人民元は世界を変える

- 小口幸伸:「人民元は世界を変える」、集英社新書、'05を読んだ。アメリカをはじめとする先進諸国からの人民元切り上げ要求が、ここ2-3年始終新聞面を賑わす。昨年4月、アメリカの議会には、半年以内に通貨制度を変更しなければ中国からの輸入品に27.5%の関税を課すという法案が提出され、多くの議員の支持を集めた。それを受けたように昨年中頃には中国政府による人民元の小幅な切り上げが行われたが、どの国もそれに満足した風はない。我が国のGDPを超した通貨大国であるはずの中国が、なぜに人民元の世界通貨化に踏み切らないのか。本書では、中国は通貨制度を一挙に変動相場制に移行するのではなく、変動幅が段階的に拡大するような形を予想している。我が国が膨大な貿易黒字を積んだ後に変動相場制に踏み切った経緯を考えると、現在世界一の黒字の中国の将来政策には関心がある。
- 世界の為替取引量は'04年で、ドルが89%、ユーロが37%、円が20%、ポンドが17%(総量は200%)だそうだ。大貿易国の人民元は全く顔を出さない。もっとも為替の9割が投機的取引で実需取引の占める割合は少ない。日本の外貨保有高は異常に大きい。急速な円高を押さえるために、金利下げだけでは追いつかず、単独で市場介入した結果である。その8割以上をドルで保有している。日米の金利差が拡大し、為替相場が円安方向である現在ではまず安泰だが、いつ逆転するとも分からず、日本は大きなリスクを抱えている。この外貨保有を背景に、日本はアジア諸国とスワップ協定を結んで、彼らの通貨安定に寄与している。かってアジア諸国はヘッジファンドをはじめとする短期資本の投機的操作で、通貨危機に見舞われた。円が外貨準備として保有されている割合は一時10-15%もあった。今は5%という。
- 中国の金融政策は内閣に当たる国務院の仕事になっている。諸国の中央銀行にあたる中国人民銀行は、先進諸国のように、独立に通貨を統御することは出来ず、全て国務院の支配下で実務をこなすだけである点が我々と大きく異なっている。その上地方政府や国有企業、政府機関による人民銀行支店への干渉がある。中央の意図に反する貸し出しもしょっちゅうだということだ。資産的に65%と最大のシェアを持つのは依然4大国有商業銀行だが、その競争力はお粗末である。中国はWTOに対し、'07年よりの全面的金融市場開放を約束しているが、そうなるかどうかはなはだ疑わしい。国有商業銀行の不良資産は長年にわたる政府や党の採算度外視貸し出しのツケが貯まったものである。'02末で総資産の25%と言うからすざましい。中国の外貨準備高は昨年末についに日本を追い越して世界一になった。6-7割がドルだという。'01年頃から急速に伸び出した。人民元の為替レートが実力以下に安く押さえられているというのは衆目の一致するところだから、人民元を今のうちに買っておこうとあらゆる手が使われる。貿易収支は黒字、資本収支も黒だ。中国人民銀行はドル買いでレートが上がるのを防がねばならぬ。結果として外貨保有量が膨らむ。日本と同じように、それは内外金利差リスクと通貨量増大のリスクとなって、経済安定発展の重荷になる。中国のもう一つの問題は香港ドルの存在であるが、どちらかと言えばドルと人民元の間のバッファーあるいはリトマス試験紙的役割を担うことで、むしろプラスに働いていると云えるのではないか。
- 中国は自国通貨を管理変動制だという。だが、対ドル監理変動幅の0.3%さえ許さぬ厳重管理体制で臨んでいる。金融市場参加者は当局の判断を学習し、やがて当局を先回りするようになり、当局は後手後手に廻る結果となる。中国は通過バスケット方式に乗り換えたが、その通貨構成比や変動幅の変更は、投機筋の好餌となりかねない。今後の自由化を期待して、すでに短期の投機資金の流入が始まっているという。中国は日本の為替自由化の過程を注意深く勉強している。先進国の中ではずば抜けて市場介入回数の高い日本は、監理変動制の素晴らしい手本になっているはずだ。彼らは漸進的に市場を開放して行くことは間違いない。それを待ち望んでいるのは、ヘッジファンドであり、金融資本である。ヘッジファンドは今や1兆ドル8000企業と言われ、アジア通貨危機時代の倍の規模となった。アメリカは貿易赤字を金融市場へのドル流入によってバランスさせなければならない。それを支えるのが金融市場に圧倒的な力を見せるアメリカ資本である。世界はこの微妙なバランスでかろうじて経済危機から免れている。
- 中国は、'07年から金融サービスの自由化に踏み切るとしよう。すると、著者は、日本とのアナロジーから10年で市場取引は爆発的に増え、20年で資本取引や外為取引も完全に自由になるだろうと予想する。だが、そのころにはアジア大陸の国際通貨は人民元になっているかというと、否定的意見も多い。国際的な信用を獲得するには、実績の積み重ねが必要で、特に政治体制が異なる(世界標準でない)政府や、国有化から脱却したばかりの金融機関が信用を得るには時間が必要だと著者は指摘する。ユーロが発効したとき、ポンドはやがて吸収されて、ロンドン証券市場はフランクフルトのそれに取って代わられるのではないかと噂された。しかしロンドン証券市場は、絶大な信用の基に、今も世界最大の市場であり、ポンドも世界通貨としての命脈を保っている。先だっては東京証券市場は信頼感に大きな傷を付けられた。ライブドア関連の騒動である。しかし東京証券市場が世界第三位の取引高を持つのは事実であり、円がアジアの国際通貨としての位置を持ち続ける可能性は高いように思う。
- 中国と比較して、日本が圧倒的に実力差を持っていると云える分野は金融の分野である。著者は円が今後もアジアのチャンピオンの座を維持するためには、製造業重視から金融重視への転換と、円安から円高政策への転換が必要だという。この二つは実は同じ政策だとも書いている。中国をはじめとするアジア諸国の台頭で、従来のように輸出に不況脱出を掛けるワンパターン的政策は今後は通用しなくなる。貿易経常黒字がしぼみ始めている。アメリカのように金融力で資金環流の道をつけるには、強い円を演出する必要がある。グリンスパンFRB(米連邦準備制度理事会)議長のような、円の神様がお出ましにならねばならぬ時代だというのだろう。製造業華やかな現在までもついに理系社会にならなかった日本だ。存外可能なのかも知れぬと無責任に思ったりしている。
('06/02/01)