食の世界地図


21世紀研究会編:「食の世界地図」、文春新書、'04を読む。世界地図シリーズの6冊目だ。今回のテーマ「食」は気楽な対象だから楽しく読める。ただ大部分は欧米文化に属する話題で、その他では中国の食とそれにまつわる話が比較的多く紹介されている程度である。私は当然ながら自分の好きな一皿との関連で読み終えた。
和幸というトンカツ屋がある。ランチメニューに和幸御飯というのがあって、私の定番である。ウエイトレスと顔馴染みになるほど通った。ロースカツにみじん切りのキャベツを添えた一皿に、シジミのみそ汁と香の物と飯をお盆に載せて運んでくる。飯とキャベツとみそ汁はお代わり自由である。和幸御飯以外のメニューも試してみたが、ヒレにせよエビにせよどうも口に合わない。私は生まれつき安上がりに出来ているようだ。
トンカツは今では和食の一つになっているが、出自はヨーロッパである。トンは豚、これはすぐ分かる、カツはカツレツの省略で、カツレツは英語のcutletから来ている。cutは切り身、-letはbookletなどと使う指小辞だから、小片の切り身ぐらいが原意だ。何の切り身でもよいというのではなく、ヒツジまたは仔ウシと限定して使う。そしてその揚げ物も意味するようになった。トンカツであってトンレツとならなかったのは、カツがレツよりも語呂がよかったし、「勝つ」に通じるめでたい言葉だからだと思う。戦中出世軍人を送る宴会などで、縁起を担いで、トンカツをメニューに入れたなどと言う話は昔語りになった。フランス語ではコートレットで意味はほぼ同じ、イタリア語ではコトレッタとか。ドイツではシュニッツェルとゲルマン語に翻訳してある。ミラノ風コトレッタがスペインに入って、頭のミラノ風(ミラネーサ)だけで我々のカツレツを意味するようになった。我々で言えば、トンカツのカツを取ってカツ丼と言うがごとしだ。カツ丼のカツはカツレツ(牛)のカツではないからややこしい。ロシアのカツレツは鶏、イスラエルのカツは七面鳥という。
外国でレストランにはいる。メニューが出てくる。でもそれから料理内容を想像するのは困難である。かろうじて分かるのは大分類としての素材に何を使ったかだけである。東京五輪の頃ドイツに滞在した。今はどうか知らないが、日本のように店先に見本が展示されているわけでもないし、メニューに写真で紹介しているわけでもない。英語など給仕人には通用しない時代であった。臭いチーズが山盛り出てきたときもあった。壺に細長の魚が、酸っぱいシロップに有り姿のままで漬けられて出てきたこともあった。コースで食うときは失敗がないが、一品料理ではしばしば驚かされた。この本を読むと、当時の私の戸惑いに対して、いろいろ思い当たる節がある。何々風と言うのがくせ者だ。土地の名をかぶせた、例えば日本風という料理があったとしても、それがどんな調理なのか見当が付かない。土地の名ならまだしも、料理人の名とか王妃の名とか貴族や芸術家の名を冠した料理となると、もっと理解困難である。素材も中分類以下は字引でも持ち込まないとまずは分からない。調理法も又同じ。当時日本で売られていたソースは錨印だったかの1-2種類だけだったと記憶するが、本場にはソースの種類はそれこそ五万とあるのである。
トンカツソースはもはや日本のソースであると書いてある。欧米に類似品は無いという。起源はおそらくイギリスのウスター・ソースだという。イギリス料理にはフランス料理のような名声はない。フランス人はイギリス人を揶揄って、「百の宗教があっても一つのソース(ウスター・ソースのこと)しかない」国だというのだそうだ。イギリス人は、悔しがってかどうか知らないが、フランス人を「カエル野郎」と軽蔑するそうだ。私がもし「ザリガニ野郎」と叫んだら、それはカナダ人をからかったことになるのだろうか。アメリカ兵が朝鮮戦争で現地人が犬を食うのを見て「犬食い」と嘲笑し、ソウル五輪だったかIOCの要請でその間は犬食いを止めにした事件も食の偏見から来ている。大航海時代の船乗りにとって壊血症は命取りだった。それを救ったのが生野菜と生の果物だった。ライムは保存も利くから、まさに船乗りの守り神だったのだろう。だが当時田舎もの扱いされていたアメリカ人はイギリス人を「ライム野郎」と陰口を叩いたそうである。京・伏見のお稲荷さんで「害鳥」雀の焼き鳥を売るのは伝統である。ところが占領軍がそれを見て、かわいい小鳥を焼いて食うとは日本人の残忍性の証拠と言って中止させた。文化偏見の象徴的な事件としていまだに私の記憶に残っている。
