下流社会


三浦展:「下流社会−新たな階層集団の出現−」、光文社新書、'05を読む。この間どこかの新聞に書評が出ていた。2ヶ月間に8刷を出したのだから、評判になっていることは確かである。著者は50にまだ手が届かない若手の民間研究者である。序文に世代の定義がある。私の属する昭和ヒトケタ世代には、経済の高度成長を支えてきた中心的な世代と注書きしてある。それは正しい。私は著者の世代を課長ぐらいの頃に新入社員として受け入れたはずだ。概して我々世代は次へうまくバトンタッチしたと思っている。さて彼らが、その頃の私の立場になって、若手をどんな風に解析して、日本の持続的発展の道を見出そうとしているのか。1/15の読売に中流意識の下げ止まりを報じていた。日本人の半分は相変わらず「俺は中の中」と思っているそうだ。
この本は首都圏それも東京について書かれた本である。ファッションもグルメも買い物も、ブランド店も量販店もスーパーも百貨店も、はては美人が闊歩する地域の名前も首都圏に限られる。中高一貫私学志向の話だって、地方ではまだまだ公立志向の土地が多いと思うから、何れ東京のようになりますでしょうからと言う「思い上がり」も無意識に垂れ流している。先に読んだ「下級武士の食日記」にも江戸が首都と書かれていて、「マジ」と一瞬思った。東京人には快く響くのかも知れないが、「地方」から来た人間には特異に写る。主張とか仮説を、認知された常識のように書く姿勢は信頼感を損なう。理系人間としての一言である。
1/15の読売にエリートがエリートと結婚するというアメリカの傾向が載っていた。この本の近頃女性のミリオネーゼ系と言うのがそれに当たる。年所得1000万円−現実はもっと下回る、兎も角上昇志向が強い女性−の高学歴、高職歴で先生とか何とか士と呼ばれる人が多い。自己責任で伴侶を捜さねばならぬ時代の当然の帰結である。幼少の頃から年を経るにつれ、だんだん取り巻く環境がより似たもの同士の集合体になって、その中から選ぶという段取りになる。私が若かりし頃に圧倒的多数を占めていたお嫁系は現在も健在であるという。ただ情報が発達し、開放社会化されて経験も積んでいるから、目は肥えている。「三食昼寝つき」は同じでも、水準が問題なのだ。自己主張も平等にある。「・・、嫁しては夫に従い、・・」などという三従の教えなど糞食らえの世代である。インタビュー記事にある。お医者さん・・、みんな性格が悪い。自分中心で、プライドが高くて、話が合わない。弁護士も、・・・。東大生は好き。・・将来性のある男性がいいです。あとかまやつ系、ギャル系、普通のOL系とがある。私はかって女子学生が多いところの先生だったから、手に職型というかまやつ系とOL系は何とか分かるが、ギャル系はTVドラマか町中での見聞ぐらいの知識でしかない。女性の生き様に格差が生じた以上、昔のような女だからと言う全体同族意識は衰退した。これは頷ける。
男はヤングエグゼクティブ系、ロハス系、SPA!系、フリーター系の4カテゴリーに分類されている。ロハスとは健康で持続可能な生活様式を意味する英語の頭文字を取った略語である。私は初めてお目に掛かった。SPA!とは幾分レベルが低いというか大衆迎合型の雑誌の題名である。日本は根回しがうまく自己主張よりも全体の和を尊ぶから、ヤングエグゼクティブには(文系)体育会系が多い。ロハスは比較的高学歴、高所得だが、出世意欲が低いとある。創造性を重んじ、民主党支持が多く、情報や流行に流されず、海外旅行に趣味があると書かれると、どうも暗に日本の理系のエリートを指しているように感じられる。文系社会化しているためにエグゼクティブ志向を初めから諦めているのか。ヤングエグゼクティブを白い目で眺めている(とまでは書いてない)。男は就職できるかどうかで勝ち組意識が決まる時代になっているとあるが、これは敗者復活戦のない社会を意味し、はなはだ問題である。
