パクス・ロマーナ(上)

- 塩野七生:「ローマ人の物語 パクス・ロマーナ(上)」、新潮文庫、'04を読む。カエサルの養子オクタヴィアヌスが、共和制尊重を標榜する言葉とは裏腹に、初代ローマ皇帝への道を着実に歩む。この大政治家の姿を活写する。卓越した政治手腕に元老院は牙を抜かれ、市民は絶大な信頼を寄せ、長く続いた内乱の時代は終わった。カエサルがオクタヴィアヌスの補佐に付けたアグリッパは、終生彼に忠誠無比なナンバー2として、主に外征における軍事面を担当した。パクス・ロマーナ(ローマによる平和)の巻は、今までの物語に比べれば退屈な話が多い。でも現代にも当てはまるという意味では、最も教訓に富む章である。
- オクタヴィアヌスは元老院からアウグストゥスと言う尊称を贈られた。之が実に巧妙な罠であることを著者は面白く解説している。アウグストゥスとは単に、神聖で崇敬されてしかるべきものや場所を意味する言葉でしかなく、武力や権力を想像させる意味は全くなかったという。それをオクタヴィアヌス自身が選んで、権力におもねることをしない潔白な人との世評が高い議員に提案させたという。共和制尊重と言いながら、実質上の軍事最高権力を維持し続ける彼に、いわば絶好の隠れ蓑的権威を与えてしまったことになった。インペラトール・ユリウス・カエサル・アウグストゥスが彼の正式名になる。インペラトールはemperorの語源だし、ユリウスはローマ名門貴族出身を表し、カエサルはもちろん神君を父に持つという意味である。共和制を詠う人としてなんと皮肉な名称であることか。なお多数残っている彼の彫像は彼が美男子であったことを示す。アメリカ大統領選挙でもそうであるように、市民はイメージに弱い。
- シシリー島はイタリー半島の長靴の先端にチョンとくっついた島である。現代ではイタリア固有領土の一部と誰もが信じて疑わない。しかし2千年前は違っていた。基本的にはギリシャ植民地で、第一次ポエニ戦役ではカルタゴとの争奪戦の中心になり、以来ローマに組み込まれたが、いまだ属州である。カエサルはローマ市民権の下のラテン市民権を約束したが、暗殺により宙に浮いたままとなっていた。さすがに、治安不安はなく、軍団派遣の必要のない元老院属州であった。イタリアはこのときすでに食料の自給自足は不可能となり、小麦を輸入に依存していた。シシリー島はローマ人の胃袋の安全保障になくてはならぬ土地であった。アウグストゥスは従来にない熱意で島のインフラ整備に取り組む。ガリア人の住まいであった北イタリアがいち早くローマ市民権を得ているのに対し、シシリー島がいつまでも属州である理由が述べられている。私には島の住民の言語がギリシャ語で、第一外国語がラテン語であったというくだりが一番面白かった。先進文化がローマとの同化を妨げていたと言うことだ。今でもシシリー島の方言にはギリシャ語源の言葉が多く聞こえるという。
- 帝国の対ゲルマン防衛線はライン河である。これはカエサルの頃から帝国膨張の限界として意識されていた。アウグストゥス時代には、加えてドナウ川、黒海、チグリス・ユーフラテス川あたりまでを東方の境界と意識するようになる。西方は地中海沿岸から大西洋に至るまでの全ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸の一部である。軍備の必要な辺境地域は皇帝属州である。アウグストゥスは皇帝属州にまんべんに軍団を配属せず、たとえばライン河西岸に基地を並べた。ケルンそのほかこれら軍団基地に起源を持つ現代都市はライン川西岸に数多いという。フランス、西ドイツで今もローマ支配時代の地名を多く持ち続けているのは、南仏とライン川西岸である。カエサル−アウグストゥスの重要な施策に植民都市の建設があった。退役軍人が退職金または恩給がわりに植民都市に住居を貰い入植する。彼らは現地の女を娶り、ローマの根を広げる。いつかTVで、イギリスのローマ軍前線基地を発掘した結果として、独身建前の兵営に女が同居していた事実を報告していた。当然ながら種まきが多かった地方に名が残るのである。
- 東方は豊かでローマを潤す存在であっただけに、対処は苦労の連続であった。相手の威勢を天秤にかけて、面従腹背の絶え間がないという地域である。ローマ人はケースバイケースの柔軟性を遺憾なく発揮する。エジプトだけは皇帝領となる。ファラオを神と崇めた文化的伝統は、アレキサンダー大王征服後の統治においても変わらず、アウグストゥスもまた神の位を以て人民に臨まねばならなかったらしい。アレキサンダー大王が残したヘレニズム文化圏全域が多かれ少なかれ政治的には絶対君主制の伝統を維持していた。この著書には、ローマが真にローマ文化圏として取り入れた地域は旧ギリシャ植民地とその影響範囲までと言っている。ギリシャ文化をローマ人は先進文化として奉信したのだから、相互の同化は容易であったろう。
- ユダヤ王国とも表面的なつじつま合わせは政治的に可能であったが、「心」の問題では水と油であった。なるほどユダヤにローマの神々の神殿が建造され祭られた。しかし一神教のユダヤ人には選民意識がある。早晩火を噴かずにはおれない環境であった。ローマが闘って一度も勝てなかった相手がパルティア王国である。だから、今のイラン、イラクを合わせた旧ペルシャ王国に匹敵するパルティア王国は、ローマ最大の仮想敵国である。アウグストゥスは、遠くアルメニア王国を絡めた策で闘わずして勝利を収める。彼の外交的勝利を記念してローマでは凱旋式が挙行されたほどであった。アルメニアは今のトルコ東方のカッパドキアからカピス海に至る王国である。
- 東方の諸国、諸属州とローマとの交渉は、異文明衝突の実相として、現代に通用する話である。現代の政治的紛争は西欧型民主主義体制とその他の文明体制の間に起こっている。一方の当事者であるローマ文明が民主主義体制の源流であるから、2000年を超えてその感が深い。民主主義は今や世界標準となっている。しかし我が国近隣には民主主義を本当に受け入れているとはいえない国の方が多い。戦争に負けたのも大きな理由だが、大正デモクラシーの経験があったことが、我々の民主化に大いに役立った。中国は真の世界標準受け入れにまだまだ時間が掛かるであろう。世界の「中」心にいるという歴史錯覚と民主主義の経験がない過去が、事態を深刻にしている。後少なくとも50年かかると思っている。その頃には価値を共有する友国同士として、おつきあいは深まるだろう。韓国の軍事政権体制が崩れたのは最近である。日本にはまだまだ角を立てた言い方を続けるであろう。この著書を現代に我流翻訳すればそんな結論が出てきそうだ。
('05/04/17)