伏木

- 飛鳥'05春日本一周クルーズの3月29日は富山県高岡市の伏木港だった。前日スマトラ沖に12/26の震源地に近い、やはりユーラシア・プレートにインド・オーストラリア・プレートが潜り込む境界線の、深さ30kmの位置で、M8.7の大地震が発生した。不幸中の幸いであったのは、断層のずれ方向である。大津波には至らなかった。日常でも交通不便の位置らしく救助活動に暇取っているという。
- この日は高岡半日観光を予約していた。二上山万葉ドライブコースで、鐘突堂から市内を見下ろす。時折小雨が混じる天気だったが、終日傘は不要であった。だが寒かった。瑞龍寺では住職が懇切に案内してくれた。そう広大ではないが、丁寧に仕上げてある。階段の木目、門扉の金具、基壇石積み隅構造など。建造物の国宝、重文が多いお寺である。寺の中の寺・塔中のほとんど見あたらない禅寺だ。門の前を八丁道がはしる。前田家二代目利長の墓に通じる参道だという。今は町中になっているが、作られたときには両側に民家はなかったのだろう。蔵の町で途中下車。火曜日は定休日だそうだが、特別に菅野家を開けてくれた。北山杉の梁を見た。北前船で運ばれたと説明された。明治33年頃の大火に懲りて土蔵作りの家が増えた名残を残す町だという。家並みという意味では川越なんかには遠く及ばない。あちらは道路両側に土蔵づくりが立ち並ぶが、こちらは点々と土蔵作り民家が近代建築に混じって存在すると言う感じ。町の良さに目覚めるのが遅れたのであろう。大野屋という和菓子屋で土産を買う。
- 伏木に引き返し、万葉記念館を訪れる。船中で2度に亘り講演された館長の小野寛先生が迎えて下さった。最初の講演は山上憶良、二度目は大伴家持を題材になさっていた。万葉集の歌は当時の話し言葉かと聴いてみた。歌言葉もあるが、たいていは話し言葉だという。後世の著作よりも話し言葉である率が高いという。階級に分離していない時代の歌集であったからであろう。天皇から防人の作まで混じっているほどだから。家持は20台の若さで越中の国守として5年間在住した。その間に作った数々の和歌が万葉集に収められている。家持は万葉集の編者に擬せられてもいる。国府もこの近辺だった。万葉記念館がここに存在するのも不思議ではない。時間が少なかったので詳しくは見れなかったのが残念。庭に万葉ゆかりの植物が植えてある。花を付けている木は梅にミツマタ。カタクリの花も見た。万葉時代には、かたかご(堅香子)と呼ばれ、家持もその名の入った風景を詠んでいる。
- 昼からシャトルバスで再び万葉館まで行き、そこから元秋元家住宅を訪ねた。市立の回船問屋資料館になっている。私の飛鳥の帽子を見て、飛鳥客は無料だという。300石船1-2隻の、船宿から大きくなった店という。部屋数が大小16室もある。茶室付きの部屋があった。問屋としては中規模だったと聞いた。望楼があり、昔はそこから船の出入りを見張っていたという。もちろん全木造で、狭い急傾斜の階段を上る。3階建てに相当する。なるほど飛鳥がはっきり見えた。土蔵には北前船の絵馬を展示していた。もう一軒の旧回船問屋・棚田家は公開していないそうだ。勝興寺というお寺がある。大寺で国宝の建物もあると聞いていたが、シャトルバスの時間が心配でパスした。
('05/04/07)