権現堂桜堤

- 4/8、前夜のNHKニュースに出た権現堂堤へ桜見物に出掛けた。朝9:40の快速で船橋に行き、東武野田線10:06発大宮行きに乗る。清水公園駅より北は初めての乗車である。東武線の車窓はこの時節まことに麗しい。桜以外にもモクレン、ハクモクレン、コブシ、モモ、ボケなど色々咲いている。だが、花の植木は美しいが、人工物の風景はどうも俗悪である。石膏ボードの壁、重みのないカラー瓦、味気ないブロック塀、庭のない実用一点張りとしか思えぬ一戸建ちなどが、周囲との調和などお構いなしに、肩を接し合うように建ち並び、ごみごみした景色を作っている。目立てばよいと言う不釣り合いに大きくどきつい看板、秩序のない電柱の林立。春日部で日光線に乗り換え正午頃に幸手駅に到着した。旧御成(日光)街道を約3km北上すると、土手の満開の桜並木が目に入った。桜並木はそこを拠点として南東へ1kmほど続く。
- 立て看板の説明によれば、権現堂堤は旧権現堂川の土堤で、戦中にそこの桜並木を薪として切り倒したが、昭和24年に再度植樹したという。全てがソメイヨシノである。旧権現堂川は埋め立てられたらしい。関東平野の河川は自ら氾濫して流路を変えたし、治水目的で人工的に変更したものもあるから、地名が現実を表さないケースに再々出食わす。地図で見ると権現堂という地名(字)は残っている。権現堂というお堂は見あたらなかった。利根川から細長い権現堂調節池が南北に走っているが、之が旧権現堂川の名残であろうか。とすれば権現堂堤は旧権現堂川が中川に合流する地点にある。説明板に江戸時代権現堂堤が切れると、江戸まで水浸しになったとあるが、之は利根川の水が江戸まで溢れ込んだことを意味したのだろう。
- ソメイヨシノは元は1本のクローン植物であると聞く。それが同じ場所に同じ年代に植えられたとなると、咲くのも散るのも同じ「同期の桜」となるのは当然である。何と見事に揃って満開になったことか。時折10m/sほどの強風が吹いたが、花びらはほとんど散らなかった。だから正確には満開初期あるいは手前であったのだろう。「願はくは 花のもとにて 春死なむ ・・」と西行が詠った桜はソメイヨシノではなくおそらくヤマザクラだった。西行がソメイヨシノの何千本の満開を見たらやっぱりそう詠っただろうかと思った。確かにソメイヨシノは桜の中では最も華麗である。しかしほとんど若葉を見せない花だけの木というのは、種子を作ることが出来ない樹木という知識も災いして、何か病的である。何割かは自然の生んだ桜であってほしいと思ったのは私だけであったか。中川との間の野原には一面にハナナが咲き、桜と明るい黄色のコントラストを作って見事であった。
- 酔っぱらいの見あたらない花見であった。飲め飲めと通行人に強要するアンチャンなど近頃はてんとお目に掛からない。あれは古典落語か時代劇だけの世界になってしまった。花見も変わったと思う。喧噪が少ない一番の理由は時代だけれどもほかにもある。駅から離れているからたいていは車で来る。家族連れも多い。グループが敷物を敷くための空き地が方々にある。週日の昼間だから職場の花見には不適当な時間帯だった。それより近頃でも職場の花見をやっているのだろうか。
- 旬日を経て近所の公園を散歩した。ジンチョウゲは花を失った。サクラも言い訳程度に名残の花を見せるだけとなった。フサアカシアは盛時の萌葱色がくすんで褐色がかっていた。ユキヤナギ、レンギョウも若葉の方が目立つ。今が盛りと咲く花はキクモモで、そろそろ蕾が膨らみかけているのはドウザンツツジとサツキである。ハナミズキも咲き始めている。百貨店の前にはゲンペイシダレモモが紅白に咲いている。私のお気に入りである。春の日本は何と美しいことか。それに反してゴミ。公園は管理人が清掃するのかそうゴミが目立たないが、そこまでの道端にはペットボトルに弁当の空きがら、空き缶に包装紙などが無神経に捨てられている。今は走り去る車から捨てられるのが大半である。ゴミ箱が置かれていた時代には、箱の周辺にゴミが散らばって醜悪だった。インフラなら汚して平気という姿勢は何ともならないものだろうか。
('05/04/18)