ハムレット


往年の名作映画「ハムレット」を繰り返し見た。書店で500円のDVD安価盤を見つけて買ったのである。盤にはmade in Hong Kongと刻印されていた。「ハムレット」映画はほかにも色々あるらしいが、これはもちろんローレンス・オリヴィエ主演・監督の英国映画である。高校生時代に一度見て以来もう半世紀をとっくに過ぎている。はじめの印象は鮮明に残っている。たいした作品である。
封切りのころ日本はまだ戦後を引きずっていた時代であった。誰もが貧しかったが、私の家は格段に貧乏で、大学受験料すら危ないほどだった。日本育英会の奨学金がなかったら、高校も中退していたかも知れない。月に2000円ほどだったと思う。貴重な資金だからめったに娯楽には回さなかった。だから映画は数えるほどしか見ていないし、それもたいていは一巡して場末に廻ってきてからであった。当時の国語教科書には「ベニスの商人」が入っていた。ユダヤ人の金貸しシャイロックのあくどさが面白く、生徒仲間がふざけ合うときに台詞が悪用された。見に行ったのは同じシェークスピア作品だったからかも知れない。
原作者シェークスピアは、今NHK金曜劇場にかかっている「出雲の阿国」と同年代の人である。同じ頃東西に、それからのその国の演劇の源流になる人物が活動したことは偶然でも面白い現象だ。共に権勢側と大衆側の双方から支持を取り付けて発展した。阿国はいわゆる河原乞食風の舞台しか得られなかったのかも知れないが、シェークスピアはグローブ劇場という当世きっての大劇場を活躍の場にすることが出来た。
舞台は何世紀頃のデンマークなのだろう。英国行きのハムレット王子の乗る船はまだ大航海時代の大型帆船ではない。しかし城の大砲はお馴染みの姿をしている。大砲の原型が完成しているのだ。私は映画からは15世紀から16世紀にかけての話という印象を持っているが、はて研究者は原作に対してどんな推定をしているのだろう。国王が王子暗殺の親書を英国王当てに書いたとき、「英国が我が国を恐れるならば間違いなく実行するであろう」と云った意味のセリフを吐く。15-16世紀はデンマークが北欧に勢力を持っていた時代で、この台詞の根拠になっていると思う。
この映画は、中世のヨーロッパ上流階級の生活を知る上で、めったにない視覚材料を我々に与えてくれる。まず驚くのはお城の居室にはドアがないことだ。女王の寝室が見張り台に通じる階段から丸見えである。オフィリアの私室にハムレットがおとないも告げずに歩み寄ってくる。身を隠す場所は物陰かカーテンの後ろだけだ。プライバシーの国というイメージにはほど遠い構造だ。阿国の時代既に日本には障子も襖もあって私室の概念は確立されていた。阿国よりもうちょっと時代が古い「功名が辻」でもその点はハッキリ出ている。絵画とか立像とかの飾りの無い空間にわずかに異国情緒の簡素な壁画が見える。国王が懺悔をする天使?の像が唯一の彫刻像である。家具も最小限で大半は立ちっぱなし。私は中世ヨーロッパの城とか砦の内部をよく知らないが、ハイデルベルグ城だけは見たことがある。観光で普通に見学するヨーロッパ近世の華麗な宮殿(あれも城である)に比べると、質実剛健というか殺風景と言うか、戦いに日々油断無く備えねばならぬ城はこんなものであったのだろうと思う。
これが劇場の戯曲「ハムレット」を出来るだけ忠実に映画化した作品であることはよく分かる。城に劇団がやってきて劇中劇を見せる。映画はシェークスピア生存時代のグローバル座の舞台、劇中劇は15世紀末の演劇舞台と思ってその差を見ると面白い。劇中劇は簡単な舞台装置である。能狂言と一脈通じるものがあると感じた。王が就寝中に弟が毒薬を耳に注ぎ、死を嘆く王妃に言い寄るシーンを見せる。パントマイムだから身振りはかなり大げさだ。ハムレットが亡霊から聞いた真相を演じさせているのだ。ハムレットが演出に当たって役者を指導する言葉がいい。要は自然に近い演技の方が迫力があると言うことだ。喜劇役者には笑わせようと自分が笑ってはならぬという。下手な漫才師に言ってやりたい台詞であった。デンマークがローマ帝国の版図に入ったことはない。しかしセネカとかブルータスとかシーザーとかのローマ古代の偉人たちが、当時の上流階級の教養娯楽の中でかなりの比重を占めていたらしい。雑談の中で若かりし頃の演目として出てくるのである。セネカとはネロの片腕になった哲学者で、のちに自決に追い込まれている。
初演以来もう4世紀からになっているのに、この戯曲が色褪せない理由については今更取り上げる必要もない。社会的制約、宗教的制約、迷信の制約、科学技術的制約を超えた人間の本性を、この戯曲が悲劇の形で語るからである。私には現代日本とは大違いの精神的呪縛の数々に興味が走った。暗殺された父王が亡霊となって、ハムレットに、神の審判前の業火に焼かれる苦しみを告げる。これが一番分からなかった。非業の死であるがためであるのか。オフィリアが誤って川に落ち水死する。彼女は教会の正式儀式の無い簡素な埋葬しかして貰えない。自殺者は教会墓地に埋葬されない話は、学生の頃英語教材の小説で読んだ憶えがあるが、水死者もキリストは許さないと考えるらしい。ハムレットは自殺を禁じるキリスト教に呪いの言葉を吐く。国王は祈ることをも許されぬ兄弟殺しの記憶に苦悶する。そのくせ墓堀人夫は、出てきた頭蓋骨を、誰と分かっているのに、ハムレットの前でまるで石ころのように扱う。
女は愛おしいが弱くて哀しいものというのが常識であった時代らしい。今リメークされてTVドラマ放映中の松本清張原作「けものみち」の民子の悪女振りなど、シェークスピアが見たらどんな感想を漏らすだろうか。王妃が夫の死後2ヶ月で夫の弟と再婚した。それを許せぬハムレットが母をなじる言葉には、つい半世紀前には我々にも常識であった女の貞節に関する感覚が一面に出ていて、昔懐かしい思いにさせられた。

('06/01/31)