リビアの巨大ローマ遺跡


ハイビジョン・スペシャルの再放送「遙かなるリビア〜砂に抱かれた巨大ローマ遺跡〜」を見た。リビアはカダフィー大佐が率いる社会主義人民共和国である。'69年に無血革命が成功した。1992-'99の間、国連の経済制裁を受けていたが、今は国際社会に復帰している。豊かな石油資源のおかげで裕福(GDP=5261ドル/人、'01年、外務省、日本の1/6)だという。人口は620万(560万人(2003年推計)(EIU))、その1/3は首都のトリポリに集まっている。そのサブラータ遺跡、トリポリ、レプティス・マグナ遺跡をハイビジョン映像で紹介した。いずれも海岸よりの町である。
この地方はもう2000年以上昔のローマ時代から小麦とオリーブの産地として聞こえていた。塩野七生:「ローマ人の物語」には、イタリア半島の生産だけでは足りず、北アフリカなどからせっせと食料が輸入されたとある。今もオリーブの植林は見ることが出来るが、乾燥が進み砂漠が特に放置せられた遺跡の町に迫っている。遺跡がほとんど完全な形で残ったのは、皮肉にも、その砂のおかげではある。遺跡あたりで見る住民は浅黒い膚の人が多いが、首都ではむしろ白人系の顔立ちになる。前者がアフリカ先住民系で、後者はローマ帝国系アラブ系と旧宗主国(イタリア)系なのであろう。フェニキア人、ギリシャ人、ローマ人、アラブ人、オスマン・ロルコ人と土地を経済的あるいは政治的に支配した民族は次々と変わった。20世紀にはイタリアの植民地になった時代がある。
サブラータ遺跡(世界遺産)はフェニキア人が起こした港湾都市である。港湾設備は地盤降下からか海没してしまって、今は石畳を波が洗っている。BC 8世紀頃のフェニキアの塔が残っている。死者の記念碑であるという。この旧市街に対して、ローマ時代建設の新市街が東西大路の西側を占める。これと直交するように南北大路が走っている。大路と言ってもまあ10m幅ぐらいではある。町はどちらも同じぐらいの大きさで、800mX600mほどだ。市内にはほぼ5-6万人が住んだ模様。ローマ帝国の都市だけあって、公共広場、神殿、市協議会、劇場と公共の用に供された壮大な遺跡が残っている。背景に3層のバルコニーを残した、間口80mの大きな舞台の円形劇場にはギリシャ悲劇やローマ女神の儀式を伝えるレリーフが残っている。イシヌはエジプトの海の女神であが、彼女に捧げられた神殿がある。BC 4世紀ごろローマ人もギリシャ人も彼女に帰依していた。神殿の建設はAD 2世紀で、パクス・ロマーナの5賢帝時代の最盛期であった。賢帝第4代のアントニウス・ピウス(AD136-161)に捧げられた神殿がある。建造物にはリビアの赤みがかった石灰岩が使われている。
首都トリポリはローマ時代にはオエアと呼ばれた。ローマの遺跡として最後の賢帝マルクス・アウレリウスの記念門が保存されている。彼はAD161-180の皇帝で、彼の北アフリカ征服のレリーフが門壁に残されている。2mも砂に埋もれていたという。旧市街地にはローマの遺跡が埋もれたままになっている。街角の4隅にローマ時代の門柱とその飾り頭を使っている場所があった。石柱と飾り頭は別々のものだと解説者の東大青柳教授が説明していた。オスマントルコ時代の赤壁城(16世紀)は今はトリポリ博物館となっている。中はローマ時代の遺品で埋まっている。彫刻が見事だ。アポロ、ヴィーナス。四季の神々。地中海のめぐみ、魚のモザイク画があった。町には金細工店が多い。
私立小中学校に立ち寄る。教授がローマ遺跡について尋ねた。多神教の遺跡に、偶像崇拝を嫌う一神教のイスラム教徒がどのように接しているのか、非常に興味のある問題である。民族的にもローマとアラブは違っている。生徒は誇るべきリビアの遺産という返事をした。バーミヤンの大仏遺跡がイスラムの急進派タリバンによって破壊された記憶は生々しい。紅衛兵が石窟寺院の壁画を台無しにした記憶も生々しい。紅衛兵もいわば一神教の共産主義の先兵であった。油断は出来ないが、まずは一安心の模範解答であった。97%が就学しているという。高い就学率である。
レプティス・マグナ遺跡(世界遺産)へのサワラ砂漠の中で放牧生活のベトヴィン族家族に出会う。定住生活に移ったベトヴィン族も多いそうだ。遺跡はまだ70%が砂の中にある。フェニキアが第1歩を記し、AD1世紀から400年に渉ってローマが建設したローマ最大遺跡大都市で、1921以来イタリアが発掘を行ってきた。砂地を10mも掘り下げねばならなかったという。セプティミウス・セウェルス皇帝(AD193-211)はこの地の出身で、彼の名を刻む公共広場(市場でもある、8000平方m)やパシリカ(公会堂)がある。彼は屋台骨が傾きかけていたローマの秩序回復を志した武人皇帝であった。広場にはギリシャ神話の豊穣神ドゥーサのアーチが下の柱が欠けて背丈を低くした形で転がっている。凱旋門に円形劇場。立派な港湾設備が残っている。ちょっと手を加えれば、現代でも、大型船を停泊させることが出来るのではないかと思ったほどだった。この10万都市に5世紀にゲルマンが来寇し、7世紀にはアラブが破壊の後放置。以降1000年に渉り砂に埋もれた状況であった。
昨年NHKスペシャル「ローマ帝国 第一集 よみがえる幻の巨大都市〜帝国誕生の秘密〜」では隣国アルジェリアの巨大遺跡「ティムガッド」を見た。ここも砂漠化したために完璧な姿で保存されたローマ都市遺跡であった。トリポリとアルジェの中間より西よりの位置だ。2-300kmの間隔で、ローマ巨大遺跡が立ち並ぶこの周辺一帯は、古代にいかに豊かな土地であったかを示している。地中海南岸の乾燥化がその豊かさを奪った。僅か千数百年の昔に過ぎない。我々の住む地球の環境がもろくも崩れやすい性質であることを物語っている。私が改めてそんなことを書かなくても皆が解っている事実だが、この微妙なバランスを崩す営みが、特に強者側に無神経に実働していることも事実である。

('05/01/19)