船旅の愉しみ クルーズ入門


米山公啓:「船旅の愉しみ クルーズ入門」、青春新書、'05を読む。私は船旅10回ほどのレピーターだから、まあ中級に足が掛かった頃だ。乗客が個々に好きなように船上の時間を愉しめばよいと云っても、何百人かと終わりまで同じ船内でそこそこに付き合わねばならぬから、それなりのマナーも必要である。今までは日本船だけだったが、外国船にも色気はある。その相違も気になる。まあそんな動機でこの本を買った。著者は同世代のその道のベテランで、精神科医のようだ。確かに私が同船した男性乗客には、現役引退組以外では、お医者さんや大学教授と言った人種はけっこう多かった。お金と暇から云って当然かも知れない。外国船では、ぱりぱりの現役がたっぷりの休暇を会社から取って乗船してくるそうだ。私も最近の日本一周で若いカップルと一緒になったが、まだまだ少ない。限りある人生の愉しみ方を割り切って考えられるかという問題かも知れない。
外国船でのヨコメシはやっぱり苦労のようだ。著者は会話は駄目だと謙遜はしているが、高等教育を受けかつ外国船歴も長いから、我々から見れば達者な部類なのだろうと推測する。それでも外国人の中で話題を絶やさずに場を保つのは並大抵ではないらしい。昔会社の外国駐在員に聞いたことがある。1-2時間の飛行機の旅のようだった。駐在員は前日までに可能な限りの話題収集をやって、何とか正客のご機嫌を取り結ぶことが出来た。
三井物産・広報室編:「日本の味「ヨコメシガイド」」、学生社、'86と言う古い本がある。知り合ったばかりの人となら、レストランではどうしても食い物の話が無難だ。ところが日本語なら何でもないのに、ちょっと先に進もうとすると、もう単語も表現法も分からない。私の英語は全く片チンバである。専門については、なるほど何本も英語の論文を書いた。でもテーブルの横の人と飯の話を始めたら、七転八倒せねばならぬこと請け合いである。それを教えてくれる本であった。日本船にも外国人客が乗っている場合がある。英語のアナウンスがあるからすぐ分かる。立場が逆なんだから、なるだけ親切を心掛ける。でも会話にならない相手だと分かると、次回は同席を遠慮するのが普通だ。似たような、ただし逆の外国船経験が米山さんのこの本にも出てくる。
日本船の良さはだからまずは日本語。それから乗務員の接客態度の良さ、行き届いたサービスと一流地上レストラン並みの繊細な料理だそうだ。食はクルーズの最大の愉しみだから、船客同士の会話でも比較論がよく出る。外国船との比較では、米山さんに反対の人にはまだお目に掛かったことはない。外国船の料理は大味大量で、ボヤボヤしているとさっさと片づけられると、だいたい評判が悪い。1週間ほどなら洋食ばかりでも何とか我慢が出来るがと書いてあるが、その通りと思う。経験するならもっと若い時代にやっておけばよかったと思う。
それから外国船について一番恐れているスーツケース移動の話が書いてある。日本船なら往復とも宅急便でOKで、乗船客は荷札を着けて料金を払うだけだ。でも例えばフロリダが出発起点のカリブ海クルーズだったら、乗り換え入れて20時間を必要とする。途中で1泊の必要もある。空港毎に、重い荷物を引きずりながら、厳しい出入国検査に応じつつ、船のリセプションに辿り着かねばならぬ。超レピーターともなると、船を専ら安息所と心得て、プールサイドのデッキチェアに寝そべって本を読む「上」級者の心境に到達するものらしい。少なくとも外国船にはそんな手合いが多いのだそうだ。船までの長旅は、しばらくはこんな上級者モドキのクルーズライフを強制しそうである。
日本船の料金は高級船(プレミアム)クラスである。時折送られてくるチラシには、航空費入れてなお日割りの料金が日本船の1/3-1/2の安いクルーズを再々目にする。大衆船(カジュアル船、スタンダード)だ。単価切り下げのためだろう、10万トンを超すメガシップになり、船全体がお祭り空間となる行楽地的雰囲気を供えているそうだ。ゆったりと流れる時間を愉しむクルーズの常識を破って、エネルギーを発散させるクルーズを実現した。そのものずばりで、ディズニー・クルーズラインという船会社まである。プールサイドやディスコ会場は深夜まで大騒ぎだという。
