台湾


飛鳥'05年南西諸島・台湾 悠々クルーズで基隆に着いた。台湾を訪れるのは初めてである。亡父が戦中事業中断で引き上げたとき、基隆沖でアメリカ潜水艦の魚雷攻撃により乗船富士丸を撃沈された。幸い一命を取り留めたものの、我が家の経済にはこの事件は深刻な影響を遺した。そんな意味で近隣諸国の中では一番身近に感じる国である。
基隆は日本と1時間の時差がある。さほど感覚的異常は感じない。8:15にグランド・ホールに集合し、バスで台北へ高速道を走る。案内人は周さん。いくぶん中国風の日本語を使うが、ポイントはしっかり繰り返して確認する方法で、無事最後まで勤めた。高速道中で聞いた話。台湾は人口が2300万で、面積は九州と同じ程度。人口密度は1.5倍。台北市が台湾最大で、270万だったか。その上部機構の台北県が330万。台湾の行政区分は植民地時代と同等である。日本製品の進出は著しいが、電化製品に関してはサムソンの食い込みがある。自動車は日産だったが今はトヨタも多い。新幹線は台北から高雄まで50分。工事はちょっと電源系統が遅れている。
午前は故宮博物院であった。中国文明の珠玉の美術品70万点がそろっている。蒋介石軍が中共に破れたとき、蒋介石はアメリカ軍艦三隻に乗せて、故宮の皇帝の宝物をごっそり台湾に運び込んだ。蒋介石は戦中を考えて、地下に貯蔵庫を拵えた。現在は博物院の改修中だとかで、いつもなら3万点ほども展示されているのがこの期間は1万点だという。見学の日本人の多いこと。案内人の説明は中国語より日本語の方が多いのではなかったか。説明用パンフレットも日本語のものがちゃんと用意されている。同じく日本人訪問客の多い韓国とはだいぶ様子が違う。館員もかなり日本語が堪能のようだった。展示品に比べて博物院の建物は少々貧粗である。平日だったが、館内は狭苦しく押すな押すなで、階段は団体が通るときは交通渋滞状態だった。
中国玉器の白眉は、翠玉白菜という15ー20cm程度の、白菜に群がるキリギリス2匹をあしらった彫刻である。玉をコランダムのような硬い砂で削ってゆく工法らしい。時代が新しくなるほどに彫りが精巧になる。翠玉白菜は清時代だ。家内はそれと並んで展示されていた玉の豚肉に感心することしきりであった。象牙細工には、ものすごく精巧な細工がおかれていた。ナツメだったかの長径5cmほどの木の実に、船が精巧に刻まれ船底には漢字が細かく何百字も彫ってあるという細工物もあった。皇帝の愛玩物だったのであろう。象牙の一本彫りの精密なこと。
王義之の書を見た。上野のパンダ同然で、人だかりのために前を歩き過ぎるのがやっとだった。その前に立ち止まって説明を長々とやるグループがいて、こちらのガイドに文句を言われていた。青銅器内壁の文字はさすがに文字の国と思わせる。象形文字そのものであるが、これでも亀甲文字の次の時代である。国境を定める条約文のような遺物−巨大な鼎−の説明があった。どの展示品もほぼ完全な形で今日に伝わったものばかりで、我が国の博物館に多く見られるような、破片をつなぎ合わせたり、大がかりな補修をやったりの、欠落が目立つような品はほとんど見られなかった。陶磁器の時代順の展示では青磁白磁に至る過程が完成品で眺められ、この博物館所蔵物のレベルの高さに圧倒された。帰国後に私は千葉県立美術館の宮之原謙展を見た。宮之原は近代の陶芸家である。その清楚優美で力のある図柄は世界に通じる日本美である。中国職人の陶磁器の絵柄には何か点睛を欠く思いを持ち帰ったが、中国の美意識に抵抗感を持ったは私だけだったのであろうか。
圓山大飯店で飲茶の昼食を食べた。飲茶とは文字からティータイム程度の軽食と思っていたが、次々と大変な数の広東風?中国料理が運ばれてきた。9種はあったと思う。その日の飛鳥の夕食はイタリア料理だったが、私は食欲が低下して肉類は結局ほとんど食わなかったほどである。圓山大飯店は国賓の迎賓館のように使われた有名な飯店である。天井は高く、一面に中国の特徴的な文様が極彩色で描かれている。奈良時代の建設当初の大寺はこんな風であったと復元説明で聞いた憶えがある。でも私には奈良の古寺は色彩が一切剥離したあとの今の姿の方がずっといい。後年に彩色補修をしなかったのは何か日本人の美意識に中国模様はそぐわなかったからであろう。
食事後忠烈碑の衛兵交代を見学に出かけた。身長の高い衛兵5名うち班長1名が、ゆっくりゆっくりの歩調で正面に進む。忠烈碑は日本の靖国神社である。拝殿前の門で全員男女とも帽子を取らされた。中欧のどこかの聖堂と同じであった。あのときは女性はどうであったか記憶確かでない。動画に納めた。あとはバスに揺られて帰るだけだったが、かなり居眠りをしたらしい。何しろ飯店同席の人の歩数計がすでに8千歩を超していたからかなりを歩いたことになったのだろう。
免税店で絵はがきを買った。孫どもへの便りに使う。このハガキは船のインフォメーションから基隆に投函され航空便で日本に発送される。切手代は40円とえらく安かった。あらかじめ観光バス車中で円を元に替えておいたが、本当に必要だったのは博物院の土産物店だけで、あとは円で十分だった。船内夕食前に基隆市立国楽団コンサートがあった。中国楽器と西洋楽器を組み合わせて奏でる独特の音楽団で、司会と最後の台湾伝統の歌は日本語で日本人女性がやった。どれもなにか似たような音楽である。中国音楽と日本古来音楽の相違は、中国の二胡をはじめとする弦楽器の豊富さであろう。楽団はチェロとコントラバスを備えているが、ヴィオラとヴァイオリン相当部を中国楽器で充当している。吹奏楽器にもいろいろ中国楽器が出てきてその豊富さに驚いた。笙も登場した。最古の楽器と紹介された。
言葉は通じないが文字は分かる。本土のような簡体字ではなく本字が使われるから、我々には分かりいい。しかし、本来は右から左へであったが、左から右へ書いた広告などあって時折逆に読んでいることに気付く。圓山大飯店の飲茶メニューのトップにはそれでも横書きに「店飯大山園」とあるが、その下には例えば「揚州炒飯」と逆方向に記されている。外国語を引用するのには左から右に書かねば難しくなる。伝統と国際化の板挟みにあって、中国も苦労しているのだ。

('05/12/14)