砂川美術工芸館

- 無料配布の団地新聞ザ・ファミリー2/11号に、「人間国宝の技見納め!?」という見出しで、柏市立砂川美術工芸館が紹介された。芹沢_介の型絵染専門美術館が来館者減少のため、今年5月に休館になると言う記事であった。芹沢は着物地の染色作家で、砂川は彼の作品に傾倒し後援した実業家である。収集した芹沢作品を、自家敷地に美術館を建てて展示していたが、死去直前に柏市に寄贈した。柏市はそれを今日まで維持し公開してきた。竹塀越しに砂川邸が見える。植木はきちんと刈り込まれていた。そう広くはない庭である。家屋は四角い煉瓦煙突のついたモダンな2階建て和風建築であった。でも雨戸が閉じられたままだったから、常住されているかどうかは解らない。美術館はよくある土蔵風和風建築で、そう広くはない1Fと2Fの2室を展示場にしていた。
- 型絵染とは芹沢の造語である。私は金沢の博物館で加賀友禅の工程を見聞したことがある。友禅には手書きもあるが型染めもある。染めてはならない位置に防染剤を塗ると言う意味では、その型染めとどれほども違わないようだ。防染剤の糊の主成分が餅米である点も同じだ。人間国宝と認められた理由は、図案色彩の芸術性にあるのだろう。2F階段正面の2枚は、比較的落ち着いた淡泊な色調の図柄が多い中で、特異的に華やかであった。この2作品は沖縄を題材にした琉球紅型調であった。いろは文字文は彼の代表作なのであろうか。昔何かで見るか読んだ記憶がある。
- 展示全作品の完成年度は'47年(52才)以降のものばかりだったと思う。加齢と共に細部まで行き届いた図案という印象が無くなる。全体のばあっと見た印象の方に重点が移ったか、視神経を長時間擦り減らす作業に耐えられなくなってきたからだろう。1Fには芹沢の肉筆絵が展示されていた。孫への絵ハガキはまことにほほえましい。焦点の物体だけが多少デフォルメされて描かれている。日本画家だなあと思った。受付で聞いた話では、着物地だから同じ柄物が各10着分くらい存在するという。ここだけにしかない着物地もあるといった。
- 柏市に下り立ったのは初めてであった。船橋で東武野田線に乗り換えた片道小1時間ほどの旅であった。野田線には柏市の近くにまだ単線区間があったが、高架複線化された区間が延びている。車窓から見えるのは家また家で、首都圏が際限もなく広がっている様を実感する。家は立派でも隣とは全く無関係の建築で、しかもたいていの家に庭がないから、風情がない。かっては田園地帯であったろうから、庭付きの街並みを考えた都市計画は不可能ではなかったろうにと思うのだが、酷評すれば、ゴミ箱をひっくり返したような印象でしかないのは残念な話だ。各個人は結構大きな投資をしていると思うのだが。私は最近TVで欧州鉄道の旅といった題名の番組をよく見る。一番最近ではイギリスのウエールスの車窓だった。片田舎を狭軌の列車が走る。中世からの町はもちろんだが、ニュータウンだってなかなかの街並みである。日本にだって外国人が驚嘆したほどの街並みがあった。今でも、城下町、門前町、宿場町、花街など街並み保存が出来ている場所に見ることが出来る。でも点で線ましてや面ではないのが残念である。
- JR柏駅前はたいそう賑やかで近代的であった。百貨店からスーパーまで軒を連ねているし、南口側は駅前広場が2F構造になっていて歩行者には便利である。私は北側から砂川美術工芸館へ歩いた。柏市を国道の6号線と16号線が十字に横断している。この美術館はその交差点の一角を占める。一帯は旧市街であろう。でも国道から入り込む道はどれもカーブを伴う細道のようで、かっての農村道所によっては田圃道をそのまま市道にしたことがよく分かる。車窓から見た町はまだ余裕がある配置だったが、柏の町中は東京と変わらずぎっしりと家々が土地を埋め尽くし、庭木を見つけるのも苦労であった。金沢や新発田で足軽長屋を見たことがある。そこにだって壺庭があったのに、いつの間に日本人は庭を住宅環境の一つに数えなくなったのであろう。別に柏に限ったことではない。家に比べてばかでかい、しかもけばけばしい看板が町の景観を損ねている。電柱も美観を損ねている。我が家の近辺では感覚が麻痺しているのかそうも大事と思わないが、余所に来るとその欠陥が目に付く。
- 美術館の休館後の行方はまだ分からない。美術品を散逸破損のないように願いたいものだ。退色虫害は着物地には付き物である。HPを見ると柏市は外国のあちこちと姉妹都市になっている。美術館は町の文化水準のバロメータ的存在でもある。外聞の悪い話だ。丸ごと建物までつけて寄贈されているのだ。金をかけて一から造った美術館ではない。それすら持ちこたえられないのかと思ってしまう。
('05/02/20)