草の乱

- 神山征二郎監督、緒形直人主演:映画「草の乱」、神山プロダクション他、'04を見た。翌日もう一度見た。なかなか真っ当な作品である。死刑判決を受けながら病死するまで33年を逃げ切った主人公の証言として、秩父事件を描いている。事件の研究書を読んだことはないが、虚構の少ないドキュメンタリー風描写だと思う。秩父事件とは、明治16年に秩父地方に起こった世直し暴動で、農民一揆の流れを汲むと思うが、自由民権思想に裏打ちされている点が江戸時代の一揆と異なり、それが故にであろう、明治政府は最後は軍隊まで動員して運動を壊滅させ、検挙者よりは多数の死刑者を出した。
- 蜂起前に首謀者たちは上州(群馬)や信州(長野)とも連絡を取り合っている。これらの地方は養蚕地で、生糸暴落という共通の被害が団結を可能にした。関東ではほかにも武州(ここでは多摩を指している)、甲州(山梨)、相州(神奈川)など各地の農民暴発の噂が劇中に出てくるほどに、緊迫した情勢だったようだ。秩父暴動に荷担して一斉に蜂起する計画も出たようだが、上州は中心の群馬自由党が露見壊滅しており、信州からの参加者2名という地方暴動にならざるを得なかった。秩父もはじめは自由党の主導であったが、決起前夜に自由党は自ら解散する羽目に陥る。それでも決起をともかくも組織できたのは、秩父がもう一つ困民党という土地組織を持っていたからだ。なぜ両党が並立したのかはよく分からなかった。自由党が火を付け困民党が闘ったのである。
- 歴博の江戸期の展示室には養蚕家が保存していた繭の系統サンプルがあった。繭こそ生糸の命、それが遺伝学的にも高い水準だったのである。そのため門戸開放で大輸出産品となったが、生憎と投機対象商品であるため、景気の波を真っ正面から被らねばならなかった。映画は生糸問屋丸井屋の主人が横浜から戻ってくるところから始まる。前年の半値1斤(=160匁、1匁=3.75g)あたり3.95円でがっかりする農民。米がろくに取れないこの地方は、養蚕がいのちである。農民の持ち込む生糸はせいぜい1人3斤だ。現在価格に換算するなら、年10万円ぐらいで一家を養わねばならぬ勘定になる。暴動の年には、さらに値段が下がるという情報が入ってくる。農家は高利貸を頼るが、1年にならないのに10円が27円になると言う。支払えぬものは身代限りつまり破産の通知を裁判所から受け取る。それが部落19軒の内12軒という有様である。自由党は法外金利の停止を訴えるが、官憲は手を貸さない。これで蜂起のお膳立てが揃った。
- 一家総出で養蚕に励む農家の映像は懐かしかった。お蚕さんには去年に岡谷蚕糸博物館で久しぶりにお目に掛かった。実験棚は一棚ぐらいだったと思う。部屋一杯に蚕棚が並ぶと何とも云えぬ生臭い匂いがするものだ。私は集団疎開で農村に出たとき、蚕に取り囲まれて生活する姿を見知った。農村の傾斜面には一面に桑の木が植えられていた。桑の実は黒色の小さい房状で、おやつらしいおやつがなかった戦中であったから、摘んでは食べ摘んでは食べたことを思い出す。何十年してからその疎開村に旅した。桑の木はすっかり無くなっていた。今は昔という。各地の博物館に、隆盛時の養蚕業製糸業を物語る展示を見ることが出来る。須坂市立博物館のように、ここ須坂には女工哀史はなかったと言っているものもある。
