にっぽん丸春クルーズU

- 最初の寄港地は屋久島である。我々は「世界遺産の島・屋久島ぐるり一周」というオプショナルツアーを選んでいた。9:15に集合し、小型バスに乗る。大型では通れぬ場所があるという。運転手がガイド役らしい。我々は並んで座ることが出来ず、家内とはバラバラになった。定員一杯に詰め込んだためである。私の隣は85歳のお年寄りで一人旅であった。世界一周を2回、外国船にも乗ったクルーズのベテランだった。まず志戸子ガジュマル園に行く。ガジュマルが群生するこじぢんまりとした自然林である。ズイキのような葉の植物は確かクワズイモといった。芋は有毒だとか。屋久島は現代は島人口13000ぐらいで、その1/4が宮之浦にすむ。昔は種子島の人口6万に対し、人2万、猿2万、鹿2万合計6万といったそうだ。車中のガイドで聞いた話である。
- 次がボタニカルリサーチパークという以前も来た植物園であった。温室に熱帯植物を植えている。ヒスイカズラと言ったか、空色の花がバナナ風に垂れ下がって咲いていた。開花期間はそう長くはないそうなので、我々はラッキーだったのかも知れない。スターフルーツ、カカオ。実った姿で見るのは初めてであった。屋久島は風の強い雨の多い場所である。ススキが本土なら人の背を超す高さまで生長するが、ここのヤクシマススキは縮んで10cmほどの背丈にしかならないと言う。シャクナゲにツツジが丁度見頃を迎えている。ゴマダラチョウ、リュウキュウアサギマダラの飛ぶ蝶園があった。外の植物園は開放窓のバスで案内する。パイナップルの畑があって、バッタがなぜかたくさん飛んでいた。ブーゲンビリアにハイビスカス。果物の木はいろいろあった。バナナは草本で風に倒されやすく、防風林などの工夫が必要らしい。トローキの滝を見る。水量は豊かでかつ引き潮だったから威勢よく水が落ちる姿を見ることが出来た。まだ正午には時間があったが、ここのレストランで昼食になった。料理は私の口には合わない。食材はいいのだが味付けが悪い。以前も昼食はここだった。
- 次の目的地は大川の滝。道中一帯が昔はサトウキビの生産地であったことを知る。自由化後は安い外国産に太刀打ちできなくなって今は生産していない。奄美大島ではキビ畑を見たから、多雨とか日射量が影響しているのだろうか。島のあちこちの温泉のいくつかは冷泉らしい。大川の滝の傍らでタンカンという柑橘類を買う。皮の剥き方が独特で、リンゴをナイフで剥くように、緯度方向に爪を立てて剥がないと実がうまく出てこない。甘いミカンで袋が少し薄いと思ったらよい。
- 西部林道は世界遺産地帯の中を走る文字通りの林道である。中型バスが精一杯と云うところで、軽自動車でも行き違うには場所を選ばねばならない。道脇にヤクザルとヤクシカを多数見た。車が通っても驚かない。どちらも本土の猿鹿に比べて小型で、大群をボスが率いているという印象ではない。屋久島灯台は官舎付きだが今は無人という。次の目的地の永田いなか浜はアカウミガメの産卵地として有名。亀は1回に100何十個かを産み落とす。しかし大人にまで成長できるのはその1/5000といった。前日のビデオでは1/1000といった。ここを産卵場所としている亀は300頭を超えるらしい。いずれにせよ夜の話で産卵期もはずれている。われわれは石の亀の彫刻前で記念写真を撮った。遠浅で海岸近くには白波が立っていた。最後に屋久島ふるさと市場に案内される。土産物を買う。焼酎にいいのがあると家内が言った。見ると一人一本限定という品がある。このことらしい。私には屋久杉製のループタイを買ってくれた。
- 今回の旅で唯一内容の割に値が高いと思ったオプショナルツアーであった。
- 宿毛には予定通りに新港に到着。予定していたオプショナルツアーはケーブルカーが故障で予定より早く廃線になったというので、参加をキャンセルし自由行動を選んだ。タクシーで市中の宿毛歴史館に行く。港からはかなり遠い。昔の町を再現した模型とビデオでおおよその歴史を知った。鎌倉時代の中村氏から始まり戦国のころの長曽我部氏、江戸時代の山内家分家と大きく分けられる。野中兼山とその遺族の物語は岩下志麻主演の映画「婉という女」で知っていた。婉と米(妹)の墓以外はこの地の東福院にあるという。宿毛が輩出した偉人たちのコーナーに吉田茂が入っていた。歴史館の隣に小野氏邸跡、向かい側に林有造・譲治邸がある。後者はまだ人が住んでいるようだった。元はもっと広い敷地であったことはすぐ分かったが、現在でも広い、しかし屋敷も庭も手入れが行き届かない荒れ屋であった。雨戸はほとんど閉じられていたし、唐破風の玄関の扉も閉じられていた。個人の家にしては珍しく木彫が施されていた。
- 一人旅のおばさんと一緒になる。にっぽん丸の船客であった。一緒に東福院に行く。歴史館で江戸初期まではあったという松田城の小山の横に東福院があった。野中兼山遺族の墓は初代領主の山内可氏墓の後ろに控えている。石碑を読むと近世になって移転し墓石も追加したようだった。桜は見事であった。盛りかまたはちょっと峠を越えたかと言うところである。隣の天満宮公園に立ち寄る。参道片側が桜並木になっている。ここはソメイヨシノばかりで美しい。鳥居前の個人宅にいろいろ園芸花が咲いているので詮索していたら、そこの子供が宿毛天満宮の本殿までの緩やかな道を案内してくれた。鳥居から社殿までの石段はあまりにも急なので、足の悪い家内はお参りを止そうと言っていたところだったので助かった。我々を疑いもせずカメラにはポーズを取ってくれるこの小さな子は、都会の闇に馴れた私に純真無垢という言葉を思い起こさせた。市役所の近くで北見志保子宅跡という石碑が目に入った。彼女は「平城山」の作詞者である。家々の庭にぼけ、小手毬、ムスカリなどを見た。
- 宿毛の市民にはたいそうなおもてなしを戴いた。歓迎式典では中学校のブラスバンドが演奏し、港の岸壁には特産品の店が並んだ。キビナゴの鮨に天ぷら、鰹のたたきを作る実演と試食。鰹はわら火で燻すようにして焼く。船が出航するまで付き合ってくれた。
('06/04/07)