古今亭志ん五独演会

- 日暮里サニーホールの古今亭志ん五独演会に行く。今年の寄席は、千葉市文化ホールの読売新春名人会(春風亭柳好の落語、江戸家まねき猫のものまね、桂米丸の落語)以来である。船の噺を入れたら3回目だ。その秋の日本一周・韓国クルーズ(飛鳥)で師匠と夕食を共にしたのが縁で、今日のお出かけが決まった。到着したのが18:20で東京駅で買った弁当を開ける。それだけを目的にした我々には時間帯がちょっと悪かった。同じように夕ご飯を食っている人を何組か見た。開演は19時、途中に中入りがあり、終演となったのが21:10だったと思う。前1時間あと1時間計2時間ほどであった。戻って行く客を志ん五師匠が見送っていた。飛鳥でもそうだったと思いだした。クルーズで同船だったと女性客に突然声をかけられた。あと1人挨拶を送ってきた男性がいた。やはり飛鳥同船の人だとその女性客は云った。
- さらを3番目の弟子と自称する若手の前座が勤めていた。古今亭章五という。飛鳥では師匠は弟子は5人と云ったと家内はいう。師匠を除いて全員が大卒だと笑わせたとも云った。独演会は家内總出のようで、切符売りももぎりも彼らがやる。入場料を木戸銭と古風に書いてある。3000円である。一種の家内企業なのだ。高座返しはもちろん前座の仕事である。前座がどんな話だったか忘れてしまった。落語は聞いている間は楽しく過ごしているが、何人かを聞いてから家路に就く頃には、たいていはじめの方は何を話したか忘れている。電車の中でもう忘れていたから、健忘症もいいところだ。他愛もない話だからそれでいいのだ、聞いていたのは巧みな話術で、どう笑わせるかという点だったのだろう。番組表は前座以降を書き上げている。
番組
1.落語 古今亭志ん公
1.ちりとてちん 志ん五
仲入り
1.漫才 昭和のいる
こいる
1.柳田格之進 志ん五
- 志ん公は、無筆の住人に来た手紙を、日頃ものしり顔に振る舞ってはいるが実は同じく無筆の男が読んで聞かせる、お馴染みの古典落語を演じた。いざとなると全く読めないものだから、八卦見がよくやるように、相手にかまを掛けては反応を盗み見し、確かめ確かめ四苦八苦する様を結構楽しく演じた。あの題はなんと云ったっけ。ちりとてちんは、碁会が流れ、あとの会食にと取り寄せていた料理を、長屋の住人に振る舞う話である。大家は、昔買った豆腐がまだ家に残っていることを思い出す。だが豆腐は腐敗して菌毛が生え茂り猛烈な悪臭を放っていた。これに唐辛子などのごまかし薬味を大量に混ぜ込む。大家は仇討ちを思いついたのである。いつも通ぶってはいやがられている住人を呼び出す。この「とてちりちん」の食い方を教わりたいと下手に出る。それからの通もどき氏の悪戦苦闘ぶりが見せ場である。顔の角度を、両手と連携させつつ、立体角で云えばπぐらいも変えながら、目を四角にしたり三角にしたり(流石に白目は剥かなかった)、鼻をつまんでは喉をびくつかせる。最後に彼が「とてちりちん」を飲み下すまでやるのだからたまらない。笑いが止まらなかった。
- 漫才は他愛のない世間話を軽妙に聞かせた。万事肯定派のぼけと批判派のつっこみがうまくかみ合って面白かった。ぼけのトレードマークになっている仕草も話題に合っていた。昭和コンビのどちらがぼけをやっているのかな。柳田格之進は記憶にない演題であった。ちょっとした講談風で、落語にはめずらしく重たい噺なのである。50両がなくなる。番頭に疑われたのは浪人の格之進。娘は親子の縁切りを迫り、吉原に身を沈めて金を作る。番頭は間違いなら主人共々首を差し出すと約定する。それが出てきた。噺はハッピーエンドにしてあるが、帰参叶って立派な身なりになった格之進が、その質屋に乗り込んで、2人を並べ刀を振り上げる。それまでの番頭の右往左往ぶりが噺家の見せ所で、噺の中の笑いどころでもある。志ん五のゼスチャーたっぷりの力演は十分楽しませてくれた。忠義とか孝心とかはいかにも時代がかった倫理で、師匠が現代で考えるととやったあたりで、聴衆はほっとして笑顔を作ってしまう。
- 明くる日、我が家の留守電に師匠から出席感謝の言葉が入っていた。中規模の劇場だったから2-300人の客だったと思うが、その半分以上は予約だろう。落語家のアフタケアはこれだけでも大変な作業だろう。改めて自由業の大変さを思い知った。
('04/12/08)