- 秩父事件ではともかく高利貸の成敗に成功した。農民たちは確かに切羽詰まっていた。3000人からが集結した。だが、首脳陣は農民の窮状は知っていたが、いずれも明日の心配をする必要のない富裕層出身である。総理の田代栄助は富農、副総理の加藤織平は博徒の親分、会計長の井上伝蔵はこの映画の主人公丸井屋の主人、大隊長クラスには郷士上がりかも知れないが士族である。一揆の首脳が、こと敗れた後はどんな処分を受けるかは、知り尽くしているはずの人たちである。そして一揆が過去一度も成功していないことも知っていたはずだ。個人的には見返りは何も期待できない中で、敢えて引き受けた首脳たちの精神構造をどう理解したらよいのか。公憤義憤だけで命を懸けられるものなのか。
- 博徒の親分が副総理というのにはちょっと驚いた。アウトローの実像は、今年の6月に歴博の「民衆文化とつくられたヒーローたち」で幕末博徒水滸伝として勉強させてもらった。当時のアウトローの義人的性格は認めねばならないように思う。士族たちは百姓一揆なのに面目をかけてかいつも先頭になって闘った。旧士族の憤懣のはけ口にもなっていたのだろう。竹槍と鍬の農民は、戦闘にはあまり役立たなかったようだ。秩父での成功後、田代が止まって周辺の反応を見ると決定した。田代の言い分はこれ以上農民に犠牲を出したくないということだった。高利貸の証文を焼き捨てれば終わりとは、全く中途半途な決断をしたものだ。
- 秩父の成功の理由の一つは兵器である。郡内に猟銃が2000丁も登録されていると知り、警部長が驚く。一揆側には銃隊がおり、警官隊の兵装では太刀打ちできぬ。猟銃は火縄銃で、弾丸は鉛玉であった。鉛玉を鋳、火薬を調合するシーンがあって面白かった。だが官軍の正規兵は元ごめの新式銃であるから、照準もよく有効距離も長くかつ発射数も多い。たちまちに打ち負かされて敗退することとなる。さらに大砲1門があって、敗退の殿軍が官軍に向かって発射する。砲弾は着弾すると爆発した。この大砲はどうも木製のようで、樽のように円筒形になるように竹輪で縛ってある。着弾すると爆発するような近代的砲丸とはちょっとバランスの取れない品物であった。爆裂弾は多分嘘であろう。全く活躍の場がないのは女たちである。ただただ裏方を支えるに止まる。秩父事件を眺めると不思議に中近東の聖戦との類似性が頭を過ぎる。男が家庭を顧みずに絶望的な戦を戦えるのは、極度の男女不平等社会であるからだ。
- 秩父事件が関わるという意味では、NHK大河ドラマ「獅子の時代」の方が先である。菅原文太演じる木訥な会津武士が、時代に揉まれ揉まれする内に次第に近代思想に目覚めて行く。最後は秩父事件で農民側の一方の旗頭となって官憲に戦いを挑む。もう20何年も昔の作品である。始まりがパリ万国博覧会のために駅に降り立つ侍たち、終わりが竹槍と刀の一揆隊という人目を引きつける映像で、日本の大乱時代をスケール大きく描いた秀作であった。あの作品では、おもんと言うヒロインが、敗れた側の女の懸命のあがきを健気にも哀しく見せた。大原麗子の脂ののった年頃の演技としてこれも忘れられない。劇中の女の役割の差は、ドラマとドキュメンタリーの相違であろう。
- 鹿鳴館の舞踏会における伊藤博文の文明開化擁護のセリフ、山県有朋の富国強兵擁護のセリフは、西洋だけが世界で、弱肉強食が当然であった時代の日本の苦悩として、真摯に受け止められる。日本は列国の侵略をやっとの思いでしのぎはしたが、数々の不平等条例に悩んでいた。施政者としては秩父事件鎮圧は当然の行動であった。そのために生じた歪みは、しかし、次の歪みの原因になりついに太平洋戦争まで続く。私は秩父事件であっても明治政権対貧困農民と言った2極的な捉え方には付いて行けない。当時の世界の中の日本という立場を理解の基礎に置かなければならない。
('04/11/10)