時代祭と鞍馬の火祭


京都駅に11時前に到着。JR伊勢丹前の京都市観光案内所に直行し、予約の観覧席を入手。地下鉄烏丸線丸太町駅から京都御苑に直行した。晴天。絶好の時代祭日である。私は平安神宮道、御池通りで行列を見たことはあるが、京都御苑内で見るのは初めてである。古い映画で恐縮だが、岩下志麻主演、川端康成原作の「古都」に、堺町御門あたりだったか、御苑の低い石垣と山国隊の鼓笛を背景に、贈られた帯を締めたヒロインがたたずむシーンがあって、印象深かった。だから一度御苑の時代祭行列を見たかったのである。実は平安神宮側観覧席の方が早く詰まった模様で、人気はそっちだったらしい。
岩崎宏美がマイクで解説を流す。行列の人物についての解説は少々うるさく感じた。祭りの総費用が30-40億円、行列の衣装は京の職人が厳格な時代考証の下に作り上げたもので、中心人物には1人1000-3000万円も掛かるのだそうだ。明治の頃に時代祭プロジェクトを立ち上げた平安講社社中は、準備資金を捻出するために日に1人1厘?の積み立てをやったという。組織底辺の厚さを言いたかったのであろう。御所前の幅広い砂利道を進む行列には、松の緑がよく似合う。少なくとも御池通りあたりの、民家と電線を両脇とするコンクリート道とは違って、なかなか味わいのある景色である。御苑に来てよかったと思う。
山国隊のお馴染みの鼓笛をワクワクして聞いた。時代祭はこれがあるから引き立つのである。彼らの大太鼓は昔は和太鼓だったと思う。一際大柄な隊士が和太鼓を胸に抱え載せ、最後尾でドンドンとやった。今は洋式太鼓だった。大原女、桂女、白川女は初めて見る行列である。いつ頃から行進に加わるようになったのだろう。太平洋戦争が始まった頃までは、私が住んでいた北野神社御旅所のあたりにも、花売りの女が通りを流していた記憶がある。親は大原女と言っていたが、行列を見るとどうもあれは白川女だったようだ。桂女は佐倉の歴博に人形模型として示されている。鮎を道ばたで売っている姿だったと思う。
記憶が確かでないが、行列に女性の占める割合は昔よりずっと多くなっているようだ。源平時代の武者とか僧兵群がいないのはちょっと寂しかった。出し物が年々変わるようならまた見物に行きたいと思う。一般の印象としては、装束がしっかりしているのに、行列脇役がひよわで弱々しく、もうちょっと背筋を伸ばして歩けと言いたくなるアルバイト学生らしい行列武者がかなりいた。行列の主役級は、全部がそうではないが、相応しい顔立ち骨格の男性、優れて美しい女性でまず不足のない配役だった。
私の隣は御所奉仕団の人たちであった。揃いの白の奉仕着を着ている。静岡県から来たと言っていた。ミカンをもらう。ほとんどが中年以上のようであった。行列には区切りごとに講社社中の世話役らしい一団が並んで歩く。その中には顔馴染みでもいるのか互いにエールを交わしていた。
ホテルで少し休憩してから地下鉄で三条京阪に出、出町柳に京阪電車で出た。叡電出町柳駅は長蛇の列であった。京阪の出町柳駅の改札出口から地下道をぐるぐると蛇行した列が、叡電の駅の改札まで続くのである。何しろ電車が小さく車両は2両連結で短い、おまけに途中から単線だから列車本数を増やすわけにも行かぬ。5列車分ほど待ったろうか。戻りはバラバラだったからもう少し列の人数は少なかった。しかし往復とも車中は40分ほどを立ちづくめだった。小さい電車だから余計に外人が目立った。時代祭見物も外人が多かったが、鞍馬火祭はことに多いように思った。著名な日本の祭りはたいていは出掛けているが、こんなに外人が目立つ祭りは他にない。鞍馬駅近くになるともう夜に入っていた。宿の篝火は赤々と燃え雰囲気が感じられた。
駅出口は狭い門前の道を臨時に大回りするように造られていた。火祭り現場は狭い道路を、松明の祭りに使う通路と観客の通路に分けて使うのだから、押し合いへし合いで大変。私など一度も松明から下の担ぎ手、装束に身を固めた氏子の姿をまともに見なかった。電信柱のような外人を、このときばかりはうらやましく思った。ところで私はまだ昼も夜も食っていなかった。出町柳で電車待ちをしている行列に、ロッテリアだったかが、抜け目無く400円大サービスと称するトリ足1本付きハンバーガー2個入りの袋を売っていたのを買っておいたので、行儀が悪いが、それを取り出し食い始めた。
夕暮れ時にはもう鞍馬の町に入って、準備の様子も含めて、参道の左右をゆっくり見物しておけばよかった。西川幸治:「歴史の町なみ 京都編」、NHKブックス、'79と言う古い本に鞍馬の記述がある。歴史を伝える古い民家が数多く残っていると書いてある。私は祭りでないときに何度か足を運んでいる。今も町なみが保存されているのかどうか気がかりである。ついでだが、祭礼の単位である仲間とか寄合所の真堂、柏堂の由来も説明されている。仲間は僧兵崩れが鞍馬寺や由岐神社の奉仕組織としてまとめ上げたものらしい。もらったビラの仲間の名称は、歴史を語るこの本とほぼ同じであった。火祭りは神社の祭りで寺のそれではない。だが昔は寺も神社もあまり区別しなかったのだろう。この鞍馬部落は1千年を越える有史の誉れ高い集落である。
「さいれや、さいりょう」と聞こえる掛け声は「祭礼だ、祭礼」という意味だろう。到着して1時間半ほど叡電鞍馬駅と山門の間の三叉路に立ちつくしていた。写真は何枚か松明と群衆に向かってシャッターを切ってはみたが、ろくな写真になっていないだろう。大松明が山門と宿の間を盛んに行き来し、神社の矛や幡が練りだした頃に、引き上げる決心をした。御輿はとうとう見なかった。ホテルには10時過ぎに到着した。足が棒のようだった。風呂に入ってすぐに寝た。

('04/10/27)