量子力学と私

- 朝永振一郎:「量子力学と私」、江沢編、岩波文庫、'97を読む。私にとって量子力学はほとんど無縁の存在だった。それでも化け屋の立場で量子化学の匂いは嗅いだし、現役最後のテーマが高分子だったので、くりこみ群理論にはたいそう魅せられた。朝永先生は量子電気力学上のくりこみ理論でノーベル物理学賞をお取りになった。だからくりこみの縁でいつかは先生の業績を辿ってみたいと思っていた。
- くりこみ群(renormalization group)理論では、無秩序の混沌とした世界では、近くで見たミクロの形態と遠目のマクロの形態は相似だという。今丁度、我が家の窓から街路樹のけやきが、美しく紅葉し落葉を始めているのが見える。枝分かれだけに注目してこのけやきを眺めよう。けやきは上に向かって枝が扇型に広がる特徴があるが、樹木として眺めても先端の細い小枝を凝視しても、その特徴は共通に保存されている。統計的な意味で相似なのだ。いや相似と仮定してしまうのだ。小さいものを大きなものへ繰り込むのである。この理論は、現実の高分子の、つまり排除体積を有する高分子の大きさを決めるのに、大いに役立った。
- 量子電気力学のくりこみはえらく様相が異なる。量子力学にはもともと発散の困難がある。電子の質量も散乱も場の反作用を考慮に入れたとたんに、量子力学はそれらが無限大だという答えを出す。現実にはもちろん有限である。朝永先生は無限大は無限大だが、先覚者の計算間違いを発見されて、共に同質の無限大であることを見出された。それまでは質量が一番強い無限大になって、残りの散乱特有の無限大はそれより弱い無限大だと言うことになっていた。なんだかさっぱり分からない話だが、そこが非常に大切であることは本を読めば解る。これで散乱に現れる無限大は、質量の無限大にくりこめることが出来た。これは質量と電荷に無限大をくりこんでしまうことと同等である。すると残りは有限だと言うこととなる。「くりこみ」という言葉は同じだが、私の「くりこみ」群とはたいそう意味が違う。それでも何となくニアンスが合っている。
- 朝永先生はこの理論で無力な部分、つまり質量や電荷の反作用による部分を計算できないというところを現象論で補う手法を開発された。試験の時のカンニングに似ているが、計算で答えがでないからちょっと自然自身に教えてもらうと書いてある。この代入をrenormalizationと言う。renormalizationの日本語訳はくりこみで、くりこみ理論はどちらかというとこちらから来ているようだ。先生は日本語ではなんと言いましょうかとおっしゃっているから、先生自身の訳語ではないようである。巻末の解説によると、くりこみ理論による量子電磁力学の計算は十桁も実験に合うとある。その後の発展は電磁的な相互作用と弱い相互作用の統一をもたらし、さらに強い相互作用まで含めた大統一理論に進んだと書かれている。
- 先端の先端に位置する科学には、虚偽とも真実とも区別が付かない実験事実と理論が、いくつも並立している。中には捏造が入った、科学者個人の名声維持に関する人間くさい話も交錯している。日本の旧石器時代遺物に関する考古学事件はいまだ記憶に新しい。ユタ大学研究者からの電極反応による常温核融合の発見報告は、未来のエネルギー事情に資する明るいニュースとして世界を駆けめぐった。JR ホイジンガ:「常温核融合の真実」、青木薫訳、化学同人、'95には、その実験を是とする理論が雨後の筍のように次々と発表されたと書いてあったように思う。中にはノーベル賞を取った科学者もいたという。この話は結局は実験の再現が出来ずいつの間にか話題から消えた。実験物理学者の小柴先生の著書、ニュートリノ天体物理学入門には先生の理論に対する姿勢が垣間見られる。いつも眉につばを付けて眺めておられるようだ。
- 朝永先生が量子力学にとりつかれた頃の量子力学の信頼度は、限定的ながら素粒子物理学実験上の困難をいくつか解決して、素粒子論の指針になりうると期待され始めた頃だったようだ。本に収められている内容は理研や学会、あるいは受賞記念の講演などと滞独日記抄である。湯川先生とは同時代の人である。大学で量子力学を専攻することとしたが、日本には専門の教官もおらず勉学は困難を極めたという。就職先の理研の仁科先生は大親分としてよく弟子の面倒を見たようだ。先覚者の苦しみが滞独日記によく現れている。毎日毎日が行き詰まりであった。くりこみ理論の第1報が'47年で、その年を挟んだ3-4年の論文発表数は一代記の中で群を抜いて多い。break through出来たときの勢いが数字に出ている。研究者の生涯とは、私の拙い経験に照らし合わせても、まことに博打打ちに似ていると思う。
- この本を読む順序としては、立場にもよりけりだが、一般には、目次順ではなく最後の章の粒子・波動から読んだ方がよいと思う。そこでは、素粒子と粒子の違いを、噛んで含めるように言葉で説明している。そして目で覚えた常識の当てはまらぬ世界故、数学に依存せねばならぬと言う。ほんの僅かだが、その数学的表現が最後の最後に「量子力学的世界像」の節に現れる。高校出てしばらくしてからだったか、私は新刊の量子力学の解説書に手を出したことがあった。独学だった。シュレーディンガーの式が表に押し出されていて、全くチンプンカンプンのまま勉強を放棄した苦い思い出がある。この本のような解説を受講する機会がもしあの当時にあったなら、私にももう少しましな理解力が付いていただろうにと残念であった。
('04/11/07)