自己愛型社会(その2)


岡田尊司:「自己愛型社会−ナルシスの時代の終焉−」、平凡社新書、'05の書評後半である。
天才画家レンブランの晩年は哀れであった。ユダヤ人地区の片隅で、孤独と貧困のうちに生涯を閉じた。背景は英蘭戦争である。敗れたオランダは国力を衰退させ、文化を衰微させた。オランダは英国とスペインの間にあって漁夫の利を謳歌したが、スペインの敗退後、旭日の英国の次の目障りとなった立場にうまく対応できなかった。オランダのその頃の自己愛的社会が描写されている。拝金主義、個人主義、党派主義、州権主義などと書かれている。信じがたい事だが、国益を損ねてもお金に執着する体質は、金のかかる市民兵をやめて安い傭兵で軍を構成する結果になり、市民兵のイギリス軍に対抗できなかった。もう40年近い昔の話だが、私はベルギー人の吝嗇ぶりに驚いたことがある。例えば、写真を写した方が無料で相手にプレゼントすることとしたら、彼は絶対に写真を撮らなくなって日本人側が一方的に渡す結果になった。彼個人のことかと思っていたが、この本を読むと、どうもあの地方一般にそうだと思わざるを得ない。
著者は悪口が目的ではない。今のオランダは世界一人権を大切にする国になった。刑務所はまるでビジネスホテルのように快適になった。この快適さが誘うのか、ギャングや犯罪者や麻薬中毒者の流入が絶えない。自己愛型社会においてしばしば見られる現象は、一番身勝手な者の権利を守るために、遠慮深く、誠実な者の権利が犠牲にされると嘆いて見せている。労働現場もそうだった。成果を上げるといびり出されるし、お荷物労働者は大いばりで万金を積まないと辞めてくれない。年労働時間数は1400時間と極端に短い上、残業など思いも寄らない。サービス残業など「何のこと」だったろう。一時失業率は12%にまで跳ね上がった。だが80年後半から彼らは立ち直った。失業率は1%を切り、経済成長率は3%を超え、財政は黒字化した。出生率は日本よりずっと高いという。
「オランダ病」と揶揄られた症状の社会が、いかにして「オランダの奇跡」を成し遂げたか。それは読んでのお楽しみだが、パートタイム革命、ワークシェアリング、保険基金の民営化が述べられている。土台に対する考察がある。徹底した自己愛の社会は徹底した自己決定の社会である。子供に親のすねをかじるなんて発想はなく、親も老後を見て貰う気持ちなんて毛頭持っていない。子供は身の丈にあった進路を自己決定して行く。大学進学は人口の10%と言う。土台のそのまた土台に対してフロイトが出てくる。半世紀前私が大学生であった頃は心理学の神様であったこの人に対して著者は手厳しい。今は母娘の母系社会で、嫁姑問題ではなく、婿姑問題がホットなのだ。家父長権の強い時代に生きたフロイトの精神分析には想像もできなかった事態なのだと。
アメリカとローマ帝国の共通性については、もう20年も昔に故高坂正堯先生が論じておられるそうだ。先生の「文明が衰亡するとき」の中で、比較に出されたもう一つの国家は、オランダではなくて、ヴェネツィアであった。高坂先生以降にもヨーロッパ諸国の歴史を比較文明論の種に引用した著作はいくつもあったように思う。ローマ史を読むだけでもアメリカとの共通性に思い当たらぬ人はないであろう。ソ連崩壊により実質世界唯一の覇権国になってからのアメリカは、ローマ帝国のパクス・ロマーナ以降の衰退期に相当すると誰しもが考える。人は自分のために生きるべきだと思うようになる。新資本主義は、自己の利益だけを徹底的に追及する。もともとアメリカ社会は競争的であったが、さらに攻撃的で、情け容赦のない社会になって行く。弱者への思いやりは薄れ、利己主義、拝金主義、勝者至上主義が世の底流になる。こんな話を読むと、精神的にはなんだかアンチテーゼとしての社会主義共産主義を生んだ旧資本主義に復帰しようとしているように思えてならない。
私の住むマンションは公団住宅時代が終わってマンション時代が始まった初期の、いわばパイロット的集合住宅群にある。高層住宅の間に広い開放型の公園があって、少子化とはどこの話かと思うほど大勢の子供がいつも遊んでいる。その10-15年あとの大型マンションを見学すると、庭は建物に取り囲まれていて、無用の者お断りの立て札が建ててある。昨年建ったマンションはぐるりと敷地全体を背の高い金属格子が取り囲み、自転車小屋に入るにも鍵が要る構造になっている。日本の町も要塞化しつつあるのだ。TVでも放送されたが、アメリカはさらに徹底していて、ガードマンがゲートを守る要塞町に豪勢な一戸建ちが建ち並び、1%の勝者が40%の富を独占している国の象徴的存在になっている。
