にっぽん丸春クルーズV


朝に広島に着く。タクシーで縮景園に行く。浅野家が領主を務めるようになってからの藩主別邸の庭という。回遊式で広く見事であった。宿毛と違い桜はまだ2分咲き程度。桃、白木蓮、レンギョウが咲いていた。手入れもよい。池に横を流れる川から水を引く。広島全体が河口の州だから汽水である。嘗めてみたらわずかに塩気を感じる。だからか普通よく見られる錦鯉の姿はなく、代わってボラがときおり地味な魚影を見せる。
県立美術館前を通り広島城に行く。本丸と二の丸が残っている。石垣はあまり高いとはいえない平和的なお城である。城の建造物は原爆で消失した。天守閣はコンクリート造りだ。中は歴史博物館のようになっていた。昔は両脇に小天守があってなかなかの偉容であったようだ。大本営のあとは見なかった。護国神社が本丸敷地にあるがそこは鳥居前を通り過ぎるだけにした。二の丸の構築物は復興したばかりのようであった。そごうの地下に行き、紅葉饅頭を友人仲間へのおみやげに買った。すぐ近くに原爆ドーム。相生橋なる丁字橋を平和記念公園に向けて歩く。折り鶴やいろいろの記念碑を見た。平和記念資料館には入らなかった。出発のころにはお好み焼きを昼飯にするのだと家内は張り切っていたが、疲れてタクシーで港に戻った。運転手はにっぽん丸の着岸位置を知らなかった。広島の道は総じて広い。ここの市電は黒字になるほどよく利用されているという。市電を廃止した町が多かったのに立派だ。戦後の復興期に都市計画を書いた市長は評判が悪かったそうだが、今彼の計画は機能的な広島を作るのに役立っている。政治生命を思えば普通なら志の低き方につくものだ。人口は120万人ほどと聞いた。
歓迎式典が13時少し前から始まった。宿毛では中学生であったが、こちらでは高校生が吹奏楽を聴かせた。花束贈呈、ミニチュア・ロープワークの入った額の返礼などいつもの見慣れた風景であった。司会の女性は愛らしくてきぱきと事を運んだ。学校の先生でもなさそうであった。家内は市の広報などやっている吏員ではないかといった。船長の挨拶では乗客数が350人。食事を2回制にするはずだ。にっぽん丸のsecurity姿勢はちょっと甘くて、我々に混じって市民が入っても気がつかない。甲板員が指摘して入り口の士官が注意するという有様で、若い士官の教育をやり直さねばならぬ。あの調子では悪意のある潜入者を防げない。乗船証のチェックも曖昧で形式的である。
オプショナルツアーの「宮島・厳島神社ライトアップ・クルーズ(夜景コース)」に20:10出発。2時間半。クルーズはフェリー船着き場から貸し切り船で厳島神社の海中の鳥居をくぐるコースだった。2組に分かれてクルーズしたが、先の組はまだ潮の満ち方が十分でなかったので鳥居をくぐることは出来なかったという。清盛が建立してから8代目の鳥居だそうだ。クスノキの大きな鳥居だ。クスノキを使うのは樟脳成分による防腐効果を計算に入れているからと言う。鳥居も神殿もライトアップされていて何度もは見れない美観であった。桜は昼のコースを来た人によるとまだ五分咲きだったとのこと。
来島海峡大橋には、やっぱり車の影をほとんど見なかった。税金の無駄だなあと隣の人と話す。船のクイズに参加している途中に、船内放送で瀬戸大橋接近を知りプロムナードデッキ前方のレストスポットから橋を見上げた。にっぽん丸は橋の北側倉敷寄りから船を橋と平行にして南下し多度津近くで橋をくぐってくれた。おかげで瀬戸大橋の全貌をゆっくり観察することが出来た。船が紀伊水道に入ったころからかなり激しく揺れだした。明朝聞いた話では夜12時頃まで揺れが続いたという。
