ユリウス・カエサル・ルビコン以前(上)


塩野七生:「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル・ルビコン以前(上)」、新潮文庫、'04を読む。ローマ人の物語はほぼ編年体で書かれている。だが、ユリウス・カエサルの巻(第W巻)だけは英雄伝形式になっている。文庫本になると全部で何分冊になるのか知らないが、この第W巻は6分冊から成っている。著者の考えるローマ史の中のカエサルの比重がどれほどのものか、数だけからでも伺い知れるというものだ。カエサルはBC100-44を生きた。彼は典型的な大器晩成型であった。だから現役としてローマ史の表舞台に立ったのは、暗殺されるまでの、生涯の1/3ほどの短い期間である。
この「ルビコン以前(上)」は39才までの、ようやく名を知られるようになった頃までの幼年期から青年後期までを記述している。知られるようになったと云っても、芳しからぬ彼の浮き名からである。彼は無類の好き男であったという。それから今でいう借金王でもあったと言うから愉快だ。なにしろ31才に会計検査官に就任したとき、1千3百タレントの借金があった。11万人の兵士を1ヶ年まるまる雇える金額という。このホームページには、江戸時代の下級武士の年俸を現在価格に換算した雑文が、いくつか入っている。そこからはなはだ乱暴に兵士1人年200万円とすると、2200億円になる。著者は桁外れの人物であった証拠にこの数字を出した。
前巻の内容がこの分冊の背景として再度登場してくる。同盟者戦役が終わり、市民派マリウスと元老院派スッラの確執が、天寿の差がものを云って、後者の勝利に終わる。カエサルは市民派と目されていた。スッラの復讐大虐殺の手から逃れたカエサルは、当時の学問のメッカ、ロードス島の留学生になる。第二章・少年期に当時のローマの良家男子の学友奴隷について触れてある。ローマの重要人物には生死を共にした奴隷が多い。この奴隷は少年期から同等の教育を与えられ、苦楽を共にするように運命付けられたと言う。日本の乳母兄弟に当たると思った。平家物語とか保元物語には、例えば義仲に対する今井兼平のように乳母兄弟として育ち、忠義を尽くす部下が描かれている。これは平安末期だが、盛期に書かれた源氏物語の源氏の部下・惟光も乳母兄弟である。幕僚に、少年時代を共に暮らした小姓たちを当てる話は、戦国時代の武将物語によくある話である。極限の忠誠心の拠り所は血ではなく同じ釜の飯と云うことだろう。
NHKスペシアル・ローマ帝国3部作が始まった。第1回では、アルジェ東南東350kmのローマ帝国の巨大遺跡「ティムガッド」が紹介された。2千年前のローマ都市が、上屋を除いてほぼ完全な姿で砂に埋もれていた。私は寡聞にしてその名を知らなかった。アルジェリアが内戦状態のため近寄れなかったそうだ。発掘で掘り出された豊富な遺物は、もう40年も倉庫に眠ったままだという。テレビ映像になったのは初めてだそうだ。この番組は、世界帝国が、500年(その内200年はローマによる平和(パクス・ロマーナ)の時代)にわたって繁栄をし続けた秘密を解き明かそうという試みである。
インターネットでTimgad遺跡を調べてみた。長方形(300x400m)の都市、京都の旧市街のような碁盤の目の町区画、東西十文字の大中央道路、上下水道完備、3カ所に上る大浴場、2カ所の市場、公共広場、劇場または剣闘場、神殿(聖堂)、議事堂、公会堂、図書館それから凱旋門。辺境の異民族に、これがローマだと教える見本都市が、ここに限らず数多く建設されたという。今は砂漠だが、建設当時(AD100、Trajan皇帝)は肥沃な標高1000mの、おそらく気候温暖の緑の大地であった。帝国瓦解後放棄された。1万数千人の人口であったとか。融和共存のための見本都市と対比されたのは、チュニジアのカルタゴ遺跡の映像とナレーションであった。生き残りは1人残らず奴隷に売られて都市国家カルタゴは消滅した。それこそペンペン草も生えぬようにとローマは勝利後、破壊し尽くしたカルタゴの地面に塩を撒いた。
遺跡から発掘された神々の群彫刻はローマの神とアフリカの神を並べている。多神教であるからなせる技である。仏教の神々には、元来は土着の神であった例は数多く見いだせる。逆に仏教の神々は同じく多神教のヒンズー教の神として吸収されている。多神教だからと云って必ずこうなるのではないが、解け合わぬまでもモザイク構造でともかく共存し合う例が多い。NHKスペシアルは、現在の一神教々徒たちの起こす深刻な争いに一石を投じたかったのであろう。キリストが現れる以前に、カエサルが帝国の礎石を作ったのは、版図領民にとってより幸運であったのかも知れない。次分冊以降が楽しみである。
11/22胡錦濤中国国家主席は小泉首相との会談の席上、靖国問題を蒸し返した。多神教が基本の国の首相のお宮参りに対し、共産国家が干渉を繰り返す。共産党の考えが絶対で他を許さないという信仰は、まさに一神教のそれである。小カトーが弾劾に使った言葉が引用されている。「忘れてはならないことは、確固たる信念でことに当たれば相手の対応は弱くなるということであり、反対にびくつきながら行動すれば、相手は勢いづいて強硬に出るということである。」外国の干渉にはこの姿勢が一番である。閣内や与党の人が、首相の参拝はいかんなどというのは論外だ。田中真紀子さんは個人としては魅力ある存在だが、外相時代の首相参拝反対の発言は身内として失格であった。安倍さんの中国の覇権主義反対論は当を得たものだ。
カエサルの借金についての著者の説は面白い。借金が少額のうちは債権者が強者で債務者が弱者だが、額が増大するやこの関係は逆転する。多額の借金は、債務者にとっての悩みの種であるよりも、債権者にとっての悩みの種になるからである。債務者が破滅しないように全力を挙げねばならぬのは、債務者の方になるからだ。周恩来首相時代と比較すると、中国の今日の高飛車な対日姿勢は、カエサルの借金に学んだのではないかとさえ思われるから、歴史とは面白いものである。支援総額が兆円をとっくに超したあとだからである。

('04/11/24)