飛鳥'05春日本一周こぼれ話

- 飛鳥・春の日本一周クルーズ'05/3/23~4/4に乗った。予約したときは、桜前線を追っかける旅になるだろうと思っていた。航路は横浜−神戸−高知−三井楽−伏木−酒田−釧路−函館−横浜の予定であった。でもどちらもその通りには行かなかった。桜の開花は雨模様の寒空続きのために大幅に遅れ、初めて見た桜は帰途の横浜の町中であった。伊豆沖でも少し揺れたが、伏木から北上するときには低気圧の通過に重なり大揺れに揺れ、いつもダンス教室に顔を出す常連がそのときばかりは休んだほどであった。波は7Fのデッキを洗ったぐらいだから、高さ5-10mはあった。風は最高22m/s程だったと聞いた。おかげで第8日目の酒田には入港できず青森港に変更された。乗船していた酒田市観光担当の職員さんにはお気の毒であった。
- 私が見た船内グランドホールの出し物は、いつもの「飛鳥」プロダクション・ショー、斉川豊久のマジック・ショーのほか、入船亭扇遊の古典落語3回、林家二楽の紙切り2回、西川啓光社中の民謡コンサート2回、大空遊平&かほりの漫才、地元芸能推進会によるおわら風の盆ショーである。何れもなかなかの出来だった。船の揺れの中で行う動きの激しいショーには感心させられる。客演者は我々には新鮮であった。ともかく古典落語は粗筋が分かっているから安心して聞いておれる。紙切りを目の前で見たのは初めてである。家内は桃太郎と犬を貰って喜んでいた。あとで「師匠サインを」と言ったら、師匠てな柄ではありませんがと言ってサインしてくれたそうだ。しゃべくり漫才は強烈にアピールした。もう一度出演してほしかった。
- 数年前「おわら」見物に八尾へバス・ツアーで出掛けたことがある。あのときは夕方から雨が降り出し、輪踊り・町流しを見ることが出来なかった。だから目線と同じ高さで見ることが出来たのは初めてである。プロのショーはたいていは撮影禁止だが、風の盆に限ってはそれがなかったので、動画に納めることが出来た。もう一つの踊り「麦屋節」は初めてであった。越中五箇山に伝わる踊りという。踊り手が女性だったせいか、刀を差して舞う男踊りは艶やかに感じた。最後は観客が加わっておわらを踊ったが、飛び入りでああは踊れないと思える人が結構おって、みなさんなかなか観光ずれしていらっしゃると感心した。西川社中は1回目では九州の、2回目には東北北海道の民謡を中心に唄った。民謡教室も開かれたそうである。ハイヤ節といえば牛深だけと思っていた。その他の近隣地方にもハイヤ節があるとは知らなかった。
- 万葉集に縁のある航海であった。あれだけ纏めて万葉集の歌を聞いたのは何十年ぶりか、多分大学受験時以来である。三井楽は山上憶良、伏木は大伴家持。船内では小野寛先生の「旅は万葉集とともに」という講演が2回あり、最初が憶良、次が家持をテーマにしていた。三井楽では土地の郷土史家による万葉歴史講話があった。地名の変遷を文献的に調べた話は面白かった。船名「飛鳥」に相応しい企画であった。
- 社交ダンス講習会には毎回出席した。こんなに精勤したのは初めてである。むやみに先を急がず、同じステップを懇切丁寧に教えてくれた。周囲にも馴染みが出来て、上級者から数々のアドバイスを貰った。夜のダンスタイムにはできるだけ出席しようと心がけたが、何分にももう眠い時間帯なので、3日に1日ぐらいであった。顔が通ったせいか、最終日前夜の野崎キャプテン・グランドフィナーレの冒頭に、教師の木村さんにダンスを誘われたときは、思わず頭を掻いた。家内はあとで見ちゃおれんかったと言った。ブルースでよかった。多分下手が先に出ると後が出やすくなるからだろうと思う。野崎船長が今回で船を下りる。