アメリカの犯罪社会ぶりが解析されている。銃社会である点を割り引いても日本の7倍という凶悪犯罪率は全く異常である。自己愛型社会は、欲求の犠牲者を生み出すが、その被害を一番強く被るのが子供である。アメリカでは、両親と暮らしている子供は51%に過ぎず、18%は片親と、31%は親なしで暮らしている。両親と暮らすと言っても、半数近くがどちらかが義理の関係(主に義父)だという。3割以上が親以外に養育されている。未婚の母親から産まれる子供が3人に1人という。安定した養育環境にない子供が攻撃性や反社会性を持ちやすいことは明らかだ。家庭の父親の地位もご多分に漏れず低下の一途らしい。子供たちに、甘くない社会に生きるための倫理観を植え付ける能力も落ちている。行き過ぎた自己愛社会の修正を、宗教や伝統に求めようとする勢力は一段と強まってはいる。社会保障は「怠惰と無責任」を助長すると言う考えも根強い。主に高学歴層に一定の効果が見られるそうだ。
そして9・11のNY貿易センタービル事件が起こった。ローマ帝国が、かって広大な領土の至る所に、ローマをそのまま複製しようとしたように、と著者は云う。我々も日本占領軍がアメリカナイズを何の疑いもなく押しつけてくる姿勢に辟易した。自己愛型社会の人たちは誇大自己の実現に、他者もそれを望んでいると錯覚して、小アメリカを腕力で植え付け育てようとする。日本には小京都と称される地方都市がいくつもあるが、それは土地の住民が憧れた結果である。兵士として戦場に赴いた人々以外は、戦争の悲惨さを体験したことのないアメリカ市民は、大統領が、誤ったあるいは遅れた思想の異民族を「民主主義化」するために、闘う姿勢を崩さぬ態度に拍手喝采する。ローマ皇帝もそうだったと回顧している。皇帝に平和回帰指向は鬼門だったそうだ。「勇ましくない」皇帝はしばしば暗殺された。
自己愛型社会は富める社会が前提である。そこでは共同体維持への義務感は薄れ、個人の権利、自由に平等が最大限に保証される。行き着くところ身勝手な要求が増え、福祉の大盤振る舞いがやがて財政を窮乏させる。勤労意欲も勉学意欲も総じて衰え始め、競争力に翳りを生じる。貢献はせず恩恵だけを得る層の増大は社会の大きな負担となり、社会のやる気を損なって行く。豊かさに翳りを見せ始めた社会は、次第に余裕を失い、福祉事業に疑念を持つようになる。社会は競争による淘汰を復活させ、自己責任と自助努力を重視し、敗者や弱者に対して冷淡になって行く。子供は(腕力が親と拮抗できる頃には:私註)独り立ち意識を持つことを要求される。日本はまだまだ親の保護意識が高く、子供の自立は遅いが、最近では就職率の高い専門学校への指向が強くなった。6-7割まで大学に行くというのは確かに異常である。大学でも手に職を付ける教育を指向するところが多くなった。オランダでは大学より上級職業学校に人気があるという。
自己愛を傷害された、自信のない人々の貧しい自己愛が、誇大で、理想化された、強力なパワーを求める。万能対象への陶酔は、宗教的原理主義やイデオロギーへの熱狂という形を取ることもあれば、強い軍隊やリーダーへの崇拝という様相を呈することもある。ラジカルで沸騰した人々はやがて現実に幻滅する。しかし一旦支配の座に着いた者は、居心地のいい椅子に未来永劫留まりたいと考え始める。排他的な教義やイデオロギーの刷り込みと、異端分子の徹底的な粛清・排除が行われる。暗黒の社会が実現する。社会の健全さは人格同様、結局自己愛と共同体への配慮に対するバランス感覚にある。経済格差と殺人率や犯罪率が相関することはよく知られている。程良い富の分配が必要不可欠である。愛情の分配にも触れてある。子供の疎外感や不遇感の芽を摘み取っておかねばならない。人格障害の人は、うまく行かないことを絶えず他人や周囲のせいにし続け、時には親身に援助を惜しまぬ存在も攻撃の対象とする。不健全な社会はその傾向を増幅する。
著者は最後に日本の特殊事情としての人口の減少を取り上げ、その影響を論じている。競争緩和という意味でマイナスの面ばかりではないと言う。また中国を取り上げられなかったことを心残りだとしている。確かに我々の目には、中国社会は卑小なる自己愛と誇大なる自己愛が混然となって暴走しかねない危険な存在に写る。本書を中国で出版したらよいとさえ思う。ともかく、人間の本性から現代を捉えようとした良書であることには間違いない。

('05/06/16)