その点日本船とは好対照である。11時頃にもなれば船全体が静かになってしまう。ダンス・ホールは夜中まで開いているが、連中のように夜中に騒ぐ習慣がないからか、我々は遅くても11時半だ。それ以上ホールにいたためしがない。第一プールサイドに人気がない。未だプールに水着で入っている女性を見たことがない。反対に大浴場は賑やかだ。知り人でも来たら、のぼせるほどの長湯を我慢している。この本を読んでいると、私のような日本人的日本人は、やっぱり日本船専攻の方がいいように思う。
外国船ではオークションが最後の日に行われることもあると云う。これは初耳であった。日本船も美術品による壁面の飾り付けにはいろいろ工夫が見られるが、外国船にはその比でない美術館のような船もあるという。そんな美術品のあるものをオークションにかけられる。客は航海中に十分に鑑賞し値踏みしているから、会場の雰囲気は真剣そのものだという。日本船でもやってみたらというのが著者の提案だ。確かに親の代までは床の間に飾る掛け軸のような形で、美術品を何種類も揃えていた。だが戦争に敗れ、住む家もなく明日の食事の当ても付かない生活が続き、復興したら洋間が幅を利かして、和室があっても違い棚も床の間も節約されていると言った状況になって、我々は芸術とは離れた存在になりつつあった。そこそこの余裕を持った乗客の集まりの中で、オークションをやるのも、文化向上目的にいいのかも知れない。
リバークルーズはまだ経験していない船旅の中で、私の興味を一番そそる種類である。何も見えぬ大海の真っ只中の航海日が続くロングクルーズもいいだろうが、両岸の風景が次々と変化する、しかも毎日由緒ある歴史都市を背景とする寄港地に立ち寄り、時にはオプショナルツアーに参加するなんて船旅は、思ってみるだけでも楽しい。私は東京オリンピックの頃ライン河下りをしたが、それはクルーズと云うより連絡船+遊覧船のような雰囲気だった。でも船内でローレライを聞き古城を眺め訪れつつ下った記憶は、今も懐かしく振り返ることが出来る。リバークルーズ船はどうしても小さくなる。それもあって船賃は高い。航空費を入れたら多分高級船以上であろう。この本には長江クルーズが載っている。武漢から重慶まで1週間のクルーズを新造船で行くという。あまり気にとめていなかったコースだ。一度調べてみたい。
船酔いは苦手である。この本にもいろいろ出ている。前回の春の日本一周では、日本海で大時化に遭い、船は予定港に入れなかった。波が時々プロムナードデッキを洗うのを見た。でも船はそれほど揺れなかった。ローリング(横揺れ)は±5°までだそうだ。フィン・スタビライザーが揺れを制御しているという。上に行くほど当然揺れが激しい。値段が高い部屋ほど揺れるのである。スィート・ルームの住人は、廊下に寝かせてくれと云いたかったと笑っていた。私は酔わずに済んだ。周辺で酔った人はほとんど無かった。だが±5°は意外なところで実感させられた。ダンス教室はいつものように開いていた。タンゴであったか、オーバースウェイ+コントラチェックというステップがある。女性が体を反らせる華麗なステップだ。でもある老カップルがそれでバランスを崩してひっくり返ったのである。ゴツンという音で振り返ったら、何とも気の毒なことにご婦人がカツラを吹っ飛びし、しりもちを付いていた。男性は倒れていた。そればかりでなかった。その後で今度は男性のインストラクターが災難に逢った。女性のダンス靴のハイヒール部でしたたかに足を踏まれたのであった。彼は飛び上がって痛みに耐えた。私は思った。船では華麗なダンスは禁物だと。時化でなくても非定常に船には揺れが来るものなのだ。

('05/08/28)