ユリウス・カエサル・ルビコン以後(下)


塩野七生:「ローマ人の物語〜ユリウス・カエサル ルビコン以後[下]〜」、新潮文庫、'04を読む。この分冊はカエサル暗殺の詳細な描写から始まり、クレオパトラの死で終わる。その中間を埋めるものは、アントニウスとオクタヴィアヌスの抗争である。本文をめくり始める前に、カバーの銅貨についてと言う著者の埋め草が目に入る。表には初代皇帝アウグストゥス(=オクタヴィアヌス)がカエサルと並んでいる。カエサルには神君と彫られ、アウグストゥスには神君の息子と彫ってある。継承の正当性を主張している。我が国の近隣にも神君の息子が統治する国がある。この貨幣の裏には軍船が刻まれている。オクタヴィアヌスの勝利を確定したアクティムの海戦のオクタヴィアヌスの乗る旗艦を描く。息子だけではなくローマへの貢献を宣伝しているのだ。さて我が隣国の神君の息子さんはその点ではどうなのであろうか。
暗殺の日が3月15日、The ides of Marchであると西洋人なら当然の教養として知っているという。15日を示すidesはラテン語が語源で、ヨーロッパ各国語に多少変化が異なる類似語がある。EUに纏まる共通文明があるとは羨ましいことだ。ブルータスはポンペイウス派だったが、カエサルの寛容で去就の自由を与えられ、カエサルに従うようになった学究肌の人物で、本当の首謀者はカシウスだという。カシウスは、カエサルの朋友クラッススを見殺しにした戦歴のあるポンペイウス派のひとりである。カエサルの寛容の恩恵にはあずかったが、真に許されたとは思っていなかった。この猜疑心が暗殺に駆り立てたと書かれている。カエサルに出世頭に近い登用を受けているのに、なお先の欲に目がくらんだらしい。
カシウスもブルータスも、やがてカエサルの後継者を自認するアントニウスとオクタヴィアヌスによって敢えなく自決に追いやられる。信念で暗殺を首謀した人たちにしては簡単な幕の引き方である。サロン的人物であったのだろう。暗殺者たちは、間近にいた武将アントニウスをも殺すべきであった。暗殺後の彼らは市民の反発を恐れて、ただただローマから遠ざかるばかりで、暗殺後の計画もなしにカエサル暗殺だけを決行した形になった。ローマ進軍により実質二頭の三頭政治が成立し、反カエサル派の粛正が始まる。カエサルは寛容を旨としたが、後継者たちは陰惨な復讐方針を取った。密告制度が復活し、女子供といえども拷問の対象となった。共和派の論客キケロは「義務について」という一文を残して自決する。祖国への愛と憂国の情に溢れる名文である。筆者は同じく祖国を愛したカエサルとキケロが、なぜ対立せねばならなかったかを、二人の祖国の持つ意味の差に導いている。キケロのそれが旧ローマ本国人の狭い意味だったのに対して、カエサルのそれはローマ文明の傘の下に、多人種、多民族、多宗教、多文化が共に存在し栄える帝国であった。国連精神の先取りをしたのがカエサルというわけである。その証拠の一例に、被征服民族の代表たちに元老院の議席を与えた事実を述べている。
クレオパトラは才媛を誇るエジプト女王であった。カエサルとの間に1男子を設けている。エジプトは当時は他に例を見ない豊かな国家であったようだ。エジプト人には神として、アレキサンドリアに居住するギリシャ商人にはマケドニア王家の後裔として国を治めるのに巧であった。その限りではよかったのであるが、対ローマ戦略について、著者はクレオパトラに疑問を抱いている。女の浅知恵と言う表現が本書に時折顔を出す。ローマの政治体制軍事体制、何よりもエジプトが実質ローマの保護国である立場を見誤ったというのだ。カエサルの血を受け継ぐ王子に、ローマ帝国の覇権を夢見ていたのであろうか。彼女はアントニウスを閨に引き入れ、着々と旧エジプト王国版図の回復に取りかかる。元来はアントニウスとオクタヴィアヌスの覇権争いであって、エジプトは圏外に立っておればまずは安全の筈であった。
当初はアントニウス優勢であった。彼はカエサルの副将としての実績があり、しかも今や男盛りの壮年期であった。オクタヴィアヌスはまだ青年期に入ったばかりの持病持ちで、アントニウスは歯牙にかけるほどの値打ちもないと軽んじていたようだ。だが彼にはカエサルがつけたアグリッパという武系の補佐役がおり、何よりも忍耐力と判断力が備わっていた。なんだか信長・秀吉時代の家康の趣がある。第一人者アントニウスの失敗の一つは、オクタヴィアヌスにローマ西方の秩序回復を任せたことである。西方にはローマ本国が含まれる。東方は豊かだが軍は伝統的に傭兵制度の兵士で、市民兵のローマ軍にいつも敗れていたことを思い出さなかったのだろうか。もう一つはクレオパトラとの恋である。アントニウスに従ったローマ兵も、エジプト女王のために闘う気持ちはなかった。
ユーフラテス河はローマにとって鬼門である。今のイラク、イラン両国に跨る東方の大国パルティア王国に攻め入ったのはよいが、補給隊を殲滅され退却せざるを得なかったのが、アントニウスにとってはケチのつき始めであった。自信を失ったアントニウスはクレオパトラにのめり込むようになり、ローマ市民は彼を疑うようになる。オクタヴィアヌスは、国家ローマを守るために敵エジプトを攻める、軍の最高司令官に任命される。何のことはない、カエサル暗殺以降の権力闘争が対エジプト戦という対外戦にすり変わったのである。史上有名なアクティウムの海戦に破れ、アレキサンドリアに逃げ帰った後、二人は自決の道を選ぶ。
クレオパトラの地盤とするギリシャ人の動静について著者は述べている。貿易商人としては地中海に覇を唱えていたが、時代を担うという意味では第二級の民族になり下がっていた。どこでも個人でも生きていけるという国民性は、所属する共同体を維持する意欲に欠けることになりやすい。衰退期に入って長い民族が、再び興隆したという例もない。彼らには軍事能力がなかった。ローマ人に敵対することには賛成でも、戦場に行こうとする者はいなかった。国家の運命は自分が握っていると、眦を決して兵役に志願することのない国民は所詮第一級の民族ではないと言われると、我々日本人のかなりが尻こそばい思いに駆られるのではないか。

('05/03/10)