古代出雲への旅


関和彦:「古代出雲への旅−幕末の旅日記から原風景を読む−」、中公新書、'05を読む。硬い文章だが、地図、写真、イラストレーションなどを使って、何とか退屈せずに終わりまで読ませようと工夫している。著者は歴史家で、出雲の宮司家文書に見つけた新史料「出雲国風土記参詣記(以下参詣記という)」の道順を辿り歩いた旅行記になっている。出雲国風土記は唯一完全な姿で残っている風土記として有名である。原本はないが多数の写本が現代に伝わった。幕末ではこの風土記が出雲の知識階級に広く行き渡っていたらしい。他の国の風土記が大半が行方不明になり、残ってもせいぜい断片であるのに対して、出雲の国の分だけが完全な形で伝えられた理由はここら辺にあるのだろう。
出雲国風土記には399の神社が記載されているという。参詣記の著者はその1社1社を同定して行く。本書の著者がそれを追認あるいは改訂して行く。風土記が記されてより11世紀以上が経過して、神社の名はほとんどが別名になっている。同定できるのは、風土記の地誌がしっかりしていることが第1の理由で、しかも幸いなことに地名の革新的な変更が無く、漢字表記は変わっても音は割と容易に古名を推測できるものである場合が多かった。祠程度の小さな社殿であったり、廃社による合祀も再々で、建て替えや遷座も行われている。考古学的検証は灯籠とか狛犬それに社殿に掲げられた扁額ぐらいだから、場所の同定に占める地誌の重要性は格段に高い。
もう一つ重要な理由は宮司家が神社を伝えてきた点である。流石に寒村中の寒村になると宮司が2社3社を兼務しているケースはある。そんな土地の宮司でも国学者としての見識を備えた人がけっこういたらしい。参詣記の著者は神社毎に参拝帳に神官の署名を貰って歩く。たまたま不在のため代筆をした少女が、のちに島根県の女子教育の功労者として叙勲されていることを本書の著者が検証している。宮司家は村の知識階級を代表していたようだ。私は日本に入ってきた世界宗教が仏教であったのは、古代文化継承に幸運であったと思う。ヨーロッパでも中東でも自然宗教は壊滅的打撃を受けている。ほとんどは世界宗教側の戦闘的挑戦の結果である。あちらは石造りであるから何とか遺跡は残った。もし日本のような木造であれば影も形も残らなかったのではないかと思う。
出雲国風土記が完成したのは733年である。国分寺は741年以降だから、まだ建っていない。でも出雲豪族は新造院と称する寺をすでに10寺建立していた。勤める僧尼僧が不在の寺もあったという。規模は大きくはなかったようだ。何れもやがて廃寺になっている。参詣記には一切出てこない。近年になり考古学的に所在位置が確かめられつつあるという。出雲に仏教が本格的に民衆の中に浸透し、後世に残る寺院の建立を見るにはまだ間がある。
参詣記の著者は宍道湖廻船の商家の主で55歳であった。土地の名家だそうだ。だからか、宿泊は相当な家を選んでいる。時には酒肴のおもてなしを受け、時には国学論争をやり、時には旅の趣旨に賛同した同行者も出る。この階級に見られるように、富の蓄積と余暇が文化の維持発展に必要なのである。幕末の騒然とした雰囲気は当然この土地にも伝わっていただろう。参詣は出雲9郡の内の5郡である。松江藩の長州出兵が残り4郡参詣を阻んだのではないかと本書に書かれている。先が見えにくくなったからこそ参詣を決心したのかも知れない。
物見遊山の東海道膝栗毛ではないからか、風俗誌としては物足りない。阿受伎神社ではお賽銭に1朱を差し出したと記録している。今のお金に直せば6千円を下らないだろう。私など観光旅行で訪れるお宮さんの賽銭は10円である。願い事があるときでは100円、格好を付けねばならないときはお祓い料1000円だ。いかに敬神家だとは言え、裕福でなければ出せない金額である。街道はずれの寒村まで訪れるのであるから、出たとこ勝負のハプニング宿泊は付き物である。中海の船頭の家に一夜のやっかいになったとき、14歳の娘の夜伽を受けたことを記録している。客人の最高のもてなしとして、娘を夜伽に出す習慣がこの地方にもあったらしい。薩摩に同様の習慣が根強く残っていたことを昔読んだ憶えがあるが、出雲にもあったとは初めて知った。
現代は風土記の神々は元の名前に大半が復帰しているらしい。自然神であるから時代と共に名前も変遷して、幕末期には同定作業を必要とするに至っていた。その幕末にまで伝えられた名前を、まあ一挙に、733年の名に戻したのである。私は、風土記では何々神と記載されているという説明で十分だと思う。「足軽目付犯科帳」では、酒田の町名が現代化されていて、さっぱり歴史と対応できないことを嘆いたが、出雲の神々についても同じ事が云えるのではないか。風土記から変更までの祖先の歴史を無視する態度であり、私は悲しく思う。
最初の出雲訪問はドライブ旅行であった。国民宿舎など利用したことを思い出す。それからも1-2回訪れている。風土記関連では出雲大社、日御碕神社、玉造温泉、八重垣神社、御魂神社、八雲立つ風土記の丘等が印象深かった。一昨年にNHKドラマ「日本の面影」の再放送を見た。御魂神社を、ハーン(小泉八雲)と壇ふみ演じる住込女中おせつが訪れたとき、そこの神職に二人の仲について誤解を受け、せつがキッとなるシーンが記憶に残っている。宍道湖北岸も一応は辿ったはずなのだが、島根半島に属するこの地がこんなに風土記に彩られた場所だとは思っていなかった。国引き神話の舞台だから神々が集まっているのはあるいは当然かも知れない。ちょっと不便そうな場所だから少し日にちに余裕を持って、訪れてみたいものだ。

('05/08/01)