にっぽん丸春クルーズ

- にっぽん丸3/28-4/4屋久島、宿毛、広島、鳥羽のクルーズに出た。桜を追いかける旅であった。屋久島の平地の桜は峠を越していた。丁度満開だったのが宿毛。車窓からだが、帰着港の横浜の桜並木は見事であった。広島はこれからであったし、鳥羽の桜は目立たなかった。横浜の桜はソメイヨシノばかりだったが、他ではヤマザクラが多かった。ヤマザクラの方がちょっと開花時期が遅いようだ。お天気はついていた。旅行日は晴れるか曇り程度だったのである。雨の屋久島では、珍しくも晴れていたから云うこと無しであった。ただし広島から鳥羽までの航海日は雨の中霧が立ちこめる場合があった。操船者にとって霧は神経を倍使わせる悪天候だそうだ。
- 春の嵐が船長を悩ませたそうだった。屋久島と鳥羽ではほとんど上陸を諦めかけたときがあったそうだ。屋久島を目指して我々はこれまで3度来たが、上陸できたのは最初のクルーズだけで、あとは引き返している。我々は特別に不運なのかと思っていたが、この宮之浦港に入港できない場合はざらにあるのだそうだ。今回のおかげで我々は2勝2敗になった。出航後大隅半島に船が隠れるまでかなり揺れた。風は北西から吹いていた。鳥羽では最高24-5m/sの風だったそうだ。それが上陸を見合わせてしばらく後に13m/sほどに収まり、浮き桟橋を船に横付け出来たので通船の発着が可能になった。何年か前に礼文島でも経験したが、揺れの激しい通船の乗り降りには緊張する。老年を意識するのはこう云うときだ。
- エンターテメントで予定通りであったのはコーラスのタイムファイブと評論の桐島洋子で、ソプラノの半田美和子が二期会の腰越満美に代わり、古典落語の林屋錦平が別途加わっていた。ほかにパン・デ・デューのパンフルート&ピアノ、斉藤寿孝のハーモニカ、インディアン・ハープとギター&ヴォーカルのデュオ「ユーゴ&クローテット」ともりたくさんであった。航海中に各人がそれぞれ2-3回出演したようだった。我々は最初の1回目を付き合った。奏者の10mほどの位置から聞くせいもあって、皆たいそうな迫力である。曲目も親しみのある日本歌曲が中心であった。例えば腰越満美は早春賦、荒城の月、この道はいつか来た道、さくらさくらなどを入れていた。斉藤寿孝は地上の星、ヨン様のあの歌、津軽じょんがら節、荒城の月などを聞かせた。パンフルートとは初めて見る、笙の親方のような、フルートを多数束ねた木管楽器である。インディアン・ハープはどこがインディアンなのかよく分からなかった。
- タイムファイブは予定通りに横浜から乗船していたが、メインショーに登場したのは遅かった。グループの一人が体調不全だったと聞いた。船旅が終わりになる頃に家内が不全状態になった。他にも同類がいて、船医はウィルス性の風邪だと言ったそうだった。家内は回復しないので戻ってからかかりつけの病院に行ったら、レントゲンと血液検査から同じ診断を下された。小腸にガスがピンポン玉を並べたように貯まっていたそうだ。最近関東に流行っている症状だという。案ずるに、タイムファイブの体調不全になったメンバーも実はこれで、出演の時に大声を出して撒き散らかしたおかげを船客たちがいただいたと云うことではないか(邪推かな)。私は今のところ健康である。クルーズの良いところだが、彼らの一人と偶然に昼食を共にした。同志社大学軽音楽部出身の30何年間かメンバー不動で今日に至るグループと聞かされた。亡父が同志社で応援団長をやっていたことがある。何か親しみを感じる相手であった。
- 講演「水のように風のように〜桐島洋子の航海日記」を聞いた。文春に勤め、結婚退社を避けるために子供を隠して生んだ話、第二子は船医が無償であることに目をつけて、丁度産み月を日本に向けて航海するフランス船に乗って日本到着ぎりぎりで生んだ話、文春退社後フリーの記者になったが、食ってゆけず、ベトナム戦争の従軍記者をやり米軍最前線に兵士と寝泊まりし、生死の境やアメリカのリッチな軍隊生活とかいろんな経験をした波瀾万丈の65歳までを面白く聞かせた。常にpositive thinkingで世の中を渡ってきたという言い条は立派である。次女の桐島ノエルさんが自分の娘と共に乗船していて母の講演の最後に挨拶に出た。等級制の強い船の場合であるが、2等の最上級よりも1等の最下級船室を選べという忠告は、私の亡父と同じいい草である。著作を1冊買った。
- 船内の催し物はたくさん用意されていた。UNOを初めて経験した。トランプと麻雀を合わせたようなカードゲームで、小学生の間で流行っているという。一人小学生を入れて遊んだが、その子はなかなかの腕だった。ロープ・ワーク教室が開かれた。私はヨットをやっていたことがあるので、懐かしかった。初歩のダンス教室には3回とも出席した。マンボ、ブルース、ジルバの初歩の初歩を教えてくれた。こう云うところでないと教えない種目である。インストラクターは世界一周にも乗り、そのあと9月から又乗ると云った。インストラクターが同じであると教わる方も習いやすいものである。下船日のビンゴ・ゲームには珍しくも我々は二人とも賞品にありついた。
- 春休みの最中だからか子どもの姿がいつもよりは目立ったが、彼らを除けば多分平均年齢は70を超えているだろう。男女の比率は聞かなかったが、高齢になるほど女性客が増えることは間違いない。乗客総数は350名ぐらいと聞いた。私の前回にっぽん丸乗船は2002年秋だが、その前回より乗り心地が一段と改良されていた。まず水回りが良くなった。便器がウオッシュレットになっていた。水道やシャワーの出が悪かったり、水温調節が不安定であったり、排水管が詰まっていたりすると気分を損なうものである。室温調節も良くなった。私は特に暑すぎる部屋が嫌いなので大いに好感を感じた。調度品一式が機能性の高い品に更新された。DVDプレイヤーなどは以前にはなかった。部屋の掃除整備は留守時に何人かが短時間で集中的に能率良くやるので、部屋の外で待たされることがなかった。家内は多少掃除が雑いと言っていたが、私は待ち時間がないメリットの方をとる。クリスタル・ハーモニーは水回りが悪かったそうだ。何度か乗船した人が云っていた。飛鳥Uに生まれ変わったとききっと改良されていよう。シップ・データではクリスタル・ハーモニー時代よりも総トン数が2千トン強も増加している。
('06/04/07)