- 船長のよもやま話は面白かった。郵船(株)は大戦で氷川丸を残して全隻を喪失している。定期航路でない客船を一から作り上げていった苦労話をした。船員国籍は今20ヶ国で、英語が船の公用語だという。ブリッジ公開日に見学したが、なるほど航海日記は英語で書いてあった。休暇後の集まりが80%以上と、船員の定着性は世界で群を抜いて高いという。公平を旨とし、飛鳥マニュアルを徹底させる。最初の世界一周は270名の乗務員と客が30何人かだったという。南極航海とアマゾン体験を入れて思い出深い3航海といった。救援を当てに出来ない南極での氷との闘争。アマゾンで原住民との交流をやったのはよいが、病気だったか虫だったかを貰ってひどい目にあったと言う回顧談など。C重油が今30円/リットル(昔8円/リットルといった。ここ10年は20何円/Lだから、多分1ドル原油が真面目に噂された頃の、随分古い話のようだ。今は55$/BBLの時代である。)、船は1リットルでたったの18mしか走らないそうだ。それでも自動車と重量あたりで比較すると、燃費は1/150で済んでいる。比較車は私の古いカローラである。フェリーだと燃料費がコストの16-7%を占めると聞いている。客船だとその割合はもっと低いだろう。でも油の値上がりは経営にこたえるだろう。
- 誕生日を洋上で迎えたのは初めてである。航海の中頃であったのが幸いして、何人かの知り合いが出来ていてよかった。夕食のとき中央の丸テーブルで祝って貰った。船からはケーキが贈られ、専属の楽団がお祝い演奏をしてくれた。曲は琵琶湖周航の歌を選んだ。周航とはクルーズにぴったりの日本語で、日本で唄われているクルーズの歌としては、之の右に出るものはない。それに私は、半世紀以上も昔だが、大学ヨット部のメンバーとして琵琶湖を周航したことがある。ほぼ1週間も乗っていただろうか。ディンギー型という一枚セールの心細い小型ヨットであった。琵琶湖も竹生島あたりに来ると、けっこう波が高くなるのである。もともとこの歌はボート部の歌だったが、我々も唱っていた。来年この船は飛鳥Uに変わるそうである。同じ歌を大きくなった飛鳥のレストランでまた聞いてみたいと思った。
- 船にお客を迎えたのも初めてであった。家から港までの距離、停泊の曜日、時間帯など色々制約事項があって、誘うのはいざとなると案外難しいのである。現役を離れてからは、普通はもう同窓会ぐらいでしか会えぬ友が来てくれた。今回の船旅では、出航の際にテープを投げるお馴染みの光景に一度もお目に掛からなかった。環境保護のために廃止したのだろう。高知港ではミス高知が歓迎会に出席していた。記念写真に入って貰った。出航の際には、女子生徒ばかりの吹奏楽団が軽音楽を奏でてくれた。また、よさこい祭りの連の一つが踊りながら船の前を練り歩いて見せた。
- 不心得な船客が出始めている。「犬の糞を始末しましょう」というのは公園で見かける立て札だが、それに類した注意札が船内に目に付くようになったのはその証拠だろう。大浴場更衣室に、濡れ手ぬぐいに湯上がりタオルが多数放りっぱなしであったことがあった。レストランで周囲にうるさいほどの大声を上げるグループがいた。あとで台湾人グループと知った。顰蹙を買っていると知らせるにはどうしたらよいのだろう。ロンドンのレストランで酔客にボーイが近づいてきて、Here is not a station, sir.とやったことを思い出す。やっぱり職員の仕事だ。
- 我が家に戻った明くる日から嘘のように気温が回復した。いつもの散歩公園で花を数えてみた。オオシマザクラはもう満開に近いが、ソメイヨシノはまだもあり開花しているのもあった。モモが花を付けている。ジンチョウゲやハクモクレンにコブシ、それからフサアカシアは出発前から咲いていたが、花の峠は越していた。新たにレンギョウにユキヤナギが開花した。ウメは終わっていた。伏木の万葉歴史館の庭では紅梅白梅が満開だったから、今回は桜前線ではなく梅前線を追いかける旅をしたということのようだった。翌々日、関東では30℃を超す地域が出た。
('05/04/07)