「現在の30歳前後の世代は、少年期に非常に豊かな消費生活を享受してしまった世代であるため、今後は歳をとればとるほど消費生活の水準が落ちて行くという不安が大きい。これは現在の40歳以上にはない感覚である。」と指摘してある。「現在の40歳以上の世代の場合は、少年期は貧しく、20台、30台と加齢するにつれて消費生活が豊かになり、生活水準が向上していった。」と続く。親のすねを囓っていたときの豊かさを思い起こして、「なにくそ」と踏ん張るdriving forceになっていると結論付けられると頼もしいのだが、フーテン、フリーター、パラサイト・シングル、ニートと続く新語導入の枕詞なので気が滅入る。ある年代までは同期同学歴ならほとんど差が付かず、年功序列で毎年バカでもチョンでも給料が上がる(悪)平等主義は成果主義に打ち破られ、一握りのものだけしか将来にバラ色の夢を描けないと感じるようになったと云うことか。そのくせ成果主義は広く支持され、年功序列・終身雇用は特にその恩恵の外にいた女性から敵視されているという。格差拡大は大半には面白くない現象だろうが、希望をうち砕く実力主義を半ばあきらめの境地で肯定しているらしい。何とも矛盾した光景だ。
「女性が贅沢になったと云える。昔のように結婚して二人で頑張って働いてだんだん豊かになっていこうという女性はいなくなった。結婚した最初から豊かでありたいのだ。もちろん女性だけでなく、その親もそれを望んでいるのである。」という結論が意識調査から浮かび上がるとある。男性の所得と配偶関係の相関を見ると、年収500万円が結婚できるか否かの境目らしい。階層意識は意外と古いというか伝統的志向が根付いているというか、昔とあまり変わらないと云う指摘が新鮮である。女性は結婚することで階級意識を上昇させるが、男性は俺の給料だけで女房子供を養ってんだと思えて初めて上流気分を味わうとある。で、最も階層意識が高く生活満足度も高いのは裕福な男性と専業主婦と子供のいる家庭だという。子供を作るか否かのボーダーラインは700万円だそうだ。
団塊ジュニアというのは今30-35才ぐらいの世代で、第二次ベビーブーム世代と同意義に使われることが多いという。私の子供はこの世代だからとりわけ関心が深い。この世代は自分らしさに拘る。分析してみると下流ほど拘るそうだ。母と娘が連れ立って買い物をしている姿はもうお馴染みである。友達親子と表現されている。自分らしさにこだわる人は個性を尊重し合った家族が理想と云うがその一つの現れである(とは書いてない)。拘りは自己能力感に裏打ちされ、一種の呪文となって、社会適応に目覚めさせない。彼らはフリーターやニートに終わる危険性が高い。未婚、子供無し、非正規雇用が多いというし、生活満足度も低くなる。下流の男性は引きこもり勝ちで、オタク的な非活動型になりやすい。下流の女性は歌ったり踊ったりのサブカルチャー的な趣味に自分らしさを見出すとある。「下」は自民党とフジテレビが好きという統計がある。こうなるとうっかり支持政党やテレビの好みも人に云えない。レベルの低い段階でおれ流を通しても達成できる高さは知れている。まずは勉強しろ。そして東大を出てからにしろ。TVドラマにもなった人気漫画「ドラゴン桜」はそんな内容らしい。おれ流元祖落合中日監督も多分野球界のドラゴン桜であったのだろう。
この本は読み始めは面白かったが、読み進んでいるうちに、意識に関する世代間の相違と言った問題には、「何となく常識的にあるいは暗黙のうちに」心の中で了解していることを、「科学的アンケート」により取り出した記述だと分かってきて、なんだか退屈になった。それで第7章あたりは飛ばし読みにして地域差について書いた第8章に行く。私は高度成長期に「地方」から転勤してきた千葉県民である。山の手下町ぐらいの概念は知っていたが、過去の地域意識の違いなどはほとんど知らなかった。幸いにして本書は首都圏(1都3県)でのアンケートが基礎資料となっているから、千葉住民の意識上の特徴を他の地域と区別できる。よそと違って上流意識に欠けているのだ。かといって下流意識が特に強いというわけではない。上流意識の強い地域として上がっているのは東急田園都市線沿線だそうだ。私の常識になかったのは、人口の郊外分散化が進行し、分散地域内の核都市の機能が完結型になったために、昔のような、地方からの若者の流入による大都会の活性化が無くなりつつあるという指摘である。
おわりには下流社会化を防ぐための「機会悪平等化」と言う副題をつけている。上流は上流としか、下流は下流としかつながりを保てない階層化に地域内完結が起こって、国の活性が削がれて行くのを、早い話が、下流の子女にはただで東大京大を出させる、もっと進んで入学試験の足切り点数は下流だけには下駄を履かせるというものである。あまり真面目な提案ではないが、そんな話が出てくる背景はしっかり勉強せねばならないと思った。

('06/01/20)