船は予定通りに鳥羽港に碇を降ろした。しかし強風がありいっこうに収まる気配がないということで上陸用の艀は配船を見合わせている。多分だめといった感覚だったのに、風速が5m/s落ちて13m/s程度となり、浮き桟橋を船に縛り付けることが出来たために、出発の早いツアーには10-20分程度の遅れはあったが、我々のコースでは計画通りにオプショナルツアーが始まることとなった。我々のツアーは「伊勢神宮特別参拝とお神楽御祈祷」という。11:10出発なので9:50頃の通船に乗りミキモト真珠島の見学をまず行った。海女の実演の後に真珠の販売店を見、御木本会館と庭を見学した。昔の島付近の模型が置いてあった。真珠島の対岸の水族館裏の小さな丘は城であった。御木本夫人は士族武術師範の子女で彼にはよい妻であったらしい。32歳で病没した後、幸吉は独身を通した。庭には特別変わった花はなかった。サンシュユが今頃咲いていた。真珠島を見学しない連中は、シアターかどこかに集合して上陸、バス駐車場で我々を待っていた。遅刻したわけではないが、なんだか気の毒したと思った。そんな点では私は日本人だ。
30分ほど乗って五十鈴塾に案内された。塾長は元宮司で何分間か伊勢神宮の雑話をやったが大して記憶に残らなかった。ただ五十鈴塾3棟に3億円がかかり、それを赤福の大女将が出してくれた話は心に残った。地元への還元である。おかげ横町はやはり赤福の発案らしい。参詣道が旧道以外に2本増えさびれかかっていたが、そのおかげで年300万人を呼び寄せる引き金になった。内宮の外の鳥居に到着する。五十鈴川に架かる橋からは神宮の境内だ。世田谷区と同じくらいの面積があるといった。職員はかっては800名を数えたが、今は650名とか。執り行う祭りの数はきわめて多く、平均して日に3度を数えるという。太古以来の法を守っている。イノシシを追い払う儀式、鎌がまだ無かった時代そのままに稲穂の収穫は手でちぎり取るという話、毎日毎食火をおこすのに摩擦熱利用法(多分もみぎり)を使うとか、無形文化の伝承が行われている。
お神楽御祈祷は神楽殿の屋内で行われた。新入社員とか幼稚園とか個人とか大広間一杯に昇殿者が座った。お神楽は舞人2名巫女が6人、雅楽奏者が6名半時間ほども掛かったろうか、巫女だけの舞(稲荷神社)、仮面を付けた舞楽(春日神社)などは独立に見学したことがあるが、通して何種類も奏されるのは初めての経験であった。最近では舞楽殿はあっても舞われることが絶えて久しいお宮が多いのではないか。参詣者は私語も咳払いもなくさすがに厳粛にお祈りを捧げた。内宮は一般参詣者は入れない玉石が敷き詰められた境内に入り、二礼二拍一礼を行った。入場にはコートも帽子も置きインフォーマルの姿で入った。昔はタキシードでないと入れなかったのだという。天皇陛下は最上段へ、総理大臣はその下段の内鳥居までと細かく進める位置が決まっている。我々は総理大臣からさらに5mほど下がった位置だった。
あと40分ほどがお買い物の時間であった。家内がバスガイドに岩田屋の推薦を受けていたのでそこで仲間等への土産を買った。おかげ横町には結局立ち寄れなかった。通船は揺れた。真珠島あたりはまだよかったが、にっぽん丸近くではかなり揺れて乗り移るのが怖いご婦人もおったろう。鳥羽出航のとき観光船に赤いハンカチを振るパーフォーマンスをみんなでやった。
横浜港大桟橋には飛鳥Uとピース・ボートが並んでいた。前者は4/4、後者は4/5に世界一周の旅に出航している。昨日のNHKニュースで我らのにっぽん丸も4/6に一周に出航したのを知った。乗客数は飛鳥U650人、にっぽん丸330人らしい。蛇足だが、飛鳥Uは船が大きくなったのでキール運河を通行出来なくなった。私も一度世界一周の航海に出てみたい。

('06/04/07)