モロッコ慕情


最近モロッコに注目している。そもそもはNHK HV番組「迷宮都市フェス」を見たのが始まりであった。類似の番組にその後もお付き合いしている。たまたま陸上世界選手権の男子マラソンを見た。モロッコのガリブが優勝した。大会2連覇であった。真夏のヘルシンキで、早め(28km)のスパートを仕掛け、他を寄せ付けなかった。モロッコを舞台とする映画では、カサブランカや外人部隊が有名である。でもそれだけではない。今回は「モロッコ」、「モロッコ慕情」を見た。前者は廉価版DVDが本屋に出たからで、後者は遺品ビデオの中から貰った。
フランス軍が駐留する理由は、植民地現地人との摩擦を武力で鎮圧するためである。両作品とも物語の設定時期は一次大戦後のようだった。「モロッコ」には、現地人勢力との対立要因を掘り下げるような姿勢はない。「モロッコ慕情」では宗教問題は表に出さず、民族闘争として深刻に描かれている。国とか民族を背負った妥協のない憎しみが、平和交渉のフランス諜報部士官の射殺という形で、表現されている。民族独立抵抗軍側の非情な情報管制振り、それをかいくぐってかぎ分けてくる諜報部の活躍振りなどなかなかリアルに描けている。一種スパイ映画の趣がある。抵抗勢力本部がカタコンベを利用している。地中の迷路を縫うようにして進んだ場所に空間が開け、首領が納まっている。土と壁に囲まれた圧迫感は映画の雰囲気作りに貢献している。私はローマのカタコンベしか知らないが、墓であることを抜いても、その通り抜けは気持ちのいいものではない。
「モロッコ」の仏軍は外人部隊だが、「モロッコ慕情」ではフランス人兵士と現地採用らしい土民兵の混成軍のように見受けられる。どちらも舞台はヨーロッパから見れば地の果ての行き止まりの国だ。そこまで来た逃げ道のもはや少ない大人の恋愛を絡めている。しかしカサブランカのバーグマンのような存在感を主演女優に感じない。「モロッコ」ではラスト近くで、兵士の現地妻たちが、あるいは山羊を牽き、あるいはずた袋を背負って遠征のため行進して行く部隊の後ろに付き従うシーンが、何か男に対するいじらしさとか、生きるための健気なさを見せて、秀逸である。「外人部隊」でも最後の方でトランプ占いが死と出るシーンが印象的だった。作品の善し悪しに関わらず、一つでも強烈に頭に残るシーンがあると、料金の元を取ったと感じる。
「モロッコ慕情」の原題はSIROCCOとなっていた。字引には、北アフリカから南ヨーロッパに向けて吹く砂を吹くんだ熱風とあった。砂は砂漠の砂であろう。もう半世紀ほど昔に、大学で、シロッコ・ファンという風力機械を学んだ。そのシロッコとどうやら同じ綴りらしい。シロッコの仲間には、風を旋回させながら気流中のゴミを集める装置もある。なかなかいいネーミングなのである。しかし映画はシリアの中心都市ダマスカスが舞台だ。モロッコなど始めから終わりまで一度も出てこない。
せめてヒロインがモロッコからはるばるやってきたような設定になっておれば何とか格好がつくのに、おあいにくさま、彼女はエジプトのカイロからである。'33年の外人部隊が評判作となり、'41年のカサブランカが大ヒットした。主役に後者と同じくボガードを立て、同じイスラム圏国での物語であったから、日本の配給社は、商業上の成功のために、あやかった名前がほしかったのであろう。なお「モロッコ」原題はMOROCCOである。原題同士のゴロは似ている。'51年では日本人にはまだシリアは馴染みが薄かったからかも知れない。何れにせよ無責任な日本語題名である。

('05/08/16)