神戸:和田岬


飛鳥は9:30に今回の秋の日本一周・韓国クルーズの第1寄港地・神戸港に到着した。私は根が関西人だから神戸も程々に知ってはいる。だが、港を海側から間近にみるのは初めてで、何か新鮮であった。三菱重工・神戸造船所構内にあるという旧和田岬砲台遺跡は見えなかった。建物に取り囲まれているのであろう。この遺跡が今回のお目当てである。その横が上組、さらに横に川崎造船所らしい工場に繋がっている。造船所には建造中の船が全ドッグ数の半分ぐらいを埋めていた。浮きドックも空いた状態で見えた。船尾側を垂直に切り落としたような構造の船が見えるが、どんな目的の船であろうか。それともさらに後尾に構造体をつなぎ合わせるのであろうか。
ポートライナーから地下鉄海岸線に三宮で乗り継ぎ、和田岬駅に着いたのが1時半頃。訪ね訪ねて三菱・神戸造船所の正門に着いたのがそれから10分後だったか。三菱の人たちは一般に横柄な口の利き方をする。昔のお役所と言った印象だった。注意して正門をくぐる人を見ていると来訪者の方が慇懃である。大三菱の悪い面がこんなところにでているのであろう。同じ時刻にもう一組の見学者があるとかで、彼らを少し待った。その夫婦は車でやってきた。神戸市東灘区の人といい、テレビで砲台の話がその日に放映されたのだと言った。砲台遺跡は歩いて20分ほどの海岸線近くにある。だから会社の車で案内する。案内は総務課の女性で、運転は正門の警備会社の人だった。警備会社といっても子会社らしく一応身分は三菱社員のままの出向らしかった。見学案内は会社の文化貢献としてやっているのであろうが、ご苦労様である。
周囲を造船所の建物に取り囲まれて、砲台遺跡は肩身が狭そうであった。お台場と違って和田岬は元からの陸地であった。貰った資料には砦を取り巻くように星形の土塁が築かれ、それが東西に約60m南北に約70mだったとある。土塁には大砲8台がおける設計のようだがその跡形は今は失せている。直径15m高さ11.5m円筒形石造りの砦は近寄るとなかなか重厚である。石の厚みは1mは超えていよう。砲窓はそう広くないから大大口径の大砲を入れるつもりではなかったようだ。頑丈な内部木組みは建造後一度も手を加えていないそうだ。さすがにもう腐り始めている。だから見学は1Fだけである。
管轄は兵庫県と神戸市の双方になっていて時折点検にはくるが、修理には着手しないと案内人が苦笑した。内部に砲身冷却用の井戸があり一応真水だったという。鐘突き堂のような構造になっていた。一度も大砲を据えることなく歴史の舞台を去った。勝海舟設計で建造に1年半を要した。工費は2万5千両今の25億円と聞く。結構汗をかいた。風はあったが30度を超す気温と蒸し暑さのためである。
帰途車の中で聞いてみた。造船所はどこまで作るのかと。船体構造物の他にエンジンや主要内装機器まで作っているようだった。海側から見た、船尾を蒲鉾のように切り落としたような姿になっている船は、どうも自動車運搬船らしかった。造船所は高い防潮堤とその内側の少し背が低い防潮堤によって二重に保護されていた。

('04/10/07)