映画「浮雲」

- BS11放映の監督:成瀬巳喜男 主演:高峰秀子、森雅之の東宝映画「浮雲」を録画で見た。原作:林芙美子 脚色:水木洋子、昭和30年の作品で、白黒標準サイズである。発表の頃、私は学生で、邦画では黒沢時代劇にうつつを抜かしていた時代であった。成瀬巳喜男と言う監督を知ったのも、浮雲という小説があることを知ったのも、何十年もあとのことである。先に小説を読んだ。昭和24-27年に掛けて連載の形で発表された小説だが、現代でも輝きを失わないいや輝きを増している名作である。この小説が日本の敗戦期前後を背景とする特殊な題材から書き上げられているのにもかかわらず、時代を超え民族を超えて世界に通じる内容を備えていると読みとった成瀬巳喜男は、やはり非凡な監督であったのだろう。
- 映画は引き揚げ船の幸田ゆき子が桟橋を歩く場面から始まり、屋久島の官舎で誰にも看取られることなく死に、富岡が遺体に取りすがる場面で終わる。水木洋子の脚色は原作に忠実である。私の記憶する限りでは、取り入れられたエピソードもその中身と順番もほぼ原作通りで、勝手な改作とか創作が入っていない。引き揚げ船が着いた港は舞鶴だったろう、私はここを戦争直後に集団疎開児童の一人として通過した。屋久島を半日観光できたのは老年に入ってからだった。あとは東京と周辺の温泉街などである。バラック建ての汚い町風景、木造建築がごみごみしている温泉街など、当時を生きた人間にとっては時代の証言を聞くようで懐かしい。戦中の仏印(ヴェトナム)は回想形式で割と簡素化されている。映画の風景を見る限りでは、ヴェトナムにはロケーションに行っていないようだ。ちょっと惜しい。
- 上京して早々に義兄の手込めに遭い、まるで囲い者のような生活を3年送る。その生活からヴェトナムに農林省のタイピストの資格で脱出する。富岡は研究に派遣された技師であった。彼との不倫の関係がこの物語の心棒だ。ヴェトナムでは純愛関係と見えた2人だったが、戦後の日本ではすっかり様変わりして、目的もなく張りもなく惰性にその日暮しを続ける2人の、混み入った抜き差しならぬ愛憎関係として最後まで続く。この複雑な感情の推移を高峰秀子が見事に表現する。食うや食わずの生活を必死に生きながら男に寄りかかったりしない。タイピストの腕で就職しようとするが、英文が出来ないと駄目と断られるシーンがある。時代の激変を物語る挿話になっている。ついには行きずりの米兵のお相手で生活を繋ぐ。義兄はパンパンと罵る。この義兄もゆき子を忘れられない。生活力旺盛な男で、新興宗教に取り入りエセ治療を信者に施すことで財を成している。手伝いに入ったゆき子は教団の40万円を持ち逃げする。
- 富岡は妻が死んだとき葬儀費用に2万円をゆき子から借りる。今なら200万円ぐらいだから、多分貨幣価値は今の100倍だろう。富岡の子を宿しその子をおろす費用に6-7千円と書いてあった。私には分からないが今なら100倍の60-70万円で済むだろうか。だとすると40万円は4000万円である。ゆき子は開き直って富岡に云う。教団のインチキ性は把握しているから、彼らは警察沙汰には出来ないだろうと。だが、義兄はゆき子の逃亡先を突き止めてくる。富岡は屋久島の営林署に再就職していた。昔のつてがものを云ったのだろう。敗戦後3-4年を経たという設定だろうから、日本全体が気持ちを取り直して復興に立ち上がり始めた姿と重なる。赴任の旅行にゆき子を同伴する。1年の大半が雨という屋久島に肺病の咳が出だしたゆき子が、一等船室のベッドに横たわりながら、蛍の光に送られて出航するシーンは暗示的だ。
- 岡田茉莉子が加東大介と、温泉町の年の離れた飲み屋の夫婦で出てくる。若くて美しい。しかし私が彼女を覚えている理由の大半は、他の俳優にも通じるが、声質に特徴があるからである。彼女は富岡を追っかけて東京に出、女給になり、最後は夫に刺されて死ぬ。富岡は一時東京に出てきた彼女と同棲するが、その安アパートの一室はゆき子ともう一人の不良少女も交差して火花の散る憎悪の場所である。富岡という人物は家族への責任も放棄して、流れるままに色恋沙汰に刹那を過ごしているように見える。いま一つうまく描けていないように思う。敗戦に無気力な虚脱状態に陥ったインテリ階級のさまよい歩く姿であったのだろうか。DVDの第三の男を見た。戦後の4ヶ国軍統治下にあるウィーンの暗い世相を映し出している。石造りの町は、日本とは違って、ことごとくが灰になることはなかったから、住まいに関しては段違いに条件が良かった。だが食うがために闇の犯罪が常識化した社会になっている。敗戦国共通の男たちの雰囲気には共感を覚えた。偽造パスポートの舞台女優の強い生き方はゆき子と通じるものがある。しかし当時青年期に向かいつつあった自分を振り返っても、富岡的存在は身近ではなかったと改めて思う。
- 敗戦で軍刀と拳銃が無くなり、国民はともかくも安堵の息を付いた。でも今のような治安と福祉が行き届くようになった時代ではない。ゆき子の世間の荒波をかいくぐって強く生きる姿は爽快である。世界に通用する映画と思う由縁である。
('05/10/16)