パンはエジプトに始まり、ギリシャを経由してローマに伝わった。それまではローマ人は粥を食っていた。ギリシャ人はローマ人を「(パンを作れない・・私注)粥食い人」と言って侮蔑したそうだ。パンはビール醸造の延長にある高級加工食品である。脱線だが、先日日本のあるビール会社が古代エジプトの方法でビールを試作したというニュースを見た。ホップの代わりには何を使ったのだろうと気になる。1本10万円とも。ともかく味は現代とそう変わらなかったという。私に言わせれば葡萄酒は猿酒である。木のくぼみにでも果物を詰めておけば自然発酵で酒になるチャンスがある。しかし日本酒やビールは澱粉の糖化に麹作りとか麦芽化という技術が要る。その意味で高級である。パンは麦芽を糖化する際の副生技術らしい。
イギリスの朝食に出るオートミールは、パン以前の、これも粥食いのゲルマン人の食生活の名残だという。イギリスがローマ文化の周辺地であった歴史的事実を、粥に残しているとは愉快である。机以外の四つ足は何でも食ういかもの食いの中国人には、なんとあだ名を付けたらいいのだろう。自分にない文化を相手に見つけ、それをからかう材料にするぐらいなら許せるが、文化の相違を政治の対象にされると深刻な事態になる。日本の低賃金を一つの理由に経済封鎖網を敷いたのが、太平洋戦争の重要な一因であった。その教訓は今日に生かされている。中国の、日本の1/5という低賃金による経済発展に対して、どこも経済包囲網を作ろうとは言わない。過去の恩恵を被っているのである。中国の反日教育では、そんな事実は無視されているのであろうが。
キャベツはイタリア原産という。アブラナ科の野菜はたいていは縄文時代から日本で利用されていたらしいが、インターネットで調べると、キャベツはずっと遅れて江戸時代にオランダからもたらされたとあった。はじめは観賞用だったようで、野菜として利用されだしたのは明治の頃からのようだ。トンカツの歴史とドッコイドッコイなのだろう。藤沢周平と言う小説家は江戸期の食物にはいたく関心があったそうで、TVドラマ化された鬼平犯科帳や剣術商売には料理の場面がいろいろ出てくる。思い出してみるとどうもキャベツはなかったように思う。それから出身地の京菜にもキャベツはなかった。明治以降というのは正しいらしい。私の頭は何となく明治維新を境に和風準和風を決めている。トンカツにキャベツはだから準和風。盆に付いてくる香の物(野沢菜)とシジミのみそ汁は和風。飯も和風。和幸御飯はだから平均して和風。
ついでだからもう一つの好物についてこの本の受け売りをしておこう。そばである。千葉の菜の花畑ほど華やかではないが、信州の、一面に白い花を付けた蕎麦畑の風情は、なかなかのものである。五穀豊穣の五穀とは米・麦・豆・あわ・ きび(または、ひえ)で、そばは入っていない。しかし、インターネットの知識だが、日本では太古から食用されていたことは考古学が教えているという。番外穀物、つまり救荒作物という位置づけであったのだろう。わたしはアジアの寒冷地帯の植物かと思っていたが、中欧北欧では常食穀物だった土地もあるという。だが食べ方は我々のようにそば切りにするのはごく稀で、そばがきのように練って粥状あるいは団子状にするか、薄い平焼きにするのがほとんどだという。そば切りの例外はイタリア北部にあるそうで、パスタ料理のような食い方とある。わさびの利いた出汁にチョンと漬けて喉越しで味わう。こんな料理は日本だけらしい。喉越しだから二八か三七かあるいは一九が問題だ。数字の少ない方がつなぎの小麦粉の割合である。一番ポピュラーなのはもちろん1杯16文の二八である。しかしそば粉の割合がもっと多い方がいいという通は多いようだ。私は二八でいいと思っている。それよりも粉のひき方だろう。
正式の懐石料理や会席料理では、献立が一品ごとに順を追って運ばれてくる。精進料理を本式に食べた記憶はないが、こちらも多分同じであろう。コースのフランス料理も同様である。一番おいしい状態の間を見計って料理を出す。そのタイミングは料理店の腕の見せ所である。ところがフランス料理では、昔18世紀前期ごろまでは、全料理を一度に並べたものだという。我が国懐石料理風に直ったのは比較的新しく、第二帝政期にロシア帝国から伝わった。この話は意外であった。ところがずっと遡ってローマ時代には、前菜から始まり鳥獣、魚と順々に出されたという。江戸時代の饗宴料理では一の膳、二の膳、三の膳、与の膳、五の膳と膳単位で運ばれたらしいが、ローマのそれもだいたい似たようなやり方だったようだ。脱線だが、ローマ時代の鳥肉メニューに鶴がある。宇和島の伊達博物館で、私は朝鮮通信使の饗応メニューを見たことがある。そこには鶴が記載されていた。もっとも日本では鶴はコウノトリとよく混同された。そのコウノトリもローマのメニューにあったそうだ。日本のコウノトリは絶滅したし、鶴も密猟でもせぬ限り我々の口には入らない。鶴が究極の美食であったのか否か、今では永遠の謎である。

('04/09/12)