争のためもあって老舗がほとんど無い。老舗の味と云っても継承性がないために料理人が替わると変わってしまう。でも店の社長はお客とは関係のない雲上の偉い人(士)である。
W杯サッカーが日韓共催になって日本のマスコミは両国の連帯をアピールする報道を繰り返した。だが現実は日本チームが得点されるとTV前の観衆は大喝采で「日本を応援する韓国人は皆無に近かった」とある。「日本より上」はなにごとにつけ韓国人の至上命令のようになっていることには日常のニュースからも容易に理解できる。社会に暴力肯定的な雰囲気があって、昔韓国でゴルフを楽しんでいた日本人グループが、日本語の分からないキャディーに韓国の悪口を言っていると誤解され、そこの支配人に殴られたという事件があった。反日教育は飛躍へのバネになっているいい面もあるが、日本人にはとんでもない喧嘩の言いがかりに利用されることがある。日本人は金持ちだから支払うのが当然という言い分も明に暗にあちこちで聞くそうだ。これは甘えの構造と反日が合体したものだろう。単一民族特殊文化の国は国際化が遅れ付き合い下手になりやすい。我が国もそうだ。だがその自覚があるだけましだ。開国150年の歴史がそうさせた。奇異な国と見られるのが一番将来に差し障る。反日ではなく国際化教育に力を注ぐべきであろう。
日韓の領土問題に触れている。竹島の位置が韓国の地図では事実と違い鬱陵島近くに移されている。鬱陵島の一部という主張に合わせた対民衆プロパガンダである。彼らは議論は活発だがそれほど論理的ではないとも看破している。最後に「悲しい日本人」という韓国マスコミの元東京特派員のレポートを、韓国人の日本人観として読むように勧めている。韓国での大ベストセラーだそうだ。一部の引用が本文の中に出ている。東京で不動産屋を叱りとばした話だ。不動産屋は契約に必要な書類が一枚足りないことから判を押さなかったのである。日本では当たり前だが、韓国人には頭に来る話だという。たった一枚ぐらいで鍵を渡さぬとは何事だ、それぐらい融通して当然だというのがこの特派員の韓国流の頭であった。著者は全体として何を批判しているのか分からぬ場合が多いと注釈している。面白いのは、10年以上昔に書かれた日本が今の韓国に現れていると指摘していることだ。

('06/04/13)